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2018 晩冬日記 1

今日はMooさんのお誕生日です。
おめでとうございます。
いつも思うことですが、Mooさんのアクションで様々な変化が起きました。
被災地支援、無料開放のバラ園造成運営、公民館使用に関する全国的な基準見直しの
機運醸成および改革などなど、枚挙に暇なし。
これからも、ぜひ!

*

昨日のセッションは楽しいものでした。
1858年日米修好通商条約のアメリカ側全権ハリスとドーアがいた
横浜市神奈川区高島台の本覚寺を見下ろしながら、IS THIS AMERICAの
ハーモニーを録音したのは痛快でした。


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Semi-Unplugged Session

今日は6時間にわたるRAJOYのセッションがあります。

場所は世古さんの所有するシェアハウスのグランドピアノのある部屋です。
電気による増幅がほとんどないかたちでの、正に生の演奏。

2.17で前半を中心にそうした演奏をお届けします。


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歌に生まれはここだと言う私

今日のウォーキングは、久しぶりに野川緑道へ。
狛江駅近くから昔頻繁に通った道順を行きますと、
さらにその昔に慣れ親しんだ緑道につながります。
もちろん長靴で、雪をカリコリ(凍っている)踏みしめながら。

スティックが今G String時代の音源をネット(Line)に上げられるようにして
くれておりまして、狛江市東野川2丁目在住時に作ったものが主ですから、
それを聴きながら、当時を懐かしく思い出しました。

創作部屋だったところが今でも遠くからながらも見ることができ、
歌に「お前がうまれたところだぞ」などと語りかけた。


目がよくなって、日中に、それも陽光まぶしい中でも歩けるようになって、
今までの分を取り返すがごとく歩き回っています。




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左目の手術日決まる

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昨日の多摩川、午後2時くらい。
ほぼ誰もいない中、Love for Loveという歌の練習をしました。
功君の従弟Yくんが発表当時絶賛をしてくれましたっけ。
2.17に歌うつもりでいます。

*

今日は朝から雪踏み分けて(そこまで凄くない)眼科の医者へ。
やはり予想通り混まなかった。
すぐに検査と診断、そして手術日を決めてきました。
3月中旬に採血とかされ最終診断、手術は4月下旬となりました。

今右目は1.0、左目は0.4ですが霞みがひどい。
それでもうまくしたもので右目があまりにいいので補ってしまうのです。
だからとてもクリアな視界で十分に雪景色なんかも楽しめます。

これで左目も水晶体再建手術したら一体どれほど世界が澄み渡るものか。

まあ、少し難しい右目手術を、そこに至るまでの手続きを含めがんばったので、
左目は軽い症状ゆえ日帰りで済みますし、面倒くささはほとんど感じていません。

早く両目開眼となるといいなあ。
新緑の季節はバッチリです。
待ち遠しい。


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Hal's Birthday

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今日は治雄ちゃんの誕生日です。
おめでとう!

祝意を持ってくださる方、2.17においでくださいね!

(^^)/


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1ヶ月切りました

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さて今日で2.17ヘヴン青山RAJOYコンサートまで1ヶ月を切りました。

これからリハーサルの追い込みで、
今日は「前座」スティックと私のduo部分の練り込みです。

RAJOY本編はPeace&Loveをいつものように訴えます。
Peaceの方ですと、前回ご好評をいただいたE2aT、When There's No-one
Left to Hear、そして初公開The Saviourも演奏予定です。

歌詞は全曲ディスプレイに訳付きでお示しいたします。

このコンサートをバネにして、8月に向け、反戦・反核のJapanese bandとして
世界に訴える活動を加速化していくつもりです。

唯一戦争被爆国の我々はICANの事務局長と会おうとしない首相を擁しており、
そのすさまじい消極姿勢に民草の我々RAJOYが少しでもお尻を叩いてさしあげたい。

どうぞお誘い合わせの上ご来場を!

HEAVEN青山
電話予約 03-6447-0558

「2.17 RAJOYのコンサート観覧希望」とお申し込みください。
前売り扱いとなります。

また、当日お越しくださった方に、栗田栄光デザインによるシリアルナンバー入りの
チケットをお渡しいたします。

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短編小説5 光の春のうたた寝 その4



年が明け、いよいよ入院日が近づいた。
昌秀は喜多見不動堂への初詣でももちろん目の手術の成功を祈願した。
7日には千葉県の横芝光町に在る不動明王像にも参って祈りを捧げた。

8日月曜には、Skypeで英語を教えている長野の中3生に、授業終了間際、
「明日とうとう入院です。来週の今日、みなさんのお顔がくっきり見え、
またテキストが昔のようにしっかり読める目になっていることを希望しています」と
言い、生徒たちが頷くのを見て感動するのだった。

また多くの友人たちが激励のメールをくれた。
昌秀は自分は幸せだと心から思った。


9日午前10時ちょっと前、昌秀は慈愛の入院受付のカウンターにいた。
やはり2.5キロの距離を歩いてやってきた。
その日も冬晴れの日で、見える世界は霞みまくり、眩しく、徒歩は危険ですらあった。
今回ばかりはタクシーをとさすがに思ったが、ひとつもつかまらなかったのだ。

3A病棟へ行くよう指示され、ナース・ルームで担当の若い看護師高田美涼を紹介され、
彼女が昌秀を病室へ案内した。そこで彼女には紋切り型の挨拶などが続いて、
入院生活の流れなどの説明があった。

「パーテーション」で区切られた4人部屋、「準個室」ー
昌秀は早くも居心地の悪さを覚えた。
窓側の隣には見舞い客が来ており、会話がなんの障害もなく聞こえてくる。
聞く気がなくても聞こえてしまうのだ。どうも腎臓を悪くした老人らしい。
透析を始めるのか始めたのか、そんな段階のようだ。会話の相手は連れ合いだ。

20分ほどして突如その夫婦の会話が右翼的な言辞にあふれてきて、昌秀は面食らう。
なるほど、4割とかの国民が政権を今でも支持しているのを昌秀は不思議に思っていたが、
こういう普通そうな夫婦もこうして国防の話題では豹変するのだと思い知った。
「アメリカに押し付けられた憲法なんてダメだ」と妻の方が言う。
夫の方は、「そう」と首肯している。
そして1分も経たぬ裡に妻は「アメリカと共同して北朝鮮には強い態度で
当たらねば」と言うのだった。昌秀はアメリカは敵対国なのか友好国なのか一体
どっちだと声を出さずに笑った。

「いやはや。」

昌秀は笑った後に憂鬱になった。

通路側の隣も腎臓を病む人らしい。看護師と交わす会話の口調から自分よりは
若そうだと思えた。どうも自分は医師や看護師が思うほど深刻な病状ではないと
心から信じているようで、入院自体が大袈裟なこと、連れ合いが勝手に承諾した
ことだと言いたいらしかった。なにしろ横柄さがあった。

窓側の左斜向かいの患者はかなり深刻な病状に思えた。
この人も腎臓を病んでいるらしく、透析をずっと施術されているらしい。
言語不明瞭で、とにかくよく咳をする。痰を吐き切れないというようなのだ。

この人間模様の病室で、2泊とは云え、人生初の手術の前後を過ごすのかと思うと、
昌秀の沈鬱はいっそう募る気がした。



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手術成功のお墨付き

診断を受けて参りました。

「きれいです。うまく行きましたね」

と執刀医のお言葉。

手術後6日目、成功のお墨付きがいただけました。

ご心配いただきましたみなさま、ありがとうございました。


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右目手術後の中間報告

さて、明日は執刀してくださった医師による術後検診です。
その診断をもってして手術成功としたいと思っていましたので、
MooさんやNYのやすさんなどにはまだご報告しておりませんがお許しを。

事実として、右目は今すばらしく見えています。
ご心配いただいたすべての皆さまに感謝申し上げます。
ただ、目が重い感じがし、充血も治っていません。

また、左目は右目術後なぜか一層かすみがひどくなりました。
どうしてなのか、これは明日医師に問いたいと思っています。

なお、どうでもいい話ですけれども、明日執刀医は左目の手術のことを
聞いてくると思います。すばらしい腕の医師ですから、お願いしたいのはやまやまですが、
大病院での手術が避けられる程度の左目については町医者にお任せすることに
心を決めています。大病院では、どうしても患者は埋没してしまうと思うのです。
私の実感です。

その旨執刀医に告げ、できるだけ早く左目の手術も受けるつもりです。



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短編小説5 光の春のうたた寝 その3



「四の五の言わず、さっさと手術してくれ!」

昌秀はその後毎日のようにそう独り言つのだった。

「俺は健やかとは言わないが、目の手術ぐらいちゃんと耐えられる。
全身検査なんて要らない!」

子どものようにゴネた。

「正月を跨いでしまうのも口惜しい。めでたさも中位なりおらが春だ。
目の検査はもう個人クリニックのも含めて2度やったんだし、23日に手術を
決行してくれれば、新年を文字通り晴れ晴れと迎えられるのに!」



悶々とした思いを抱きながら、遅々として進まぬような日々だったが、
いよいよ全身検査日が来た。

昌秀はまたもや徒歩で慈愛へと行くのだった。
冬晴れで、日光は抜けるような青空をやすやすと透過し、角度が低い分、
目を直撃する。多摩川の開けた景色も霞みに霞んでただただ昌秀を憂鬱にさせた。
昌秀が夜や未明の散歩をするのはこれがあったからでもあった。
昔も「ラジオ深夜便」を聴きながらほぼ誰ともすれ違わずラジオに集中して歩くのは
大好きであったのだが、日光を避けたいからという理由もここ数年加わっていた。

病院の検査受付に行き、まずは検尿、次に大嫌いな採血だ。
看護師は昌秀の腕を見るなり緊張した表情になった。太り気味というのもあるが、
そうでなかったときからもずっと昌秀の腕の血管は盛り上がり浮き立って見える
ことはない。それでもベテランの看護師は探り当て、
「はい、チクっとしまあす」と言い、注射針を刺した。
昌秀は顔をそむけ、何も考えないようにした。

「はい、結構です。」

看護師の声に昌秀はどれほどの安堵感を得たか知れなかった。
しかし次は胸部レントゲン写真撮影だ。
変なものが写らないか不安がまた一気に高まった。
ドアを開けると、技師はシャドー・ピッチングをしていた。呑気なものだ。
そしてさっさと手順を踏んでいく。あっという間に終了。
次は心電図。これもあっという間に終わった。

この検査結果がもう明日には判定されているというのだ。
主治医が明日開口一番なんと言うのだろうー
昌秀はそう思いながらまた来た道を戻って行った。


翌日。
医師は開口一番、「検査結果はOKです」と言った。
昌秀はその言葉を聞いただけで辞去し、近くのバーミヤンで祝杯を上げたいと思った。
しかし医師はまた目の検査をし、深刻な状態であることを繰り返し言った。
昌秀もどう手術がむずかしいのかを具体的に訊いた。
水晶体が硬く膨れているから、メスを入れたとたんに角膜が破裂するかもしれず、
またそうならなくとも患部を除くためには水晶体を支える部分に下方向の
圧力が相当にかかり、それが「落ちてしまう」恐れがあることー
白濁したモノが溢れて、それを除去するのもむずかしく時間がかかることー
などだった。

そうした問答を3分くらいして、昌秀が「わかりました」と言うと、
昌秀のこれまでの不作為をずっと口調的に責めてきた医師が突然昧の悪そうな
表情をした。

「あの、唐突で申し訳ないんですが、今年いっぱいで私、異動でここを離れることに
なりましてねー」

医師はそう切り出した。

「この期に及んでの主治医交代っていうのは申し訳ないんですが、
代わりに河端という医師が担当します。腕は確かな人です。」

昌秀はすぐに「これはラッキーだ」と思った。
河端という医師のことは全く知らないが、今の担当医よりはベテランであることは
すぐに察知できたし、「腕は確か」というのは、この慈愛が白内障手術の高い評価を
得ていて、その実績を生み出している医師の一人であることを意味していると
思ったからだ。

昌秀は、狛江駅近くの個人クリニックでのことも含め、
今までで一番心を軽くして病院を後にした。



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短編小説5 光の春のうたた寝 その2



「9日入院で、2泊3日ですから。」

担当医はことも無げに言った。

「まあ、むずかしい手術になりますが、がんばりましょう。」

口調には熱がなく、紋切り型に聞こえた。

「はあ。」

昌秀はまだ呆気にとられていた。
眼科医はコンピュータ画面に視線を完全に移した。
それまでも昌秀にしっかり正対して話すことはほとんどなかった。
ひとこと言うとすぐにディスプレイに向き直り、キーを叩いた。

「何かお聞きになりたいことはありますか。」

医師はチラっと昌秀を見て言った。
混み合いすぎる程の眼科待合である。「次に行きたい」ということか。
自分も担当医にかかるまで一時間以上待った。
なにしろ何回かの事前検査でそのたびに数十分待ったのだから。

昌秀は質問も浮かばずにそのまま辞去した。


昌秀は自宅から2キロ半ある慈愛まで歩いて来た。
帰りもほぼ同じコースを辿って帰った。
いつも歩くウォーキング・コースを使うのだ。
当然帰りは最後の1キロがその道程となる。多摩川土手だ。

冬晴れの多摩川河畔は昌秀の目には眩しすぎ、また霞みはひどくほとんど白い世界だ。
昌秀は最初に白内障の症状にはっきり気づいたのもここであったことを思い出した。

「もう3年近くになったか。」

眼科医の言う「むずかしい手術になる」ほど放っておいた自分のまさに不明を恥じつつ、
しかし今や後ろ向きのことを考えても仕方がないと思った。
東京の冬晴れは乾燥が激しいけれども、決して昌秀は嫌いではない。
むしろ冬薔薇(ふゆそうび)や蝋梅、早咲きの梅などを探しに歩いたりするのは
大好きで、凛としてクリアな青空を愛していたのだった。

「またそんな散歩がしたい!」

痛切に思った。


来月23日の全身検査も、しかし、不安だった。
そこで別の病気が見つかったらどうしよう、というわけだ。
過去をくよくよしてもしかたがないが、未来はどうだ。
もちろん哲学的には同じように意味がない。
それでも想像してしまうのが人間というものだ。

苦しい想いで昌秀は家に戻った。



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短編小説5 光の春のうたた寝



昌秀は白内障手術で慈愛第三病院に入院した。
軽い白内障なら、日帰り手術もざらなのだが、生来の面倒臭がりと、目の手術という
幼い頃から恐怖していたことでもあり、相当に厄介な状態にまで引きずった後の
本格的な手術が必要な事態にまでなってしまったのだ。

病室は早い裡から個室をと望んだのが、さすがは調布狛江地区の基幹病院ー
4人部屋となった。病院は、カーテンで仕切った「準個室」と宣った。

この慈愛は白内障手術では一定の評価があり、昌秀はそれに縋った。
11月の初旬に日帰り手術を当て込んで行った狛江駅近くの個人経営の眼科では匙を
投げられてしまって、紹介状をもらって慈愛へと1日置かずに足を運んだのだった。
診断は厳しいもので、最悪は眼内レンズを入れられない事態だと言う。
それを宣言したのはまだ四十には届かないだろう若い男の医師で、
ふた回りも違う「人生の大先輩」に事務的な言動で対抗してきた。

「そうなったらどうなるんですか。」

昌秀が訊く。

「そのときはコンタクトレンズか眼鏡ですね。」

昌秀は肝を潰した。それらを装着あるいはかけていなかったら、レンズなしの眼と
なるのだから、一体どんな世界を見ることになるのだろう、と。

「そういう最悪の事態もありうると?」

「そうですね。」

「どうしてそんなことにまでなってしまうんですか?」

「白濁した水晶体は膨れていまして、それを上手く取り除いても、
眼内レンズがうまく入らない可能性があるんです。うまく収まらないという。」

「上手く取り除けないというのは?」

「そうした水晶体は硬くなっていまして、無理にやると下に落っこちてしまうことも
あるんですよ。」

昌秀は「下に落っこちる」とはどういうことかと思案した。

「まあ、それでも取り除けて、レンズ挿入となって、しかしうまく入らないとなれば
切開部を2つにして、レンズを縫い付けるということになります。」

昌秀は気が遠くなるようだった。
「なんだそれは。どういうことなんだ。ちっちゃなちっちゃな水晶体の『世界』は
恐ろしいほどに色々なことが起こり得る深淵を抱えているのか」と。

「では、12月23日、再度来てください。まずは全身検査。翌日それを基に最終診断
ということで。手術日は、明けて1月の10日とします。」

随分と遠い日程となった。



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さあ、入院・手術だ

さてあと数時間後には入院、30時間後には目の手術です。

11月の初旬だったかに狛江市内の眼科クリニックを受診し、町医者レベルでは
手術不能と紹介状を書いてもらい早速大学付属病院へ。さらに同じ検査をされ、
手術日が決まったものの、年末に全身検査とまた目の検査。そして年内で異動になると
いう担当医の要請でもう一回通院し、また検査。ただし、データの共有ができるはずと
少しゴネたので、新しい担当医による簡単な検査で済みました。

やっと手術。

手術が楽しみな人はまずいないでしょうし、私もうれしくなんかないけれど、
とりあえず現状以上に悪くはなるまいということを信じ、だったらさっさとやって
ほしいという気持ちになって久しい(と言いつつ2ヶ月だけど)。

今回は右目だけであって、左目も早晩施術してもらうつもり。
なにしろそのためにはより悪い右目をなんとかしなければいけないのです。

多くの人たちから激励をいただいています。
本当にありがたい。
たかが白内障手術くらいで大騒ぎするなとお叱りを受けそうですが、
入院は中1のとき、バイクに吹っ飛ばされて右足首複雑骨折して以来。
手術は生まれて初めてです。

加齢老化でいつかは来ることだったのだと今はしみじみ思いますが、血縁には誰一人
白内障になった者はおらず、さまざまな要因が私の目をこんなふうにしたのです。
モニター凝視はその要因の第一かもしれない。
1994年からPCを使いまくってきました。家でも職場でも。
あとは太陽が大好きな性格。(笑)

私の水晶体には本当にご苦労様でしたと言うしかない。
労らずに本当にすまなかったとも。

さて、これからいつものようにウォーキングです。
なるべく入院手術で良い習慣を乱されたくない。

なにしろ執刀医の方の腕を信頼しー
そしていつも祈りを捧げている御霊にもご加護をお願いし、
入院致します。



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短編小説 4

赤裸々

多摩川を歩きながら、NHKラジオの『朗読の時間』で田山花袋の『蒲団』の最終回を
聴き終えた克夫は、自分が矢来町の近くに住んでいた頃のことを思い出していた。
矢来町はこの小説で何度か出てくる新宿区に在る町の名だ。

彼が矢来町の隣の箪笥町に住んでいた頃、粋な佇まいの家の前を散歩中に通ったことが
あって、能楽堂の近くだったこともあり、矢来町はなかなかの格式高い町と知った。
その粋な家が古今亭志ん朝師の家であったことを知ったのは、克夫が市ヶ谷砂土原町へ
引っ越した2001年だった。名人志ん生の次男で、菅原道眞の血を引く美濃部家ー
江戸時代では直参旗本だったという名門出身の当代一と言われた噺家が亡くなった
年だった。

克夫にとってみればそれまで矢来町は「漱石の妻鏡(子)の実家が在った町」だった。
柳家小三治のファンだった克夫は志ん朝が「矢来町」と掛け声をもらう噺家である
ことは知らないでいた。

その「名人」が惜しまれに惜しまれて亡くなった年、克夫は苦境の中にいた。
砂土原町から漱石終焉の地である早稲田南町への散歩は頻々と行われており、
漱石病と自ら言う鬱状態にあったのだった。


花袋の小説は煮え切らぬ話がダラダラと続くものに思えた。
漱石も創作していた頃に発表されたこの「自然主義」文学は、当時としては
センセーショナルな赤裸々さに満ちたものだったらしいし、確かにそこまで書くか
というような心理描写もあるにはある。

自分が評価できぬ青年に愛弟子の女学生を奪われた文士が、田舎へ帰らせたその
愛弟子の残り香を蒲団に嗅いで身悶えするラストシーンは、現代の感覚でもおぞましい
ように思われた。結局その女性を自分のものにできなかった悔しさ、
そして彼女と婚前交渉をしたに違いない青年への嫉妬を吐露するだけの中年男の話は
不快で、こんな話で興奮した明治末期の読者たち、その時代にも嫌悪感を覚えた。

多摩水道橋の交差点下の道を歩き、再び土手道へ出ると、
富士が藍色のシルエットになって茜空の西の果てに見えた。
徐々に灰色が混じってくる。
そして間もなく黒色になった。

「もっと自然主義だろ。」

克夫は独りごちた。

「小汚い心根の者が、英語なんかを処処に使ってカッコつけんじゃないよ。」

花袋のインテリ臭を嗤った。

「条件節が仮定法過去完了だらけの最終部なんかただただ野暮、野暮の極みでゲス。」

克夫は志ん朝が敬慕した六代目三遊亭圓生の口真似をした。

空の暖色がいよいよ完全に褪せる前に克夫はYouTubeで「お気に入り」のメドレーを
聴き始めた。

EaglesのTry and Love Againのイントロで、多摩丘陵に光る家々の灯火の輪郭が
克夫には二重にも三重にも見えた。



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短編小説 3

贅沢の余韻

康雄はサントリーホールでのフォルクスオーパー・ニューイヤー・コンサートを
鑑賞した。

1月2日、まだTokyoは本格始動していない。

康雄は上気しながら近くのドトールに入り、喫煙者用の仕切られた部屋に入る。
椅子に座り、窓越しに健康志向の人々で混む店内を見た。
こちらは空席だらけなのに「外界」は満員盛況だ。

自分は正月二日にウィーンから来た楽団の演奏を聴きに来れた。

「俺はどう考えても余裕のあるー
英語で言えばwell-to-doな、ドイツ語ならwohlhabendなー
人間なんだな。」

そう思いながら、煙草に火をつけた。

「しかし、己は時代遅れの喫煙者、健康意識も<こぎれいな>人々との差は画然と
している。」

そう独りごちて、紫煙を吐いた。

「どうも居心地が悪い。
本来自分は正月二日にウィンナ・ワルツなどを鑑賞する輩ではないだろうに。
ドトールは何も高級志向の珈琲屋などではない。
そこは自分には分相応だ。
コンサート後そのままインターコンチネンタル・ホテルでコーヒーを飲めば徹底して
いたろうけれども、喫煙所へ行かねば煙草は吸えないし、なにより、そこまで
徹底したいとも思わない人間だ。」

そしてこのドトールに入っても<差別化>がある。
同じコンサートを楽しんだ人々が何人も一緒に入店したが、みな非喫煙者のフロアで
コーヒーを飲んでいる。

康雄はコーヒーを早々に飲み干し、煙草を2本吸って店を後にした。


帰途ー
混み合うこともない電車に乗って、康雄はコンサートのことを思い出す。
ソプラノ歌手の美しい声は特に印象的だった。
プログラムを読みながら、頬が緩む。

「フォルクスだぜ、民衆、大衆のオペラ楽団なんだ。」

そう思った。
しかし、あの優雅さ、余裕ー
それを正月に日本で鑑賞する自分は?


電車がある駅で動かなくなった。

「相互乗り入れしております東武東上線で人身事故がありました。暫く停車いたします。」

車内アナウンスがあった。

「え?元日に確か二件人身事故があったばかりじゃないか!」

康雄は暗澹たる気持ちになった。

4日からは通常勤務だ。
3日はこの贅沢の余韻に浸りながら、ゆっくりするつもりだった。
その「贅沢の余韻」が急激に減衰し、消えてしまったように思えた。

4日からはまた薄給の一会社員に戻る。
今年会社は大丈夫だろうかとふと不安になって、コンサートのプログラムをカバンに
しまい、頭を掻き、俯いたままになった。



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2018 初詠句

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水鳥の
逃げて止水に
初日の出

Water birds gone
the river turns into a mirrorー
here comes the first sunrise.




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2018年 元旦のご挨拶

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あけましておめでとうございます。

みなさまにとって幸多き1年となりますようにお祈り申し上げます。


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