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久々長文 〜「積み重ねて今」

昨夜授業をしていると、安ちゃんからLineメールが立て続けに数通。
「泣いた!」
が目に入ったので、生徒さんたちに問題を出している隙にちょっと見ると、
No-Oneの「安ちゃんbasic tracks」の出来栄えにMick師が絶賛のお言葉をくださった
とのことだったのです。

むろん一番に提示された私も、一聴してそのtracksの織り成す音世界がユニークであり、
真の意味のcosmopolitanな響きであることを悟り、絶賛していました。
それはどういう意味かというと、日本列島に生まれ育った彼が、
幼少時よりクラッシクスから音楽に入って、少なくとも音楽的にはヨーロッパ文化に
ひたすら浸っていき、思春期以降rockに出会ってその培ったものを応用、投影していく
歴史を辿ってきたわけです。それでも、音楽以外では当然日本列島人としての
文化にもnativeとして染まっていくわけで、そのimbalanceは一見危うそうで
実はuniqueな<化学反応>を惹き起こすことにもなっていくのですね。

Cosmopolitanismというのが、異文化接触・混合からの多文化化より生まれてくる
とするならば、安ちゃんはもちろん例えば遅く見積もっても飛鳥時代以来日本
列島人にも、また世界中のほぼどんな文化圏の人々にも、程度の差はあれ、
それは普遍的に見られるわけです。

安ちゃんの今回のbasic tracksは、欧米のrockという様式の中に「和」の音が、
旋律が、リズムが程よく混じっているというものなのです。

80年代、Led ZeppelinのRobert Plantが当時流行するあるrockのトレンドに対し
「It looks like a mongrel」と言ったことがあります。「雑種犬のようだ」と。
Zeppelinの、あるいは彼の音楽は「純血犬」だと言うのでしょう。
しかしその当時からしても間違った認識です。
Rock'n Rollは元々主に西欧大衆音楽とアフリカのリズムとの融合なのであって、
すでに「純血」ではないのです。さらにZeppelinには抜きがたいほどにbluesの
形式があって、これはもう黒人音楽そのものをイギリスの白人が採用したことに
他ならないのです。

「雑種犬」であることのすばらしさを私は讃えて、「Mogrels in the Dog Show」
というアルバムすら作りました。98-99年のことです。
そのとき、元EUROXの栗原務くんの協力を一部いただいたのです。

そのアルバム自体は、とある方の斡旋でフランスのインディーズ・レコード会社で
出せる算段になっていたのですが、和の要素を非常に重んじるその相手先の
趣味に合わず(つまりあまりに英米的であるから、日本列島人としての特徴がなく)、
話は霧消してしまったのです。

その頃安ちゃんもこの私がメインのG String(固定メンバーとしてはスティックと
山口じゅんさんしか残っていなかったのです。臨時に大久保薫くんが入ってくれ、
功くんも一部の曲で協力してくれました)のアウトプットをきっと栗原くん経由で
聴いたはずで、「俺ならこうするのに」と臍を噛んでいたと後に人伝に聞きましたし、
その後2001年以降にしばらく私がメインで書いていた掲示板に安ちゃんは匿名で
「バンド活動再開しろよ、歌えよ!」と投稿していたのも後になって知らされたのでした。

そして2007年だったかに安ちゃんととうとうEUROX Reuionで再会します。
しかし、The Realm of Athenaを出させていただいて後、
しばらくして尻切れとんぼになってしまったのは、ここに来られる多くの方々が
ご存知でしょうし、中にはご立腹の方もいらっしゃるでしょうね。

本当に申し訳有りません。あらためてお詫び申し上げます。

G Stringではcreativeな音が作れていないー
これは安ちゃんも栗原くんも、そして治雄ちゃんだって思っていたことでしょう。
さらにはEUROX生みの親のMick師も。

むろんG StringはEUROXとは違うバンドですし、私は自分の歌こそがメインで、
その歌を生かし切るアレンジを求めてきました。
EUROXでは、安ちゃんもはっきり言っているのですが、「MNEMOちゃんの
ヴォーカルも各パートの一部になりうる」と。つまり歌音楽というよりも、
歌が入ったsophisticatedなアンサンブルがEUROXだと。
そうです、そういう曲もあっていいし、私は決して厭いはしないのです。

けれども、バンド音楽で一番大事なことは、やはり互いにメンバーのことを
できるだけ理解し、そのプレイと個性を愛すること、さらに全員一致の根源的
モチーフがあることです。

今RAJOYはその「一番大事なこと」が分かち合えているバンドになりつつあると
私は確信しています。

長くかかりました。ここまで来るのに。

No-Oneの安ちゃんbasic tracksはそのことをしみじみ感じさせてくれます。

これが1990年当時できていれば、などと言っても詮無い。
ここまでかかってしまったのはそういうことだったから。
そして1990Versionだって決して色褪せず、それなり多くの方々の胸を打つことが
できたことも誇りです。

いろんなことの積み重ねがあっての今です。
それまでの過程の一局面が<今>に質的に劣るとかではない。
<今>がこれまでの最高点到達だとするなら、そこに至るまでの一歩一歩あってこそ。

そんなことを感じる今朝です。



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