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蹉跌集め IV-30 [小説]

30

「やはり、対象は、寿貞尼さんですか。」

MNEMOが慎重な声色で訊いた。

「予は江戸でまず日本橋に、さらに関口(文京区)に住み、
それからまた日本橋に戻った。」

芭蕉が言う。

「そこではそれなりの暮らしをしておった。人付き合いも多くての。」

「ええ。磐城平藩藩主内藤義概の俳句サロンにも通われた。
そこで桃青と号したんですよね。『青い桃』というより、語順から『桃青し』ですね。
ちなみにその内藤氏は、越後村上藩の内藤氏と同族、
また、あの八橋検校を召し抱えたことでも有名で、俳句と箏曲=音楽と、
まあ、粋人のお殿様でしたね。」

「よく知っておるのぅ、MNEMO殿。
まだ三十を越したくらいの若造で、桃青などと名乗ったが、あの色が好きでな。」

「わかります。私も大好きです。音もいい、<とうせい>って。」

「分かってくれるか。」

「もちろんです。しかし、少し艶っぽくもありますね。」

「んん?・・・んん。」

芭蕉は言い淀む。

「まあ、元禄の男だしの、予は・・・芥川君が言うように。」

「日本橋から突如深川へ遁世とも言うべき引越しをされましたね。」

「まあ、半分人生から降りたんだな。」

「中島義道みたいですね。」

「あ?」

「失礼。どうぞお続けを。」

「・・・どうしてだと思う、MNEMOさんよ。」

「後世の人間は、諸説あって、想像逞しくするだけです。
芭蕉さまからどうか直接のお言葉が欲しいところですが。」

「あなたの逞しい想像は如何。」

「はあ・・・。」

MNEMOと芭蕉のやりとりは皆MNEMOの音声に依っているから、
側で聴いている者たちには落語のようで、粟田などは吹き出したりする。

「では、申し上げます。

数ならぬ身となおもひそ玉祭り

これは翁が寿貞尼が亡くなった元禄7年6月に献げられた句です。
One of themと私のことを思ってくれるなよ、ということですね。」

「ワン・ノブ・ゼム?」

「はい。特に数には入らぬ、取るに足りない者ということです。」

「ああ。英語かあ。
Ne dites pas: "Vous n'êtes que l'un d'entre eux."
予は仏語がいいなあ。」

「Don't say, "You're only one of them."
ですね。いやあ、<不都合>なことは<仏語>でって。」

「おい、おい!」

粟田が割り込んだ。

「松尾芭蕉と掛け合い漫才してんじゃねぇぞ、畏れ多い!」

「事と芭蕉をわきまえろっ、てか。」

「この!バナナことばっか言って!」

「ああ、バナナ=芭蕉ってことか。」

「ち。」

粟田は引き下がった。

「話を戻します。」

MNEMOが言った。

「数ならぬ身となおもひそ玉祭りー
この句はどう読んでも、寿貞尼さまは大モテで、さらには本命がいて、
翁はその者を羨み臍を噛む思いをする多数のうちのおひとりということ・・・
ですよね。」

「・・・・・・・・・で?」

「その本命は翁の甥っ子だとかという説がありますが、
まあ、それがどなたであれー
何かしら翁にとって日本橋での生活を捨て、深川に隠棲するよりない事態が
起こったわけですよね。それは西行法師にとっての、例の<あこぎ事件>のような
ことが翁にも出来したから、深川に庵を結び、遁世し、さらに西行のように旅をし、
歌=俳句をものす生活に入られたのでは・・・と。」

「・・・・・・・・・で?」

「いや、もうほとんど言い尽くしましたが、さらに敢えて言えばー
芭蕉という号にされた理由は、関口の住まいに植えられていた芭蕉の木が
決定的だったろうと。芭蕉は破れ芭蕉として詠まれることが多く、
その<破(や)れ>ぶりが己の心のさまなのだと。
そして勿論、寿貞尼との熱い思い出が関口時代にあったからではないかと。」

「・・・・・・・・・・。」

「芭蕉さま、おもしろいのは、あの関口の芭蕉庵には今でも芭蕉がありましてね、
そのすぐ脇には胸突坂と後に呼ばれる坂が・・ありましたでしょう?
それは、夏目漱石という明治の文豪が、『こころ』という小説の中、
ひとりの女性のことで自殺する<K>と<先生>と、それを物語る<私>の全員が登った、
ないしは登ったに違いない坂なのですよ。」

芭蕉はナカグロ(・)で表現するにはいくつあっても足りぬほど沈黙した。
合歓の花の色は桃色に戻り、雨に打たれて、萎れているようにも見えた。


<つづく>




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蹉跌集め 雑記

本当に多くの方が『蹉跌集め』をお読みくださり、感無量です。
ありがとうございます。

荒唐無稽な娯楽小説なのに・・・

安曇野のMooさんが、またもやこの小説をPDF化してくださっており、
このVIの巻、私が本当に月山へ行くまではと長く休筆としていたわけですが、
再び筆を執ってみると、まあ、辻褄が合わないところがいくつも有って唖然。

ここに私の性格が出ていますね。
それまでの話をしっかり読まないままに、勢いで書き継いでしまう。

バカです。

なによりひどいのは、ホムラー社の女性ディレクターの音吏部永
(おとりぶ・とこしえ)もこのロケについてきているはずなのに、
全く出てこないことです。光や幸嗣らもそうなのですが・・・。

書き変えですなあ。



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蹉跌集め IV-29 [小説]

29

悠奈が頭を覆うと同時に、なんとちょうど逆に鳥海山がその頂を露わにした。
山肌と残雪は西日を反射して輝くのだが、まるで自ら発光しているようでもあった。
その大きさは、広大という言葉では足りないが、雄大では適切でない。
一同は誰しもが女性を感じたのだ。
「雌大」という言葉があればいいのだが。

「Majesticだろう。」

MNEMOが盲目であるのにも関わらず、その光景を形容する。

「Gracefulだろう。<ふたり>とも。」

さらに英語の形容詞を美しい発音で重ねた。

「神々しいもの同士の御代の交替とも言うべき風情です!」

下山が叫ぶ。

「ああ、こんな王朝交替なら、いつでもその麾下に置かれたい!」

加賀美が彼にしてはあられもない愛情告白をした。

藤熊はiPhoneをスワイプしまくって、「あった!」と小声で叫び、音楽を流す。
美しい弦楽によるイントロが流れ出した。
小さなスピーカーを通してなのに、鳥海の山塊に反響するかのような音圧を皆は感じた。

「イギリスの好色一代男、Rod Stewartのズバリ、Graceでございます!」

From our school days they have told us we must yearn for liberty
Yet all I want in this dark place is to have you here with me
Oh, Grace, just hold me in your arms and let this moment linger

学校に通っていた頃から自由を求めよと言われてきたが
この昏い世界で私が望むのはここに君をいただくことだけだ
ああ、Graceよ、抱いてくれ、この瞬間(とき)よ長く続け



ほどなくRodの歌は終わり、鳥海山はまた裾野だけを残して<尊顔>を隠した。
下界は雨が小止みになって、逆に悠奈は頭の覆いを取った。

「象潟や 春の月の出 小島よりー」

「おおッ!」

MNEMOが興奮する。

「芭蕉翁の、新作だああああああッ!」

一同は合歓の花の御簾奥を一斉に見る。

「推敲しておらんのだが。実感じゃ。」

翁は言った。

「月山の頂上で見た月、西に沈む太陽ー
その東に昇る月は、ここでは鳥海山に遮られ見えないが、
悠奈ちゃんがこうしてその下界、西の象潟にいる、もうひとつの月として!
春の月とするのは、その季節の月独特の妖艶さをイメージしてのものー
ということでございますね、俳聖!」

MNEMOが解説する。

「よ、よく分かったなあ!」

粟田が心底感心して言った。

「・・・MNEMOが作って言ったんじゃねぇの?」

すぐに混ぜっ返す。


「芭蕉さま!」

悠奈が呼びかけた。

「その月なのです!西行法師も無数に詠まれた月。
その歌枕を訪ねて来られた芭蕉さまは、月山で、湯殿山で、何を見られたのですか。
誰をその月に重ねられて想われたのですか。

芭蕉さまの偉大さについては私が先ほど申し上げたとおり、
本当に尊敬しかありません。

でも偉大な人間も、人間であるのには変わりなく、言葉はきついのですけれど、
<だらしない>ところももちろんあったはずです。

臨済の禅僧・秋月龍珉さんは、曹洞宗開祖の道元を語る著書で、
<人間道元>を探ろうとする研究者たちを痛烈に批判しました。
宗教者として何を成したかが大事で、それにしか興味はない、と。

気持ちは分かります。けれども、どんなに偉大な人間でも人間であることを超える
ことは不可能です。維摩経の美しい蓮の花、その精華を咲かせた、
そして咲かせている泥水を無視することは片落ちです。

芭蕉さまは僧ではありませんが、高い境地に到達され、
それがあって俳諧師として、俳人として、頂点に達せられたのです。
そこは十分理解した上で、芭蕉さま、あなた様の<泥>の話をお聞かせ
願いたいのです!」

木像は合歓の花の御簾奥でじっとしている。
数十秒の間があった。

「自然と共になれる己になるには、どうしてものっぴきならぬ恋愛が必要じゃて、
のう、MNEMO殿。」

MNEMOが通訳するやいなやその内容に吃驚して、両肩が吊り上げられたように
なったまましばらく動けなくなった。

「やはり、そうですよね。」

悠奈が言った。

「ああ!その<のっぴきならない恋>がしたい!」

男どもはみなMNEMOと同じ姿勢となった。



<つづく>




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蹉跌集め IV-28 [小説]

28

「おいおい、江戸期の俳人がフランス語を知ってるかあ?」

藤熊が疑義を呈する。

「魂だって学習するぞよ。」

翁が事もなげに答えた。

「Loveだよ、love。直江兼続ばかりじゃないんだ、予もAmourと言おう。」

「ヌハハ!」

粟田が笑う。

「やっぱ詩人や歌人、俳人ってぇのは多情ですなあ!」

「オメはデザイナーだけど多情じゃねぇか!」

粟田はMNEMOに一喝される。

「いや、なにも言い訳するというのではないけれどー」

藤熊が神妙な表情で言った。

「音楽人や詩人が堅物だというのは、鳥が高所恐怖症だというのと同じだよ。」

「魚が水恐怖症だとか。」

粟田が付け加える。
藤熊が続ける。

「それを言い訳にして何やってもいいとはならないけれど。
それでもその過剰なpassionのおかげで多くの人がいい音を、いい言葉を楽しめ、
心の糧や癒しにできていることに疑いはないんだ。」

「芭蕉翁も艶っぽい句をものしておられますものね。」

MNEMOが言う。

「読みましたよ、芥川龍之介の『芭蕉雑記』。むろん表現は抑制のあるものですが。

『たとへば「きぬぎぬやあまりか細くあでやかに」は枯淡なる世捨人の作品ではない。
菱川の浮世絵に髣髴たる女や若衆の美しさにも鋭い感受性を震はせてゐた、
多情なる元禄びとの作品である。』

<きぬぎぬ>は<衣衣>の外、<後朝>とも書きますね。
英語ではthe morning afterだけれど、全く同じ意味なのですから!」

「どんな意味だ?」

粟田が訊く。

「言わせるな。」

MNEMOがピシャリと言った。

「そして英語では艶かしい意味ばかりでなく、過去のあやまちを後悔する時期をも
意味するのですが、<後朝>もさういふイメエジがあつてもおかしうないですな。
さういふの、翁にもありましたでせうか。」

MNEMOが歴史的仮名遣いでそう言うと(!)、<木像>が悠奈の耳から離れた。
それはしばらくゆっくりと回転し、ヒョイと跳んで合歓の花がいくつか付いている
枝に乗り、花を逆さまの御簾のようにして話し始めたー

「悠奈どの。そなたは予の、ここで詠んだ『西施』とは一体たれのイメージかと
いうのを知りたくてここへ来、そして月山にも行こうというのだろう?」

「はい、そうです。」

悠奈が答える。

「それを知ると何があるのかな?」

「俳聖と崇められる翁さまの、こころの豊かさを知りたいからです。」

「ほお。」

「例えば、翁さまは平泉・高館で私の先祖が奥州の都を守るために戦ったその史実を、

夏草や 兵どもが 夢の跡

と詠まれました。
私は中学二年の夏、そこに立って、これほどにイメージを掻き立てる短詩が他に
ありうるだろうかと改めて痛感して、これこそ詩人の夢の具体だと知りました。
私の、八百年前の祖先たち、藤原の、佐藤の兵たちが、辺りの空気の粒子となって
漂い始め、凝集し、私を囲み、あるいは纏わりつくのを感じました。」

木像前の<桃色の御簾>が微かに揺れる。

「この列島の到るところに夢の跡があるのです。」

雨がまた降り出したが、いわゆる天気雨で、悠奈は雲間から差し込む金色がかった
光に照らされた。

「もちろん、世界中の至るところに。
その夢が夢見る者の営みとなり、具現化し、華となり、そして萎れていくー
そしていつかは必ず跡形もなくなる。

それでも、その夢を見た<こころ>は、その夢を想像しようとする他のこころが
近づくと、呼び寄せられ、集まってくるのです。

芭蕉さま、あなたはそのことをたった十七文字で歌ってしまったのです。」

一同の目には、<御簾>の桃色が赤みを増したように見えている。

「最高の賛辞やな。」

芭蕉がMNEMOを通じて言った。

「こんな賛辞を、こんなに美しい乙女からいただけるとはな、思わなんだ。
MNEMOさんとやら。後朝のふたつめの意味な。
悠奈さんとだったら、絶対にないな。」

悠奈が薄手の黒いロングコートの襟を両手でグッと持ち上げて、頭を覆った。
狐の嫁入りの雨が少し強くなった。



<つづく>






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蹉跌集め IV-27 [小説]

27

「そりゃ、オメ、そこに一緒にいた近江人、あるいは門下の近江人だろ。」

粟田が答えたが、一同は木像と悠奈に目が釘付けになっていた。

「そ、そうなんですか、芭蕉さま!」

加賀美が訊く。

「Je t'aime.」

一同が耳を疑った。松尾芭蕉がフランス語を話したのだ!

「ジュ・テームって、俳聖、あの、え〜と・・・。
そんな、悠奈ちゃんの耳元で、愛の囁きって、あの、え〜と・・・」

粟田がまたも泡を食っている。

「違うんじゃないの?」

下山が言った。

「寿貞尼(じゅていに)っておっしゃったんじゃないのかな。
有名な、芭蕉翁の恋人だったと言われている、寿貞尼。」

「なるほど。」

加賀美が納得する。

「しかし、しかしさあ、下山君。寿貞尼は芭蕉翁と同じ伊賀の出身では?」

「いや、その女性については確たることは言えないみたいなんだよね。」

「じゃあ、近江の人だった可能性も?」

「ないことはないでしょう。大体、伊賀は近江と隣接しているしね。
芭蕉翁は他の国を圧して近江によく行かれているようだし。
知り合うチャンスはあったと思うよ、十分。」

「よくご存じですね、社長。」

粟田が言った。

「いや、加賀美君と次に共作する漫画、主人公を平賀源内か松尾芭蕉のどちらかに
したいって思っていたものだから、ちょっと調べていたんだよね。」

「な〜る。」

粟田はにこやかに笑ったが、すぐに事の重大さに再び気づいて、

「なんで悠奈ちゃんの肩に乗って、その恋人の名を!?
ま、まさか!まさかでしょう?!」

と俄然騒ぎ出した。

「近江蕉門っていうのがあったほどだし、その近江人っていうのは芭蕉様にとっては
雅友であって、ね、その人たちと吟行とかして、行く春を惜しんだー
これがやっぱり一番いい解釈だよ。」

粟田は力説する。

「ね、芭蕉様、『近江の人』は寿貞尼さまではないですよね?
ネット検索すると、ほら、伊賀での幼馴染同士っていう説もあるくらいだし。」

「誰も分からんのだよ、結局。寿貞尼と翁以外は。」

MNEMOが強い口調で言った。

「どんな想像も可能。翁が真相をお話にならない限りは。」

あらためて一同は木像に目を遣る。
なんと、肩に乗っているどころか、悠奈の耳に頭を入れているではないか!
悠奈は、くすぐったいのか、わずかに苦悶の表情をしているが、
何かに聴き入っているようにも見える。
顔色はまさに桃色、まるで「ねぶの花」の色であった。

MNEMOが集中して芭蕉の囁いているらしい言葉を探る。

「悠奈どの、そなたには近江の血が入っておろう。
予の晩年の門人にの、直江木導という高位の彦根藩士がおっての、

春風や麦の中行く水の音
雛賣のほめて通るや初櫻

などの見事な句をものし、予は大いに買っておってのぅ。
越後や米沢の直江氏が近江の膳所藩とゆかりがあって、
そして彦根へ、ということでな、直江兼続の末裔になるのじゃな、
あのLOVEの、愛の直江兼続の!

新潟美人とは言うが、この木導がある日の句会に連れてきた『親戚』の若い娘が
そなた、悠奈どのに瓜二つでのッ!美しゅうて、美しゅうて!」

一同はMNEMOの通訳に唖然とする。

「ん?」

加賀美が怪訝そうに声を上げた。

「近江蕉門は奥の細道後にできたものだよ。」

「ということは、ここで翁が<見た>『西施』は悠奈ちゃんと直接関係はないと
いうことになりますね。」

下山が言った。

「じゃあ、さっきのはやっぱりJe t'aimeだったんだな。」

粟田が重要な指摘をした。


<つづく>






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蹉跌集め IV-26 [小説]

26

「私、多摩川のそばに住むようになってからー」

悠奈がMNEMOに向かって言う。

「朝、昼、夜、区別なく川沿いを歩くんですよ。夜なんかは危ないのを承知で、
できるだけ体型が隠れる服を着て、そしてもちろん木野先生や
徒然草のいろをし坊さま、白梵字さまにご加護をいただきながら。」

「うん。」

MNEMOはニッコリと笑って頷く。

「悠奈ちゃん、俺も守っているからね!」

近所の住人藤熊もおどけて言った。

悠奈はチャーミングな微笑みを藤熊に返して、

「越してきて以来まだ夏や秋の多摩川の音を聞いていませんけれど、
数日前、西河原公園のそばを夜通ったら、カエルが合唱していました。
早いのか晩いのか分かりませんけれど、もう鳴いているんだって思って、
母の故郷、滋賀の湖東で聞いたカエルの大合唱を思い出したんです。
最後に聞いたのは小学5年の頃だったかしら。
ゴールデンウィークの母の帰省で。」

「芭蕉さんがいらっしゃるってぇ中、蛙の話たぁおもしれぇ。」

粟田がなぜか噺家のように言った。

「プルーストは匂いと記憶について書いていますけれど、
やはり私たちはまず音と記憶、ですよね。
西河原公園のそば、五本松のところで私、懐かしくて、涙が溢れて・・。」

「悠奈ちゃんにしてみりゃまだ12年くらい前の話でしかないでしょ?」

粟田が言った。

「ええ。ちょうど12年前なんです。」

「出た。12という数字。」

加賀美が言った。
すると、

「行く春を 近江の人と 惜しみけるー」

芭蕉が自句を朗唱した。

「俳聖さま。昔っからお聞きしたかったんですがねー」

粟田が恐る恐るというような体で言った。

「春は夏、秋ではダメなんですかね。近江は丹波じゃダメなんすかね。」

「ハハハ!」

MNEMOが大笑いした。

「尚白みたいなことを言うな、粟田!」

「尚白?」

「蕉門の一人だった者さ。オメのような批判をしたのよ、芭蕉翁、師匠に。
俳句で主観が悪いなんてなっちゃったらおしまいだ。
句だけ読めば、行く春を近江で見ているのかどうかは分からない。
一番重要なのは一緒に見たのが近江の人だということさ!」

「おお、我が弟子去来よりも理解深く、核心を突いておる!」

芭蕉が歓喜の声を上げた・・・MNEMOの口を借りて。

「自画自賛でねぇの?」

粟田は不満そうだ。

「オメさあ、<近江の人>って誰だと思う?」

MNEMOが粟田に尋ねた途端に、悠奈が顔を紅潮させ、眩暈を起こし、
ネムノキの幹にもたれ掛かった。

すると木像もケンスキーの手を離れ、悠奈の肩に乗った。


<つづく>





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蹉跌集め IV-25 [小説]

25

「痛いところを突かれたのぅ。」

木像の<ことば>をまたMNEMOが通訳する。

「夷狄、鳥獣とかの物言いには過ぎたところがあった。」

「芭蕉さま、本邦最高の俳人、松尾芭蕉さま、
あのう、本当に失礼なのですけれど、言い過ぎとかではなくてー」

悠奈が言う。

「ああ。」

芭蕉は悠奈の言を遮る。

「余が生きた江戸時代初期から中期にかけてですら、むろん山川草木国土悉皆
成仏という考えはあり、すべてに仏性があるという天台本覚思想を余が知らない
ことはなかった。しかし、例えば鳥獣が詩歌をものすということはない。
詩歌の定義の問題だな。そなたが言われたウグイスの歌、それはあくまで鳴き声で
あり、決して詩歌ではなかろうて・・・

そう思っておった。
不覚じゃった。
しかしなあ、陸奥と出羽への旅に出たとき、余は四十五、昔人は早く老成すると
おぬしたちは思っておろうが、しかし、青二才じゃった。
どうじゃ、MNEMO殿は、四十五の頃は。」

MNEMOはそう芭蕉の声を伝えて、すぐに自分に戻り、

「恥ずかしくなるばかりでございます」

と言った。

「老眼になり初めた頃でした。
多少人生の酸いも甘いも、特に酸いの方をよくよく知り始めた頃です。
ただ、それまでは実によく歌を作りました。
多作と言うべきほどでした、三十代から四十歳になるまでは。
四十過ぎてから、パタッと歌が書けなくなりました。音楽としての歌が。」

「そのとき、虫も鳥も歌っておるという境地に至っておられたか。」

「仏教学者であり、また実践者であられた木野一義先生の御著作を拝読するように
なっておりまして、少しずつ。そして木野先生と岩波文庫『金剛般若心経』を
共著された中村元先生の晩年の御著作『人生を考える』を読みかけておりました。
これらのご本を頭でのみならず心でも解する触媒になったのは、
放送大学客員教授大峯顕先生の『宗教への招待』で、ハイデガーの詩論、
ヘルダリンについての言葉を読んでいた時のことですー

私は43歳でした。
総武本線の銚子行き各駅停車の列車に乗っていたのです。
九十九里へ行く小さな旅の途中でした。

『神性の残照すら消え失せ』た『現代世界はもはやどんな根底を持っていない』、
『そこには退場した神々の痕跡(Spur)が残されているのだ』という
ハイデガーのことば・・・。

それを読み終えた途端にドアが開き、一斉に車内に雪崩れ込んできたのは、
なんとヒグラシの大合唱、大輪唱でした。南酒々井の駅でのことです。

私は本当に打たれました。
打たれて、石化してしまいました。」

「余の出羽は山寺での句のようか。」

「かもしれません。私はこのヒグラシの大合唱こそ、
Spurだと開悟した・・・と言えば、もちろん言い過ぎですが。」

「時を捉えられたのう。」

「はあ。恵まれました。」

「おいおい、こんな話、飽きちゃうぞ、みんな。」

粟田が容赦なく言った。

「さっきからMNEMOだけしゃべってんじゃん。
たとえ芭蕉翁のことばをオメが代弁しててもよぉ。」

「うむ。」

MNEMOが首肯した。

「このIV-25話はきっとあまり読まれまい・・・。」

しかし大いに感動している者が一人だけいた。
むろん、悠奈である。


<つづく>





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チロ三十三回忌

今日は私の世界観を一変させてくれた子猫チロの命日です。
1986年のことでしたから、32年ー
ということは三十三回忌ですね!

オリオンがその姿をすべて現しつつ、しかも天頂を目指すかのように昇り、
右斜に構えた格好のときに、チロは昇天しました。
もちろん息絶えたのは8日でしたが、魂が昇っていったのは9日午前1時半頃でした。
私に、「じゃあ、オリオンへ行くわね」と背中を撫でてくれた時刻です。

頭、大丈夫か、MNEMO。
いや、本当なのだから、しかたがないじゃないですか。 ^^;)

背中を触れられ、私は当然振り向きました。
すると南東の空にオリオン、そしてシリウスなどの輝星がそれは見事に瞬いていた。


ああ、しかし、もう32年なんですねぇ。

チロが以来私をずっと見守ってくれているんです。
ありがとう。
これからも、よろしくね。

Do2iqHzVAAE0pBG.jpg


(この写真は昨日未明のもの。Twitterで知遇を得させていただいたtitさまが、
心温かくもここに掲載するのをお許しくださいました。感謝、感謝です。
なお、なんとこのお写真、腕の固定だけで撮られたそう。信じがたいことです。
何度もブレつつ。星への愛の一枚です。)



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今日2018年10月7日という日

Simogumi制作のアニメ『愛玩怪獣』がまもなくスタートです!

http://www.tv-tokyo.co.jp/anime/aigan_kaiju/

我が『蹉跌集め』の登場人物のモデルとなっている
(どこら辺りがモデルになっているかについては永遠に語りません。 ^^;))
みなさんが心を込めてお送りする番組、
しかも音楽担当は我らがRAJOYのメンバー関根安里です。
(ただしRAJOYとしての参加ではありません。)

よろしければ、応援ください!


*

昨日、当ブログにおいでくださった方の総数は171、
これはこのマイナーなブログにとっては久々なかなかの数でして。
Page viewは309ですから、171人の方はほぼ『蹉跌集め』を読みに来て下さったと
考えてよろしいようです。

ありがたいことです。

悠奈を中心とした登場人物が、なにゆえ地縁と薄い血縁を元に物故した者たちと
巡り会い、語り合うのか、ようやく悠奈にその理由を語らせて、
少し作者の肩の荷が下りたところです。

Twitterがこの171人の方々が訪問してくだったことに貢献しているのは
火を見るよりも明らか。

私のそれなりに長い人生で積み重なった歌というものへの想いを発露する
この物語ですが、一体どこに着地するのか私も分かってはおりません。

多摩川を歩いていて、ラジオや音楽を聴いているときにふと構想が浮かび、
そして消えるというようなこともあります。
もちろん、そういうものを聞かず、虫の音や鳥の声、風の音などを聴きながら
浮かんでくることもあります。

今特に日米で愚かしい言葉が溢れかえっており、
それらに対抗する賢明な言葉が必要ですけれども、
私からはその<「賢」なる、IQ的に高い言葉>は出てきませんから、
愚かしさの真逆にあるもうひとつのもの、
EQ的に高いことばで抗っていくよりないと思っています。
そのEQ的なことばの発露が、『蹉跌集め』ですし、もちろん歌です。

Twitterでは、ここ一週間くらいのことですが、
『ガリアン』で私の歌、EUROXの音楽に興味を持って下さった方お二人と
つながることができました。

もっと潜在的にいらっしゃるそういう貴重なファンの方々とつながる努力を
すべきであるのは分かっておりますが、今は<戯作者>になっている私では
ありますけれども、creationということについては、
つまりEQ的outputということにおいては、
歌を作り唄うことと私には異ならないのであって、
ガリアンや聖戦士星矢からつながってくださった方々はもちろん、
Twitterで知遇を得たみなさまにも、そのことでどうかご期待をいただくしか
ないという私の現況をご理解いただきたいのです。


「MNEMOないしKing Reguythは、やっぱり歌の方がいい」
とおっしゃってくださる向きもあるでしょう。 ^^;)

しかし来たるべき私の歌集、anthology(精華集)のようなまとまった作品
制作の礎になることを今はしているのだとご理解いただければと思います。


*

今日は本当に久しぶりに治雄ちゃんと会います。
Mick師、Kも一緒です。

多忙な治雄ちゃんー
本当はある楽曲の録音日として空けていてくれた今日なのですが、
残念ながらスタジオの都合でキャンセルとなったがゆえの飲み会です。

Simogumiと関根君が今日、新たな歩みを進めます。
おめでたい日です。

私は師と仲間二人とで、直接は音楽に関係のない時間を愉快に過ごしたいと
思っています。しかしもちろん、creativeな話になるでしょう。

師もKも『蹉跌集め』の熱心な読者なのです。(笑)

治雄ちゃんと私、そして延いてはRAJOYのこれからの音楽活動に弾みがつく
ような夕べになると確信しています。





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蹉跌集め IV-24 [小説]

24

皆の視線を感じて、悠奈の思索する虚ろな目に光が戻った。
ベージュのブラウス、グレイのパンツに薄手の黒いロング・レインコート、
フラットな黒のレインシューズといういでたちだ。
そのロングコートが黒ではあるが羽衣のようだと粟田が言っていたけれども、
本当に天女のようだと皆がしみじみ思っていた。

「ねぶの花、私が来たら咲いたんですよ、たった今。」

悠奈が事もなげに言った。

「ねぶってられないって。フフ。」

「葉は眠るだろうけれど、花はー」

藤熊が苦笑して言った。

「不思議って、もちろんいっぱいあるけれどー」

悠奈が低い位置にある合歓の花に顔を近づけて言った。

「存在が存在すること以上に不思議なことってあるかしら。」

一同はキョトンとするが、MNEMOは微笑を湛えている。

「WittgensteinやHeidegger的な思いだね。」

「芭蕉さんは『造化』って言いますね、存在を存在させるもの。」

「荘子のことばだね。しかし、存在は移ろう。」

「ええ。造化というのはcreationばかりでなく、その被造物のdeathも含む。」

「芭蕉翁の『笈の小文』に有名な詩歌論とも言うべき一節があるね。」

「西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の絵に於ける、利休が茶における、
其の貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化に随ひて四時を友とす。」

「うん。」

「見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし。
像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし。
心花にあらざる時は鳥獣に類す。
夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひ造化にかへれとなり。」

「そこが好きじゃないんだなあ。」

MNEMOが言った。
悠奈はそのことばに雷に打たれたような表情になる。

「夷狄だの鳥獣だのって、ね。
例えば本当に鳥獣は自然を自然として見ていないだろうか。
鳥獣を人間より下と見るのは、もちろん大昔からあったことだろうし、
現代人だって万物の霊長たる自分ら人間の感覚や認知こそ唯一優れているって
思っているんだけれど、それは違うと僕は思うよ。」

悠奈は小刻みに体を震わせている。

「MNEMOさん!」

悠奈はその先は<ゆうな>と言うようにMNEMOの話を遮った。

「MNEMOさん、その先は私に言わせてください。
そうじゃないと、芭蕉さんが私に・・・。」

「ああ、そうだね。ごめんよ、悠奈ちゃん。」

MNEMOは苦笑して頭を少し下げた。

「私はね、芭蕉さま!」

悠奈が踊るように身をクルリと回転させて呼びかけた。
悠奈の西側にいる男どもには、悠奈の背景を成す鳥海の裾野が一瞬際立って見えた。
そして彼女の黒のレインコートがスカートのようにはためいて、
それが暫くの間男たちの網膜で残像となった。

「鳥獣は歌を詠まないじゃないかと言ってしまったら、
じゃあ、例えばウグイスは春の到来を、春風駘蕩を、
初夏の爽やかさを謳歌していませんかって言いたくなるの。
ヒグラシはじゃあ、なぜあんな鳴き方をするんですかって。
晩夏の夕暮れ、あの<メロディー>と音程と、減衰のさせ方は表現じゃないですかって。
なぜ秋の夜、コオロギやスズムシたちはミンミンゼミのように
歌わなかったのですかってね。

彼らの表現を自分の風雅の中に捉えておきながら、
しかし彼らは<心あらざる>ものとしてしまうのはどうしてですかって。」


雨模様の象潟には、ゴールデンウィークに入ったとは云え、他にほとんど誰もいない。
この閑かさはなにより雨のおかげだ。
芭蕉への悠奈の問いは、小雨が降る中でも鳥海山の山腹に跳ね返り、
谺するようだった。


「松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、
地勢魂をなやますに似たり。」

「な、なんだ!?」

粟田が泡を食って叫んだ。
突然天から声が降ってきたのだ。

「ん。そうでもないか。」

粟田が声の出どころを探る。
ケンスキーが徐にポケットを探って、例の牛込の赤城神社ご神木から彫った像を
取り出す。

「え?また郡兵衛さん?」

粟田が言う。

「酒田訛りないだろ。」

MNEMOが言う。

「とうとう・・・。」

悠奈は固唾をゴクリと呑んだ。



<つづく>





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蹉跌集め IV-23 [小説]

23

一行は象潟にいる。
酒田で予定外の時間を費やしてしまい、象潟到着は午後3時に近かった。

国道7号線北上の途上では、ずっと左手に見える日本海が時折の日差しで美しく
輝いたりもし、また右手には鳥海山があと少しで頂も見えるというような時も
あったのだが、概ね曇天で、秋田県との境辺りからは雨もポツポツと降り出した。

悠奈が月山から象潟へ来た芭蕉の逆コースを辿りたがったのは、
まず芭蕉の恋情というものを感じてしまいたいというのがあったからだ。
恋情とは、俳聖が「西施」と「ねぶの花」に見た己のこころである。

一行は秋田県にかほ市に入り、国道から右に折れてしばらく行った後、
眼前に現れた鳥海山の裾野の広がりに嘆声を上げる。

「いやあ〜、羽後だ、羽後、ウゴウゴルーガ!」

粟田が戯ける。

「我が両親の故郷、羽後でございます!」

下山が顔を輝かせて叫んだ。

「ここは由利郡で、私の両親は鳥海山の向こう側、雄勝郡の湯沢ですけれどね。」

「なにしろ、お帰り、Welcome back to Ugoですね、社長!」

粟田が言う。

「うわあ〜、これが九十九島か!」

広大な田園の五月の風に靡く早苗を波立つ海とすれば、そこに浮かぶ数十(実際は
102)のこんもりした木立の点在は正に群島である。

「象潟や ああ、象潟や 象潟や!」

粟田がまたもふざける。

「松島や雄島の磯も何ならずただきさがたの秋の夜の月ー」

MNEMOが粟田とは対照的な声のトーン、そして真面目さで暗誦した。

「芭蕉かい?」

粟田が言う。

「違う。西行だよ。」

「おお!藤原秀郷から8世の大歌人!」

「千常から7世だな。
秀郷さんには千常、千時、千晴、千国、千種、千方と、
少なくとも6人の息子がいて、千時から5世で奥州藤原氏の清衡に行き着く。」

「千晴(春)から蒲生も出るんですよ。」

悠奈が言う。

「千常から実は根本も出ているんだ。6世後にね。」

「と言うことは・・・。」

加賀美が腕を組みながら言う。

「悠奈ちゃんもMNEMOさんも、すさまじく秀郷してますね!」

「僕の場合ー」

MNEMOが言った。

「父親方が根本で、根本は常陸は稲敷の辺りが本貫でね、
母方は前にも言った通り蒲生氏郷會津入りがあって、それについて来たらしい。
さらに母の父方はずばり佐藤でして。婿養子ということで石川になりましたが。

悠奈ちゃんも千常から3世の公光が信夫佐藤氏の祖、お母さんの方が確か・・」

「近江の愛知郡・湖東です。蒲生郡の東隣ですけれど。
蒲生家との関係はよく分かりません。」

「きっとあるよ。」

粟田が言う。

「いつか、今度は近江への旅をしようよ、ね。」

「とにかくだー」

MNEMOが言った。

「西行さんは松島、雄島も象潟には情趣として敵わないと言っているんだよ。
これはまあ、景色的にだろうし、またそこに秋と月が伴っているんだから、もうね。」

「見たかったですね。西行さんも芭蕉さんも見た潟湖だった頃の象潟。」

加賀美が言う。

「潟湖、すなわちlagoonだね。」

藤熊が言う。

「おお!」

MNEMOがうれしそうな声を出す。

「BeatlesのShe Came in through the Bathroom Windowですね!
But now she sucks her thumb and wonders
By the banks of her own lagoon
(でも今彼女は親指をしゃぶって訝るのだ
自分専用の潟湖の岸辺で)ー」

男どもがその歌詞を聴いて、ふと悠奈を見ると、さすがにしゃぶってはいなかったが、
彼女は親指を下唇に当てて、さほど高くない木の下で考え込んでいるようだったー
樹下美人とも言うべきその姿。

「あ〜〜〜〜〜ッ!」

粟田が絶叫する。

「な、なんだ、粟田!」

MNEMOが訊く。

「ねぶの木だ・・・しかも、開花にはまだ早いのに、咲いてるッ!」

「なにぃッ?」

ネムノキの花はふつう6月辺りから開くのだ。
ましてや北国の秋田だ。
この不思議に男たちはしばし呆然とするが、悠奈のことだ、
こんなことで驚いてもしかたがないとも思うのだった。


<つづく>





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蹉跌集め IV-22 [小説]

22

「因縁の結果としての私たちー」

悠奈が木造六角灯台を見つめながら言った。

「そしてその因縁を生かしての、私たちの行動によってつくられる私たちのありようー
それが大事ではありませんか、郡兵衛さま。」

「悠奈さん!」

郡兵衛は感激する。
悠奈は続ける。

「南北朝時代、多摩川矢野口の渡しで、戦場を忌避して丘陵の奥地へ逃げ込み、
後、弔いと祈りの日々を過ごし、子孫に潮音寺と高石神社を創建する者が出てくる。
幕末、佐幕側の義を重んじ、負け戦覚悟で武士の面目を貫き、戊辰から150年経っても
多くの人に尊敬され、<誠>とは何かを今も問い続けさせてくれる。
その、外に容易に開かなかった時代に在りながら、国際的視野を逸早く持ち、
その行動から薩摩藩との縁をつかみ、西郷隆盛の信頼と友誼を得て、
結果として故郷庄内を戦火から守る。

薩摩だ庄内だ、會津だ村上だ、長州だなどと言いながら、
例えば薩摩の島津氏始祖の忠久は、頼朝と比企氏の娘との間の子とも言われ、
関東武士の血筋なのです。

郡兵衛さんの本間家も、出は武蔵七党のひとつ横山党、八王子に今でも横山の名が
残る町があります。

長州の毛利家はもうすでに相模は愛甲郡の出だとMNEMOさんが指摘しました。
愛甲氏という武家もまさに存在し、これも横山党なのですから、
郡兵衛さんとつながるのです。」

「そうだね、悠奈ちゃん。」

MNEMOが頷きながら言った。

「徳川氏だって、まあ仮冒だという指摘はされているけれど、
もし清和源氏の、足利氏や新田氏と同じ流れであり、同じ群馬の太田市世良田の
徳(得)川から発祥したというなら、これも関東武士です。

少なくとも、鎌倉期を起点にすれば、関東武士が全国に飛び散っていったと言えます。
ここ庄内の藩主だった酒井氏だって、松平氏=徳川氏と同族とされるし、
村上藩主だった内藤家は徳川家康の異母弟が祖です。」

「関東に集中していた大名らの種のようなものが、頼朝政権により全国に散り、
蒔かれ、九州の大名、中国地方の大名、征夷大将軍、東北の大名になっていく。」

悠奈が続ける。

「鎌倉以前を考えれば、頼朝の先祖の頼義義家父子が前九年・後三年の役で坂東や
東北に足跡を残し、藤原北家・秀郷の末裔が平泉王国を建てていた。
私は佐藤悠奈ですが、父方は信夫佐藤氏で、奥州藤原氏の家来だったそうです。
これは安倍首相の祖父岸信介さんが実は佐藤家出身で、弟の栄作さんが佐藤を継ぎ
ましたけれど、元々私と同じ福島北部を根拠とした信夫佐藤の血筋だと。

その信夫佐藤の一族が、はるばる長州へ渡り、そこでまた今の岩手内陸や青森南部の
豪族だった安倍宗任の後裔という九州松浦党の流れの安倍氏と縁を持つのですから!」

MNEMOがゆったりとして口調でまとめに入っていく。

「こうした者たちの近現代の後裔たちそれぞれが西だ東だと意識し、
戊辰や明治維新時では、白河以北一山百文などという天に唾するような悪罵を投げつけ、
差別をする。いかに愚かなことか!
朝鮮人や中国人を差別する者たちも同じです。
どうして自分が大陸の血を一滴も受け継いでいないかのようなことを言えるのか。

私はずっと言ってきました、もう30年以上ですー

いろんな花が咲いて、豊かである。
それはとてもいいことだ。
そしてどんなにさまざまな花が咲こうとも、
その花々はみな地球という大地に根を張っている、と。」

「そうです!」

悠奈が声を張り上げる。

「そのことを、もう亡くなって久しい私たちのご先祖たちに訴えるのです!
幸せに生きたご先祖にも、悲しい死に方をしたご先祖にも、
今地球規模を超えて、宇宙的視野を持った私たち後裔たちが、
時間を遡ってご先祖たちにその視野からの訴えをし、ご加護をいただく時です!

膨大な数の死者たちの魂に訴え、共感をいただき、その<気>をいただく!

それが私の旅の目的、そして歌の源泉なのです!」

MNEMOは滂沱の涙を流している。
それは彼の涙でもあり、また郡兵衛の涙でもあった。

他の者たちもみな歌姫の決意に心揺さぶられ、ただ立ち尽くした。


<つづく>





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蹉跌集め IV-21 [小説]

21

郡兵衛の魂が入った木像は芭蕉像の上にホヴァリングしている。
MNEMOは芭蕉像のそばに立ち、郡兵衛の念が発せられるのを待つ。

悠奈は今回の旅では初めての『奥の細道』ゆかりの場に立ち、西を望むと海のように
しか見えない最上川の雄大な河口が在った。

「暑き日を海に入れたり最上川」

自然と芭蕉の名句が口をつく。

もう五月に入っていた。
立夏まではあと五日、しかしもう酒田も初夏のような暑さである。

「どう、悠奈。」

ケンスキーが話しかけた。

「芭蕉さんを感じているかい。」

「ええ。」

悠奈は答えた。

「でも、はっきりということでもないわ。
そしてここではまだ私、芭蕉さんを深く感じたいとは思っていないの。」

「ああ。月山か象潟で、ということだね。」

「悠奈さん。」

MNEMOを通して郡兵衛が語りだした。

「私もな、生前は芭蕉翁の勉強をしたものだ。
庄内藩の下屋敷が深川に在って、藩士の中には門人になった者もいたんだよ。
長山氏はその一人、故郷で行脚中の芭蕉翁を饗応したんだ。」

「そうなんですか。」

「もちろん私はそれから120年後に生まれたのだから、仔細を知るはずもない。
しかし悠奈さん、あなたは12という数字を非常に大切に思っておるのだろう?
芭蕉翁がここ酒田で句を詠まれ120年後、すなわち12年、干支の一回り、
それを10回重ねて私は生まれたのだよ。

夏近し 君と訪ふ 最上川

・・・即興の一句だ。

あなたは私にとって、芭蕉翁の西施に該たる存在だ。」

「おいおい。」

粟田が色めきたって、隣の加賀美に囁く。

「MNEMOが勝手に言ってんじゃねぇか。郡兵衛さんが言っているなら、
ちょっと恋の深まりが早過ぎねぇか。」

「これ、その長髪、髭の壮年!」

郡兵衛が粟田に呼びかける。

「お、お、俺?じゃない、わ、私、ですか?」

粟田は泡を食って返事をする。

「確かに儂、本間郡兵衛が言っておる!」

「す、すみません!」

粟田はシュンとして加賀美の陰に隠れた。

「その『芭蕉翁の西施』とはどなたであったのか、どんな方だったのか、
それを知りたいのです!」

悠奈が言った。

「西施に擬えられた女性を・・・。」

「この悠奈ちゃんのインスピレーション、実はー」

加賀美が声を上げた。

「太平記ゆかりの地巡りを悠奈ちゃんと仲間のバンドがこの冬にしまして、
多摩の丘陵地に在る高石神社へ行ったのです。」

「それは私のインスピレーションに基づいたものでしてー」

MNEMOが口を挟んだ。

「観応の擾乱後、足利尊氏が亡くなって再度挙兵した新田義興軍の中に、
厭戦の思い強く、多摩川から山へ分け入って逃亡した武士がいたと<感じた>のです。
その武士は丘陵地奥の今の高石神社辺りに隠れたのではないかと。」

「そしてその侍こそ私の遠い先祖だと。」

加賀美が言った。

「悠奈ちゃんが、高石神社境内の祠に加賀美の名を見つけ、
さらに神社創建は『承応三年(1654)二月廿一日建立、加賀美金右エ門』とあることを
発見したのです!土着して、そこの有力者になっていたのだと。」

「そこに、なぜか芭蕉翁の、桃青という異名での、

雲の峰いくつ崩れて月の山

の句碑が建っていました。」

悠奈が言った。

「なぜなのだろうって。以来私が追っている謎になりました。
そして、その高石神社にいるまさにそのとき、私のプロモーション・チームの
加賀美さんから電話が入ったんです。私のプロモーション・ビデオを月山と象潟で
撮りたい、しかも、西施のイメージでって!」

「ううむ。」

郡兵衛が唸った。

「私と出会うためだったかもな。」

郡兵衛のせりふに粟田がまたも色めき立つが、すぐにおとなしくなった。

「ま、それは冗談としてもー
冗談ではないのだけれど・・・。

悠奈さん、あなたはなにしろ多くの因縁を抱えている。
いや、あなたばかりではない、この世のどの人間も、膨大な数の祖先の因縁を
抱えている。いや、因縁そのものの結果だと言うべきだ。
しかし、そのことをちゃんと日々感じ、先祖の営みに感謝して生きている者は
本当に少ない。」

「はい。郡兵衛さま。」

悠奈が大きく頷く。

「その高石神社と悠奈さんの直接のゆかりはなかったのかい。」

「実はその後に父母に訊いてみました。
父母は結婚してほんの一時期新宿十二社からその川崎市麻生区の高石神社近くで
暮らしたのだそうです。まもなく私が母のお胎に宿ったと。
初孫可愛さに、祖父母が私が生まれるやすぐに十二社へ呼び戻したので、
私には記憶はなかったのですけれど。」

「いやあ、まいった。」

郡兵衛が言った。

「それだと加賀美さんと悠奈さんの縁も絶大になっちまう。」

加賀美がその言葉に大いに照れるが、

「いや、私は妻一筋ですので、ええ。」

と言ってその場の空気が一瞬乱れた。

「ハハハ。」

郡兵衛は笑う。

「俺はね、加賀美さん。画狂老人卍、つまり葛飾北斎の弟子で、
そりゃもうその筋で多くの人と知り合ってな、甲州の人とも馴染みになったさ。
その中に甲斐源氏であることを誇る者がいて、話を聴いたもんだ。

加賀美遠光の子孫ってぇのは、まあ、立派な武家になったのが多いけれどもな。
ここの東隣は南部だが、南部も加賀美遠光の息子が初代だ。

加賀美の長男は光朝で、秋山郷を拓き、秋山光朝と称したはず。
秋山氏の子孫とは甲州ばかりか、四国でも知り合ったぞい。」

「ええ、伊予松山にはあの秋山兄弟という末裔がおります。」

「うむ。秋山光朝は、壇ノ浦合戦など同じ清和源氏の源頼朝に従って戦いながらも、
敵将の平重盛の娘と恋に落ち、それを後に責められ頼朝に殺された。
その人間味に俺なんかは打たれるなあ、え?そうじゃないかい。
熱烈なんだな、秋山の血は。」

「それを言いたかったんですね。」

加賀美は再び照れて、なんとか話を悠奈のことに戻そうとする。

郡兵衛はこの恋のライバルの純情さに感心するのだった。


<つづく>





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蹉跌集め IV-20 [小説]

20

「そつれまはりおよどしくだべきょきうこだといだ!」

「う?」

郡兵衛とMNEMOの言葉が混ざり合ってしまったのだ。

「すまぬ!」

郡兵衛が言った。

「先に言わせてくれ。それは驚くべきことだ、と。
MNEMO氏にも俺はなにか縁を感じていたが、そういうことか。
清一君の弟は會津で討ち死にしていたか。」

「ええ。」

MNEMOが言った。

「二人の若き長岡藩士の首を刎ねた薩軍の一人として、ですね。
中田、岡村両君は、白鉢巻に紺色の絣(かすり)、白袴姿だったそうです。
私の亡き父が当時のことを知る人々の述懐を調べてそう記しています。
お寺の方丈様がそれを立派な看板にして、今、境内に掲げられています。

前途ある美しい少年や青年たちが、その未来を無残に絶たれる・・・
そんなことだらけの日本だったんです。みな、より良い日本を目指したのに!」

MNEMOはさめざめと泣き始めた。
悠奈はもうすでに泣いていた。

「本当だ・・・。」

郡兵衛が声を絞り出すように言った。

「庄内にも、薩摩にも、俺が回った全国津々浦々、そして欧米にも、
前途有望な、まっすぐで真摯な若者がいっぱいいた。

政敵同士とか言ったところで、じつは枝葉での食い違い、
根本では同じ理想に燃えていた。

そのことを直視せず、大道を共に歩むことで一致せず、関ケ原以来の怨念とか、
安政の大獄の恨みだとか、池田屋や蛤御門の報復だとか、
瑣末なこととは言わないにしても、新国家体制樹立という大目標を抱えた者たちに
しては、あまりにも的外れな確執だった。」

「おそらくあの時代視野の最も広い日本人のおひとりだった郡兵衛さんには
耐え難く狭小なことでしたね。」

悠奈が言った。

「ああ、悠奈殿、あなたという人は!」

郡兵衛がまた感極まり、ケンスキーの掌中の木像は震えだす。

「バイブレーターみたいだな。」

藤熊が不謹慎なことを粟田の耳に囁いた。
粟田は「ガハハ!」と笑って、一同を見回し、すぐに<謹慎>した。

「・・・愛弟子の弟と、俺は、仇の藩の、それも彼らを撃つ銃や大砲購入の資金を
調達した本間家のひとりとして、会うことになってしまう。」

郡兵衛が苦しそうに話を続ける。

「その吉田清二君ばかりではない、
薩軍の指揮官クラスにも私の教え子や知人がいるんだ。

むろん庄内藩にはほとんど親戚・友人とも言うべき人々が多くいて、
裏切れるはずはない。また、愛する酒田が灰燼に帰すところなど、見たくもない!」

「だから、医師が処方した<薬>が毒と知りつつ呷った!
まるでソクラテスのように!」

悠奈がそう言うと、またもや木像が激しく震え出し、
ケンスキーは持っていられなくなる。

木像は床でトン、トン、トンと弾みをつけながら、階段を下り、戸外に出るや
空へ舞い上がった。ホヴァリングして一同が出てくるのを待ち、それを確認すると
まるでついて来いと言わんばかりに西へと飛んで行った。

一同はロケ車に乗り込み、運転手にあの木像を追うように頼む。
運転手は一瞬呆気にとられながらも、すぐに指示に従った。

行き着いたのは、日和山公園だった。



<つづく>





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台風にお気をつけて!

東京は雨降りが続いており、風も出てきました。
いつものように未明、傘をさして多摩川べりを歩きましたけれど、
さすがにすれ違うひとは極端に少なかったのです。

*

台風が沖縄から奄美を通過(お見舞い申し上げます!)、本土縦断とか。
どうかみなさま万全の備えをしてください。

この土日は外に出られない、あるいは出てもおもしろくないこともあって、
『蹉跌』ばっかり書いていますが、おかげさまでもうこの時点で多くの方が
読んでくださっています。

ありがとうございます!


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蹉跌集め IV-19 [小説]

19

「悠奈殿の体に戻りたい!」

郡兵衛が訴えた。
男どもは皆一斉にMNEMOの目を見つめた。
しかしMNEMOは盲目であり、サングラスをしている。
だからしかたなく皆は発汗の具合、顔面筋のこわばりなどを観察した。
そしてケンスキーが手に持つ木像が震えていないかを確認する。

「実にまあ、いい感じだったんだ。戻らせてくれぃ!」

ケンスキーの木像は、目鼻などはついているが、非常に素朴なもので、
よく見ればリンガのようにも見えた。
男どもの口内では固唾が溜まりつつあった。

「服毒の苦しみを思い出してしまう以上、ダメですよ。」

ケンスキーが却下する。

「もう、思い出さないから!」

郡兵衛は懇願する。

「でも、その郡兵衛さんが命を落とした間際のことを語っていただきたいんです。」

悠奈が言った。
MNEMOは木像の声にじっと耳を傾ける。

「庄内藩はな・・・。」

MNEMOを通して郡兵衛が再び語りだした。

「薩摩による江戸での挑発に乗ってしまったろう?
慶喜公が大政奉還して、武力倒幕の根拠を失った薩長だったが、
いきり立つ者は多くいてな。江戸市中で挑発を繰り返し、庄内藩邸でも使用人が殺された。
それもあって、老中・稲葉正邦が三田にある薩摩の江戸藩邸に逃げ込んだ賊を
ひっ捕らえよ、抵抗すれば斬れという指示を受け、庄内藩は、同じ羽州の上山藩などと
共に焼き討ちをした。

藩邸内側は64人死んだそうだ。その中、浪士や使用人が多かったが、
俺が薩摩で教師をしている時分に知り合った生徒が殺されてしまった。
名前を吉田清一と言った。
実に私に懐いていてくれてなあ。」

木像が震え出したが、これは郡兵衛の感極まっている様子だろうと誰もが思った。

「可愛い教え子に薩摩も庄内もあるか!ええ?」

「とても懐いてくれた生徒さんが、故郷庄内藩兵らに殺されたのですね。」

悠奈がやさしく念を押した。

「んだ。まなぐのきれなやろこだった。ほんとにいだましぃ。」

一同はキョトンとする。

「そうだ。目のきれいな男の子だった。本当に惜しい。」

MNEMOが翻訳した。

「俺はわかったけどね。」

MNEMOと同郷の會津人である粟田が自慢げに言った。

「會津弁とそう変わんね。やっぱ行き来があっただなあ、會津と庄内。」

「私も父母の故郷、羽後湯沢の言葉に似ていて、なんかホッとしました。」

下山が言った。

「でも郡兵衛さん、なぜ突然故郷の言葉を?」

「感極まって、コアが出てしまったんだ。」

郡兵衛は答えた。

「焼き討ちは新暦で1868年1月のことだった。その吉田清一の弟が、兄の仇を
取るということで、なんと北陸道を北上する官軍・・・というか、西軍の一員になって
すでに長岡にいるというのが伝わってきたんだ、親しい薩摩の友からよ。
7月初旬のことだった。」

「その弟さんが庄内に迫っている、と。」

「そうだ。會津に行くかもしれないとは書いてあったがな、手紙には。」

MNEMOはそう郡兵衛の言葉を言った後、「うわああッ!」と叫んだ。

「粟田!」

「なんだ、MNEMO。」

「俺らの故郷の、俺んちの菩提寺常楽寺に埋葬された薩軍兵士の名前!」

「え〜?」

粟田は腕組みをして思い出そうとする。

「あの、長岡から逃亡して會津若松に行く途中捕らえられた長岡藩士、
中田さんと・・・。」

「中田良平さんと岡村半四郎さんだ。隣に葬られた薩兵の名はな、吉田清次さんだぞぃ!」

「ゲ〜〜〜〜ッ!」


<つづく>





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蹉跌集め IV-18 [小説]

18

のたうち回る悠奈を押さえながら、ケンスキーがとうとう伝家の宝刀の
ワンド(魔法の杖)を取り出した。

彼のワンドは悪霊に滅法強い。生きた人間にとり憑いた悪霊を釣り上げるのだ。

「うううううぉッ!俺は悪霊じゃないぞ!」

悠奈の中の郡兵衛が咆哮を館内に響かせた。

「あ、あの、あの苦しさを思い出したんじゃ!」

「わ、私も苦しい!」

悠奈が言った。

「とりあえず郡兵衛さん、悠奈の体を去って、これに移ってください!」

ケンスキーがジャケットのポケットから取り出したのは、小さな木像だった。

「何これ?」

粟田が訊く。

「僕の家の近くに在る赤城神社の、2009年の改修工事で伐られた木の破片を
もらって、僕が彫ったものです。」

「赤城神社?」

桐生出身の藤熊が俄然反応する。

「牛込の赤城神社は、赤城山の南麓に勢力を張った、藤原秀郷の子孫大胡氏が
鎌倉末期に創建したんですよ。ただし最初は早稲田に。」

ケンスキーがスラスラと言った。

「また俵藤太、藤原秀郷さんか。」

加賀美が呟く。

「太田道灌が後に現在の地に移したらしいですよ。」

ケンスキーが続ける。

「低地の早稲田から今の牛込赤城町の高台に。
そんなんで、僕の家が在る矢来町に近づいたんですが。
まあなにしろオオムカデ退治で有名な藤原秀郷の子孫の大胡氏が、
日光二荒山が大蛇で、それと戦ったオオムカデの赤城山を信仰したって
いうのはおもしろいですけれどね。」

「僕は流山で生まれ育ったんですがー」

下山が言った。

「流山にも小高い山に赤城神社がありましてね。この小山は島だったそうで、
江戸川を流れてきたと。それも赤城山から、と。だからここを流山と言うんです。」

「そうですか、社長。」

粟田が言った。

「流石ですね。」

このシャレに気づく者はいなかった。

「そんなこと言ってないで、早く悠奈さんを楽にしてあげないと。」

加賀美が強い調子で促した。

「ええ、ええ。」

ケンスキーがまるで指揮者のようにワンドを振って、木像に郡兵衛の霊を移す仕草を
する。

「そんなんでいいの?木像じゃ喋れないよね。」

粟田が心配する。

「ハハハ。」

ケンスキーが笑う。

「神社の杜の木は、それはそれは霊験あらたかなんですよ。
発声しても不思議はないんですけれど、郡兵衛さん、赤城様とはご縁はないでしょう
から、この際、花や木と話せるMNEMOさんに通訳してもらいましょう!」

悠奈はもはや苦悶の表情を浮かべてはおらず、しばらく仰向けで天井を見つめていたが、
スッと立って、木像を凝視した。

「悠奈はいい!いい女だ、実に。」

MNEMOが言った。

「いや、私が言ったんじゃないです!」

MNEMOは赤面して叫んだ。

「郡兵衛さんがそう言われているんです!」

「わかんないじゃん!」

粟田がツッコんだ。

「郡兵衛さんにかこつけて、お前、告白してんじゃねぇの?」

「勝手な通訳すると、木像が震え出しますから、分かりますよ。」

ケンスキーが言う。

悠奈も顔を紅潮させていた。



<つづく>





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蹉跌集め IV-17 [小説]

17

資料館の二階へ悠奈は上っていく。
男どもは、入場券を売った人懐こい職員の「どちらから来られたんですか」という
問いに答えてから、そのまま談笑を始めた。
2分ほどの間があって、皆が二階へ行くと、悠奈がまたボソボソと<誰か>と
話している。

「ま、まただ!」

粟田が声を小さくしつつも叫ぶように言った。

悠奈は本間郡兵衛の展示の前に立っている。
ブツブツという声は、さすがに近づけば明瞭に聞こえた。
悠奈は<独りで会話>をしていた。

「Cosmpolitanという英語があろう?

ーええ。さすがはジョン万次郎さんとお知り合いで、フルベッキさんから本格的に
英語を習い、薩摩では英語教師だった郡兵衛さんですね。
江戸時代の人の発音とも思えません。東北人は曖昧母音の「ə」が上手だから。

「フルヘク」と俺は言ったなあ。長崎に九年、彼から英語と西洋事情を習ったが、
俺が彼に日本語を教えた。酒田弁の訛りに困ったそうだが。ハハハ。

コスモポリタン、俺はそれを目指したんだ。庄内人でもあり、長崎人、
薩摩人でもあり、むろん漢籍も勉強したから華人であり、文久二年には欧州にも
アメリカにも行ったしなー
なにしろ蘭学が事始め、そういうことで西洋人でもある。

ー絵もお上手だったんですね。

北斎先生の弟子の末席を汚した。絵はいいなあ、国際語だ。英語よりも通じた。

ー碩学、博覧強記、多芸多才、versatileな人・・・。
確かに幕末に郡兵衛さんほどのコスモポリタンは日本にはいなかったでしょうね。

だから、嫌んなっちまったのさ。薩摩で英語教えたから、株式会社をこさえたからって
間者扱いだ、故郷でよ。

俺だって本間のひとり、その本間家が庄内藩の軍近代化の資金を出していたのも
もちろん承知、俺が願ったのは平和的解決だ。当たり前だろ、俺の故郷と
俺を重用してくれた薩摩が血腥いことになるのを望むべくもない。

ーええ。それはそうですね。その、間者扱いされ、幽閉もされていた時に、
なぜ郡兵衛さんは薩摩藩・島津家の紋入りの羽織を着て外出したりされたのですか。

ま、半分ヤケだな。
にっちも<さっつま>行かなくなって、<しょーない>、っつてな。

ーあら。

島津も酒井もないだろって。庄内も薩摩もないだろって。
みんな日本列島に住む人間同士だろ、まとまって、国力つけてな、
そしてエゲレス、フランス、オランダ、アメリカとかと渡り合って行けばいいんだ。
列島には優秀なのがゴマンといるんだからな、俺はいっぱい知り合ってきた。
西郷さんという日本一の豪傑、北斎先生という日本一の浮世絵師が筆頭だ。

そして欧米列強を敵にすることもない。
日本の良さを発揮して、国力さえつけていけば、きっと和洋折衷のなにかが生まれ、
それらが延いては世界のためになるのだよ。

ーすばらしいです、郡兵衛さん!

でもな、慶應4年、1868年の7月、上野戦争で彰義隊が壊滅、
さらに長岡が落とされて、いよいよ戦火が村上、庄内に迫ってきたのさ。
16日には村上藩主の内藤信民さまが自害、その噂はすぐに庄内にも届いた。
そして鳥居三十郎さんら抗戦派が庄内藩領に逃れてくるのも確実だった。
そうなれば、俺は庄内と薩摩の板挟み、どっちに行ったって裏切り者だろうて。

ーだから、庄内にいる限りは庄内の敵の薩摩の羽織を着て?
もし薩摩にいたのなら、庄内藩への恩赦を声高に言っていた?

まあ、そういうことだな。

ー毒殺説は本当なのですか?」

そう悠奈が悠奈に、否、彼女の中の本間郡兵衛に質問した途端、
悠奈は突然床に転げ、もんどり打った。
一同は呆気にとられつつも、悠奈を抱き上げて介抱する。


<つづく>






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宮城<賢>人からのお励まし

Twitterでつながった宮城人の猫足さんという方がいらっしゃいます。
大昔私がパーソナリティーだったFMラジオの番組でゲストに来てくださった
(今考えると本当にもったいない、かたじけないことでした!)鈴木祥子さんの
大ファンでいらして、鈴木さんの歌と詩の世界をこよなく愛する方なのです。
映画、小説にも非常に造詣が深く、そして時に強烈な下ネタをかます実に
interestingなその猫足さんが、

<「蹉跌集め」、どんどんはまりつつあります。私の知識が追いつかないですが、
戯曲の諧謔に触れている喜び。
羽前羽後に在りながら、日本のあちこちが画面遷移する映画的気配!

「蹉跌集め」のタイトルから惹かれてますが、どこに着地するのか楽しみです。
21世紀の新日本紀行。ヒロインの存在も楽し。
次のアップ、お待ちしています[\(^o^)/]>

と書いてくださって、感激。

今日は「蹉跌」を書いている暇はありませんけれど、
こうして声援をいただける幸せを噛みしめて、そして猫足さんのような<お目が高い>
読者様がいらっしゃることをさらに意識して(ちょっと震えるけれど)、
楽しくおもしろい物語を書き継がねばと決意したことでした。


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蹉跌集め IV-16 [小説]

16

酒田の歴史資料館は大きくはないが、市の誇りを感じさせる施設だ。
庄内藩の本拠は南隣りの鶴岡市に在ったが、ナビで検索しても歴史資料館はないようで、
山形庄内地方の事情はよく知らぬものの、酒田の方が歴史に関する意識は高いのでは
ないかと一同は思った。

もしかすると嘱託の職員なのか、老人と言える男性が入館料を慇懃に徴収した。
特別展は酒田の豪商本間家の一員、本間北曜(郡兵衛)についてのもので、

「本間家って、日本一の地主だった大豪商ですよね」

と加賀美が言った。

「佐渡本間氏の直接の流れでしょう。」

MNEMOが応えた。

「新潟には本間さんが多いけれど、元々神奈川は愛甲郡本間村の出らしい。
鎌倉期佐渡国守護になった北条氏の支流大佛(おさらぎ)氏の守護代で佐渡へ行き、
長尾氏に与して守護になった。」

「詳しいな。」

粟田が言った。

「俺の姉が本間姓になったから、調べたんだ。」

「ああ、百合子さんね。旦那んちは確か豊島区の南長崎だったよな。」

「父親は正に佐渡の出身だったんだ。」

「そうなんだ。じゃあ、その守護の血筋?」

「そりゃわからん。まあ、元を辿れば少しは繋がっているかもな。」

「しかし元々愛甲郡じゃ、僕んちの近所ですよ。」

加賀美が言った。

「依知村らしいから、今の厚木だね。」

MNEMOが言う。

「愛甲郡の愛甲って<鮎川>の転らしい。
なにしろここは鎌倉に近いから、半農民の兵がいたんだね。
毛利だって実はここが本貫で、毛利荘から後に中国地方に行く。」

「ということは、後の長州藩の・・・。」

「そういうことです。」

「藤熊さんのご先祖の藤倉氏は蘆名の一党、蘆名は元々横須賀でしょ?」

粟田が言う。

「相模国からはいっぱい武士が出てんですね、やっぱ、鎌倉があったから。」

「で、本間家です。
三代目がすごかったらしくて、名前は本間光丘。笑っちゃう。
僕の姉、今光が丘に住んでるんです。」

MNEMOが言うと皆笑ったが、悠奈はあるポスターに見入っている。

「荘内南洲会て。」

悠奈が呟く。

「南洲てのは西郷隆盛でごわんど。」

MNEMOが戯けて言った。

「なしてこげん奥羽越列藩同盟の、最後まで戦った藩の内のひとつが敵将の西郷を
顕彰するんでごわすか。」

粟田がいい加減な薩摩弁で言った。

「とにかく會津や酒田などを殲滅したい長州藩を抑えて、酒田の街を戦火から
守ってくれたのが西郷さんだったんだ。」

MNEMOが答えた。

「ほお。つまり、勝海舟と江戸城無血開城を成功させたことからも言える、
西郷どんはできるだけ流血は避けたいという姿勢の一環かい?」

「左様でごわす。」

MNEMOが言った。

「會津人には、蛤御門の変までは共に幕府側で戦った薩摩が寝返ったことに猛烈に
憤る者がいるだろ。長州は徹頭徹尾敵だったから、ある種清々しいけれど、と。」

「ああ、そういう人いんなあ。」

粟田は今度は會津弁で応えた。

「でも、長州は本当に徹底的に『賊軍』を叩きのめしたいということだったらしい。
特に大村益次郎は強硬だったというぜ。酒田も會津同様格段に石高を下げて転封させ
なければならないとな。しかし薩摩の態度は大きく違っているんだ。
それは偏に西郷さんの器の大きさそのものの反映だった。」

「なるほど。」

粟田は「西郷隆盛特別展示」のポスター写真をまじまじ眺め、一礼をした。

「だったら會津攻めも思いとどまって欲しかったなあ。」

「東征大総督府東山道先鋒参謀は板垣退助だったんだ。
西郷さんは東征大総督府<東海道>先鋒参謀だった。
ただな、西郷さんが酒田を助けたのは、この本間郡兵衛の存在あってだろうと。
本間郡兵衛は薩摩で大いに活躍してて、英語を教えたり、日本初の株式会社を
薩藩が立ち上げるのに貢献したりしたって。」

MNEMOが言う。

「そうなんだ!」

粟田が感激する・

「しかしなあ、『東征』って・・・。おい、神話時代の話かいって。」

藤熊が呆れて言った。

「昔っから東国は西国から攻められる運命だったんですかね。」

MNEMOがボツっと言った。

「今度は逆よ。」

悠奈がきっぱりと言った。

「東から西へ、攻めるの・・・武器はギターよ。」

男ども一同はゴクリと唾を呑み込んだ。



<つづく>




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『蹉跌集め』執筆中の余録

『蹉跌集め』が、Twitterをやる前に比べ今は俄然その読者が増えており、
本当にありがたく思うのです。

なにしろ『トーホグマン』と同工異曲の物語ではあります。
荒唐無稽なところも多々あり(これは物語なのだから大抵は当たり前、
ないしは許容されるべきところですけれども)、また縁、地縁、因縁とかの説明に
費やすところも多く、そしてそれを説明したところで何があるんだっていう
隔靴掻痒感を私も覚えないことはないのですが、正にその疑問にどうすっきり答えて
物語を終えるのかが私なりのささやかな挑戦です。

*

実はすさまじい愛の物語を書いてみたいという願望があります。
「愛の物語」って何だ、という感じですが、まあ、恋愛ものですね。
『冴え返る』が中途になっていますが、あれはその試みの中のものでした。
しかし、なんだか行き詰ってしまった。
抑制がかかってしまうんですね、<すさまじい愛>を表現するという段で。

それが私の今の限界なのだと思えば、その通り。


音楽についても同じようなことがあります。

RAJOYではまずとにかく、唯一の戦争被爆国であり、また原発過酷事故当事国という
この日本に生まれ育ち暮らす者として、そう長くない音楽人生の最優先的なモチーフを
平和にこそ求めようとしてきたわけです。

愛の歌だって、実はいくらでも発表し得る。
優先順位だけの問題だったんです。

ところで、RAJOYは今、各メンバーのそれぞれの事情でフル稼働がとてもできない
状況で、録音環境やコンサート開催に漕ぎ着けるバンド環境的にも少し整備には
時間がかかってしまう感じなのです。

残念ですけれど、誰の怠慢でも責任でもなく、諸事情が許さないというところ。


私が『蹉跌』を今その創作意欲発揮の焦点にしているのは、
来たるべき(早く来て欲しい!)音楽活動再開の折、音楽的にも大きなモチーフになり
うると確信してのことです。

幸い『蹉跌』には恋愛話が織り込まれる余地もあります。(笑)

硬軟両様、という言い方は変かもしれませんが、
私の荒唐無稽な文学(?)上の創作と歌世界が一致する時を必ず迎えたいと
念願しているところなのです。



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蹉跌集め IV-15 [小説]

15

ロケ車に乗って藤熊が切り出した。

「『柘榴坂の仇討』、この前見てさあ。井伊直弼の近習が、直弼の人間に惚れて、
桜田門外で主君が殺された後、行方知らずになった暗殺実行犯の水戸脱藩浪士を
追い続けるって話でさ、浅田次郎のフィクションでね。」

「浅田さんは、『壬生義士伝』もそうだけど、佐幕派寄りの作家ですかね。」

加賀美が応じた。

「うん、そうかもしれないけれどね。」

藤熊は続ける。

「井伊大老と云えば安政の大獄、安政の大獄と云えば井伊直弼だ。
しかし、しかしだ。浅田次郎もその逃亡水戸脱藩浪士に言わせているが、
井伊の開国、次に国力充実、後にアメリカと渡り合うという構想は結局明治政府が
とった政策そのものだった、と。

蒙昧なのは水戸の攘夷一辺倒の徳川斉昭だった。
彼が息子の一橋慶喜を将軍にして幕政を壟断すれば手酷いことになると井伊は
思ったのだよ。」

「藤熊さんは井伊家の領地があった下野や上野ー
その上野桐生・根本山神社宮司の末裔ですものね。直弼シンパになるのは必定。」

MNEMOが言った。

「そうなんだよな。」

藤熊がしんみりとした口調で応じた。

「直弼は『ちゃかぽん』と渾名されたんだよ。つまり、茶道と歌道、そして鼓を嗜んだ
風流人としてな。もちろん直中の十四男坊で、他にやることもなかったという事情も
あったかもしれないけれど。普通有り得ぬ十四男坊の家督相続という段になって、
彼は十五万両を侍、農民に分け与えたんだ。いかに彦根藩を支えてくれる者たちへの
感謝の念を忘れていなかったか、ということさ。」

「知らなかったなあ。」

粟田が感心しきりに言った。

「吉田松陰すら直弼を名君と讃えていたんだ。」

藤熊が続けた。

「根本山神社は井伊家のそれはそれは大きな加護をもらっていたんだ。
関東一円に根本山講ができるほどの隆盛を見た。
井伊家の勧めもあっていよいよ江戸開帳となった時に、桜田門外の変があり、
中山道だかで途中まで来ていた俺の先祖たちはそのまま帰ることになった。」

「直弼の十五万両の下賜っていうのは当然上州や下野の民百姓にもあったでしょうね。」

MNEMOが言った。

「ああ、そうだよ。だから皆、井伊家を本当に慕った。
佐野の天応寺で直弼は祀られている。むろん、俺の実家、つまり根本山神社でも
井伊家を厚く尊崇している。

井伊家菩提寺は世田谷の豪徳寺だが、
豪徳寺と彦根の天寧寺で彼が供養されるのは当たり前としても、
例えば横浜の掃部山公園には日本を開国した彼の英断を讃えて像があるだろ。
なんと水戸にも妙雲寺という寺に彼の慰霊碑があるそうだ。

そして何よりー」

藤熊は一呼吸置いた。

「俺はMNEMOっちゃんと同じ狛江市に住んでいるけど、
俺んとこは猪方という地区に包摂される駒井というところでな。
この猪方、隣の岩戸、MNEMOっちゃんが住む和泉も彦根藩領だったんだよ!
俺んちの近くの小さな神社の祭神はなんと井伊直弼なんだ!」

「藤熊さんー」

MNEMOが呼びかけた。

「荏原郡の世田谷、弦巻、用賀、瀬田、上野毛、下野毛、野良田、小山、
多摩郡の八幡山、大蔵、鎌田も含まれていましてねー」

「どええええええッ!」

粟田が腰を抜かしたかのような驚嘆の声を上げた。

「オメや俺のゆかりの地ばっかじゃん、なあ、MNEMO、ええ?」

「でも、なにしろ藤熊さんだろ。
井伊家の庇護をいただいた根本山神社宮司家の子孫で、しかも、どういうわけだか
旧・猪方村に家を建てられたわけだから。知らなかったんですよね、藤熊さん。」

「知らなかった。」

藤熊は改めてその事実を噛みしめているように、ゆっくりと言った。

ロケ車は酒田市立歴史資料館に着いた。



<つづく>





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2018 長月雑記3

昨日秋分、そして今夜は中秋の名月。
時の矢は疾し。

東京は温度はさほどでもないけれど、湿気がひどい。
名月もきっと見ること能わずとなりそう。

*

月曜の振り替え休日が続くけれども、私には関係なし。
体調がやはりこういう寒いような暑いような日々には下降してしまう。
そんな中でも一応労働せねばならぬ。
しかし憤懣持ってというようなことでは決してない。
やる以上、やらせていただく以上、全力だ。

*

昨日は久しぶりに治雄ちゃんと連絡を取り合った。
「MNEMOちゃん、ソロでコンサートやったらいいのに。協力するよ」との
うれしい言葉。RAJOYでは大袈裟(?)になるけれど、私の自らによるギター1本
伴奏を基本に治雄ちゃんが協力してくれるという<ささやかな>ギグ。

ただ、そうした「ギター1本で歌」の録音をいくつかやってみて、
それをアップしてからやりたいというのがあるんです。

NYのやすさんに請われた「愛の歌」が多く歌われるギグになるかな?
そんときはやすさん、またNYから来てくれぃ。笑



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蹉跌集め IV-14 [小説]

14

「藤熊さんは、あの猪苗代兼載が出た蘆名氏に連なるんじゃなかったでしたっけ?」

ケンスキーがトーストを頬張りながら言った。

「『トーホグマン』で読みましたよ。」

「そうなんだよね、MNEMOっちゃんの説によると。」

「蘆名の分家、猪苗代一族の末裔に野口英世がいるんでしょう?」

「みたいだね。ウチは麒麟山城を任されたやはり蘆名から出た藤倉・金上の末裔だって
いうのがMNEMOっちゃんの説でね、藤熊ってぇのは、蘆名を滅ぼした伊達政宗の
追っ手から群馬の桐生の山ん中まで逃げた時、一字だけ変えたっていうんだ。」

「なるほど。」

「それに偶然なのか、その桐生・根本山神社ー」

MNEMOが言った。

「これは藤熊さんのご先祖が、その頃會津だった今は新潟県東蒲原郡阿賀町の麒麟山城
から逃れてきて、その神社の宮司になっていくんだけれど、なんと近くの沢に架かる
橋が藤熊橋っていうんだよね。

僕の姓は根本でしょ。根本山神社って出来過ぎ。
麒麟山城は僕の田舎からも遠くないしね。
で、東京で僕が出会った恩人の音楽ディレクターの藤熊さんは、
僕の故郷會津は耶麻郡猪苗代の連歌師猪苗代兼載ともつながる蘆名一族で、
しかも野口英世もつながるんだけれど、まあ、なにしろ、連歌師兼載を出した
蘆名の血が藤熊さんにも受け継がれているということだね。」

「根本山神社の祭神は何なのですか?」

悠奈が訊いた。

「これが大山祗命なんだよ。」

MNEMOが答えた。

「僕の田舎は、なにしろまず町の4キロ奥に大山祇神社があって、
これに徳一さん、すなわち恵美押勝=藤原仲麻呂の子で、法相宗の僧侶が會津などの
今の福島県に多大な足跡を残したんだけれど、この方が大山祇神社の中間点みたいな
ところに如法寺を創建したのが大同二年、807年のことでね。

そしてずっと後年越後街道などが整備されてく中、どういう経緯か西国の人々が来て、
その街道沿いに住むようになり、熊野神社を建て、西国三十三所御詠歌を歌う
町人衆となっていくんだね。これがまあ、室町時代の終わり頃かなあ。」

「その時期に、私のご先祖紀州出身の、鈴木九郎も奥州に来て、
金の採掘で大儲けするんですね。」

悠奈が言った。

「鈴木は、その西国三十三所の一、二、三番札所の寺が三つとも和歌山に在って、
それぞれ青岸渡寺、紀三井寺、粉河寺を厚く信仰していたといいます。
なにしろ熊野様と切っても切れない寺院ですから。」

「うん。」

MNEMOが頷き、悠奈の方へ身をぐっと乗り出した。

「悠奈ちゃん、あのね、僕の母方は石川という姓なんだけれど、その會津での始祖は
どうも蒲生氏郷が會津太守になって黒川ー それもすぐ氏郷が改名して若松になるんだ
けれどー その黒川に入ってきた時に共に近江から来たらしいんだよね。
あるいはそのすぐ後、やはり近江人の石田三成の一族が、三成が討たれた後、
會津に入っていた同郷人を頼って来たらしく、その石田さんは一字変えて石川とした
らしい。なにしろその後の會津は家康の家来たちが治めることになったからね。

最近、この我が母の石川家石田三成一族説を知ったんだけれどね。」

悠奈は驚愕の表情を浮かべている。

「ね、MNEMOさん・・・以前も言ったかもしれませんが、私の母方も近江でして、
旧・湖東町、今の東近江市出身なんですよ。」

「うん。なんか聞いたことがあったと思うよ。」

「また共通点が!」

「そうだね。すごいね。」

「悠奈ってMNEMOさんと前世で何があったんだろうね。」

ケンスキーがボソッと言った。

「悠奈ちゃんと出会わせてくれたケンスキー君とはどうなのかね。」

MNEMOが言った。

「みんな、すごい縁だわ。」

粟田が締め括るように言った。



<つづく>





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蹉跌集め IV-13 [小説]

13

なぜ悠奈はまずは象潟行きと決めたのか。
芭蕉の追体験というのなら順序は月山が先だ。

雲の峯幾つ崩て月の山

芭蕉は月山でそう詠んだ。
そして湯殿山では、

語られぬ湯殿にぬらす袂かな

と詠んでいる。
そして鶴岡、酒田を経て、象潟で、

象潟や雨に西施がねぶの花

と作句するのだが、悠奈はあえて逆を辿ろうとしているのだ。

「なぜ芭蕉翁は象潟に西施を見たのか。ねぶの花、つまり合歓の木の花に、
どうして触発されたのか、それをまず直観したいの。その直観から演繹的に湯殿山、
月山での行動を決めたいの。そんなに時間はないから。」

悠奈はそう言っていたのだった。



朝になって、みなが朝食の場に現れた。
テーブルを囲んでみなはまずコーヒーを啜った。

「あー、うめッ!」

粟田が言う。

「キリマンが入ってるな、これ。」

「ちょいと酸味が?」

加賀美が聞く。

「ブラジルが酸味の抑えに入っているだろ。6.5 : 3.5だな。」

MNEMOが言った。

「盲(めしい)になってから、味覚・嗅覚が優れたか。」

粟田が言った。

「聴覚と、あと第六感も優れてくれりゃいいけどな。」

MNEMOがそう言って「ふふ」っと笑う。

「悠奈ちゃんてさー」

粟田が瞼が少し腫れているように見える悠奈に声をかけた。

「その場に行かなくたって、特定の霊と交信できるんじゃないの?
それくらいのパワーがありそうだけれど。」

「それは、その霊が私を求めた時です。」

悠奈が即答した。

「私がお会いしたい時は、そのみたまが念を強く残しているところに行かねば
ならないんですよ。」

「そっか。」

粟田は納得して、二杯めのコーヒーを淹れに行った。

「象潟、思い通りに雨模様だよ。」

ケンスキーが言った。

「現代の歌姫が、江戸の俳聖に会いに行くんだな、同じ雨の象潟で。」

「でも、芭蕉翁がいらした時は、象潟は松島に並び称される海と島の景勝地だったわ。
その後地震で隆起してしまって、田圃の中の島々という風情よ。」

「僕も行きましたよ、昔ね。」

MNEMOが言った。

「でも田圃に浮かぶ九十九島はやはり絶景だった。
僕が行った時も雨でね。興奮したよ、やっぱりね。雨に西施が、だしね。
合歓の花もちゃんと咲いていたよ。感動だった。
ずっと雨だったけど、一瞬天気雨になったりね。
鳥海山も頂上は見えなくとも、山裾が見えてね。
辺りは誰もいなくて。」

悠奈は俄然興奮しだす。

「やっぱりMNEMOさんは招かれていますね!」

「え?」

「合歓の花が咲いている頃に行こうなんて思って行かれたんじゃないでしょう?」

「うん。たまたまそのときに・・・夏休みだったかな、取れて。」

「忘れてませんよね、MNEMOさん。」

「ん?」

「私たちの共通点。」

「ああ。もちろんだよ、悠奈ちゃん。熊野社が産土神であること。」

「そして?」

「信夫佐藤の血筋、すなわち藤原秀郷、奥州藤原氏の末裔であること。
それゆえに芭蕉翁がその歌枕を辿った秀郷九世の西行=佐藤義清と同族。」

悠奈は天使のようなとしか形容できない笑みを浮かべた。
男どもは皆息を呑むほどの美しさだった。

「西行を慕った芭蕉翁のお導きか。」

MNEMOがしみじみ言う。

「でも、西行自身は松島には行ったけれど、象潟までは来てましたっけ。」

加賀美が言った。

「松島から西行すればよかったのにね。」

粟田が戻ってくるやシャレをかました。

「来ていましたよ。平泉経由で。」

悠奈が言った。

「そうだよね。確か、

松島や雄島の磯も何ならずただきさがたの秋の夜の月

って歌っている。」

MNEMOが諾った。

「その遠い子孫の悠奈ちゃんも歌ってみろ、ってことか。」

悠奈は少し大袈裟なくらいに頭を縦に振った。


<つづく>





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One of These Nights Forever

今朝は東京も20度を下回って、夏の装いでははっきり寒い。
雨も昨日から降り続いており、躊躇はちょっとしたけれど、外に出た。

この頃YouTubeで必ず聴くのがEaglesのOne of These Nightsだ。
今更ながら私はEaglesではこの曲が一番好きかもしれない。
自分のことで「かもしれない」と言うのはおかしいわけだけれど、
Pretty Maids All in a RowTry and Love Againが一番かも知れず、
ということがあるからなのだ。



末期、どれか1曲のみ聴けるということになったら、感傷的なPrettyではない気がする。
Try and Love Againは来世ティックでいい感じだ。
でも、純粋に音楽=歌として、One of These Nightsが聴きたいと思うのではないか。

この曲を初めて聞いたのは部屋で聞いていたラジオでだったけれど、
あまりにカッコイイので、ずっとその後打たれたままだった。
その数日後3つ上の兄貴と新潟(亀田町)まで夜のドライブをしている時に
この曲がラジオで再びかかって、狂喜、そして決定的にmusicianになりたくなったのだ!
そのときは高1だったか、高2だったか・・・。

Ooo
Someone to be kind to
In between the dark and the light

なんてところの、特にRandy Meisnerの声にはもう、なんというか、
痺れるというか、ほんとに<あの世に行っちゃう>くらい冥界誘い的だ。
と言いつつ、なんか抹香臭いというのではないのだ。
エロス&タナトス、なのだなあ。

満月とか、月が出てる秋の夜になんか聴いたら、
もうほんとに、「ああ、このままこのコーラスを聴きつつ逝きたい!」って
ふと思ってしまう。

ちょっと調べたら、Co-ComposerのGlenn Freyがこう言っている!

"We had Don Henley's voice, which allowed us to go in a more soulful direction,
which made me exceedingly happy ... A lot of things came together on
One Of These Nights – our love of the studio, the dramatic improvement
in Don's and my songwriting.

We made a quantum leap with "One Of These Nights."
It was a breakthrough song.
It is my favorite Eagles record.
If I ever had to pick one, it wouldn't be "Hotel California";
it wouldn't be "Take It Easy."
For me, it would be "One Of These Nights."

ああ、そしてGlennはもう逝っている。


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2018 長月雑記2

「安ちゃん」こと関根安里くんが、「劇伴」を昨日納品して爽やかな今日という日を
うれしく迎えているようだ。
詳しくは情報リリースされてからまた。

彼の才能が<まっとうに>発揮される環境を与えてくださった全ての人々に感謝したい。
とは云え、まだまだだ。
その「劇伴」が評判を呼び、同様の仕事が次々入ってくるといいね。

*

私はこの頃音楽はさっぱり。
とは云え、未明にYouTubeで好きな歌に合わせて唄ってはいる。
これはこれで至福の時間。

あと半年以内で歌入れが常時できる態勢をつくるつもり。
無理して(そして間違って)買ったMartin D-45を弾きながら、
シンプル無比にどんどん録音していこうと思っています。
そしてRAJOYのメンバーの都合のいい時に、overdubbingしてもらったり。

RAJOYメンバー全員が音楽専一の態勢に入れる日を夢見て。



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蹉跌集め IV-12 [小説]

12

「酒田までどのくらいかかるかな。」

藤熊がロケ車に乗り込むや否や運転手に言った。
聞けば、日本海東北道は未完成で、途切れ途切れであり、
結局国道7号線を使うのがよく、それだと最長3時間はかかるかもしれない
とのことだった。

酒田にホテルがとってある。
翌日酒田を少し巡ってから、一路象潟へという計画だったが、
どうにも天候が怪しいのである。
それでも悠奈は、芭蕉が象潟へ行った新暦での8月1日は雨だったこともあり、
当初から雨の象潟を望んでいた。

「月山の日も雨だと困るね。」

藤熊が悠奈に言う。

「それも一興かもしれません。」

悠奈が応えた。

バスが新潟と山形の県境辺りまで来たときに、粟田が、

「悠奈さん、村上城でのこと、どのくらい覚えているの?」

と訊いた。

「最後の方さ、島田さんとかという人に憑依されていたでしょ。」

「憑依というと無理やり入られる感じがするでしょう?」

悠奈が言った。

「島田さんは、声を出させて欲しいって、ちゃんと言ってきたし、
入られる時は少し苦しいんですけど、島田さんが話されている間も私はちゃんと
私という意識はあったんですよ。」

「そうなんだ。」

粟田が感心したように言った。

「MNEMOが昔ブログで書いていたんだけど、『若巫女』っていう題の記事ね、
<若>という漢字が、なぜ<あたかも>や<もし>っていう、
英語で言えばas ifやifの意味にもなるかっていう論考みたいな書き物でさ。」

「あ、それ読んだかも!」

ケンスキーが言った。

「<若>は白川静の説だと若い女性が髪をなびかせて祝詞を入れる容器の<口>、
つまり<サイ>のそばで踊っている姿の象形文字ということになるんでしょう?
つまり巫女さんであって、巫女さんは若いからyoungの意味になったけれど、
そのとき、巫女さんは天からの言葉を伝える役目を持ち、その言葉を発すると、
<あたかも>神のようになるから、as ifの意味も生じたって。」

「そうなんだよ。よく読んでるねぇ。なあ、MNEMO。」

粟田が声をかける。

「うん。ありがたいね、ケンスキー君は本当に私のことに関心を持ってくれる。」

「悠奈ちゃんは現代の若巫女だね。」

粟田がそう言うと、

「私、十二社の熊野神社で巫女をやったことがあるんですよ」

と悠奈がにこやかに言った。

「そうなんだ!へぇ〜。」

一同が顔を見合わせながら感嘆の声を上げる。

「ちょっとだけですけれどね。初詣のバイトです。」

「でも、悠奈ちゃんのことだから、なんかあったでしょ。」

藤熊が訊く。

「ええ。」

悠奈は肯定だけして、その後何も言わない。

「どんなこと?」

藤熊がさらに尋ねたが、悠奈は、

「月山に行って後にお話しします」

と言うのだった。


酒田のホテルに着いたのは午後9時半だった。
途中で国道脇のラーメン屋で食事をしたこともあって遅くなったのだ。
チェックインをし、それぞれがシングルの部屋に入って行ったが、
MNEMOだけはケンスキーとツインの部屋に入った。

「悠奈、やっぱりただもんじゃないですね。」

部屋に入るなり、ケンスキーが言った。

「ケンスキー君だってただもんじゃないじゃない。」

MNEMOが笑って応えた。

「そういうMNEMOさんだって!」

ケンスキーが笑って言った。

「いや、僕なんかはただ霊を感じられるというだけのことだよ。」

「それでもMNEMOさんはその霊にだって自分の世界観を披瀝しちゃうし、
納得させちゃうんだからなあ。」

ケンスキーは心底感心しているという風に言った。

「んー、まあ、人間としては本当にまだまだ浅薄なんだけどねぇ。
悠奈ちゃんは、輪をかけてすごいよ、でも。巫女さんだけれど、さらに、
なんと言うか、女神って感じじゃない?」

「ええ。」

ケンスキーは買ってきたボトル入りの茶をグッと飲んだ。

「悠奈、あんな子じゃなかったですよ、でも。つい最近までね。
確かに不思議な魅力のある子だったけれど、なんかね、やっぱりMNEMOさんや
木野先生にお会いしてからかなあ、俄然すごいことになってきたんですよ。」

「じゃあ、木野先生のおかげだよ、そりゃ。」

「スイッチが入ったっていうか。」

「いや、それはこっちもご同様だよ。」

MNEMOとケンスキーはそんなことを話しながら、それぞれシャワーを浴び、
まもなく就寝した。


<つづく>




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The Beautiful Country






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蹉跌集め IV-11 [小説]

11

「もう真っ暗んなったぞ。急坂だし、みんなスマホのライトつけて慎重に
クルマに戻ろう!」

粟田が雰囲気のまずさを咄嗟に感じて言った。

「わ、私には、私の言い分があったのです!」

老人が激した声で言った。
粟田は眉間の辺りを撫でて嘆息を吐く。

「いや、勿論ですとも!」

加賀美が焦るように言った。

「村上の藩士のことよりもむしろ私は城下の民百姓のことこそを思ったのです。」

老人はムキになったように捲し立てた。

「先ほど話題になった、三条の我が藩の飛び地で長岡の河井継之助殿と共に
河川改修の事業をしたのも第一義には藩の財政のためとは云え、劣らず、
民百姓のためでございました。村上の町が灰燼に帰したら、民百姓、ご先祖様に
申し訳が立たないではありませんか!」

「わかります、わかりますとも!」

加賀美は必死になって老人、いや、江坂與兵衛の立場に理解を示そうとする。

「私だって、もし、江坂さんの立場だったら同じことをせざるを得なかったかもと
思っています。決して先ほどの私の言はあなた様を非難する意味のものではないことを
どうかご理解ください!」

「江坂さんはねー」

悠奈が言い、一呼吸を置いた。

「抗戦派の藩士たちなどから、鳥居三十郎さんを賊軍扱いし、切腹させたことの恨みを
久永惣右衛門さんと共に買い、明治2年に暗殺されてしまうの。埋葬先は鳥居さんたちと
同じ宝光寺だったのに、その後東京へと改葬させられたのよ。」

そう言うや否や、悠奈の髪が逆立った。
悠奈は「ギャッ」というような声を上げてから、しばらく俯いていた。
すると、顔をゆっくりと上げて、

「民を思うてのことと言えばそれで全てが赦されると思うてか!」

と若い男性の声を発するのだった。

一同はあまりの戦慄に身動きができない。

「長岡や會津若松は戦火が街まで及んだが、それは民百姓を思わぬがゆえの長岡と
會津武士のせいだと言うのか!」

この言に江坂は俄かに苦しみだし、身悶えしながら、

「島田じゃな、島田、お主はいまだに私をのみ責めるのか!
私を斬り殺し、さらにまだ咎め続けるのか!」

と叫んだ。

「三十郎様を見捨てたお主、武士道を忘れ、民百姓のため、お家のためと、
おためごかしばかりの狡猾な腑抜けが、一向に我が身を省みて恥じ入らぬ様は
見苦しいだけじゃ!」

「断じて、断じて・・・!」

「もう、おやめなされ!」

MNEMOが彼独特の太い声で言い放った。

「宇宙飛行士の若田光一は、日本人初のNASAの国際宇宙ステーション運用部長にも
なり、実に、国際人と言うよりは地球人としての視野を持ってこう言っています。

Tolerance, mutual respect and being able to see things from a different
perspective will help avoid small and big wars, と。

寛容さ、相互への尊敬と違う大局的視野からものごとを見る能力が、
大小の戦争を避けるのに役に立つのだ、と。

地球を外から見ると、こういう考え方が自ずと身につくようなのですよ。
むろん、みんながみんなそうなるわけでもありますまいけれど。

なにしろ世界レベルの仕事をするために雄飛する日本人を多く生み出すことこそ、
この国の本当の意味での安全保障につながっていくのです。

戊辰のことがどうでもいいと言っているのではありません。
コップの中の嵐だなどと矮小化して嘲るとかでは断じてない。

しかしcosmopolitanな人間をこそ産み出さんがための体制変革だったと捉えれば、
明治維新が全否定されるわけではないのであり、その維新が、戊辰戦争などで苦汁を
舐めた者たちによっても支えられ、ともすれば薩長中心の偏狭な考えで国が運営されて
しまうのを修正する力に彼らはなったのではありませんか?

奥羽越列藩同盟側からも、旧幕臣たちなどからも、多くの逸材が出ました。
私の田舎、會津の西外れの片田舎からも、なんとアダム・スミスの「国富論」を
日本で初めて訳すことになる石川瑛作が出、また明治20年にカリフォルニア大学
サンフランシスコ校医学部を卒業する渡部鼎というような国際人が出ているのです。

村上の地からも、驚くべき程の国際的逸材が出ていませんか?」

MNEMOの長広舌に粟田などはうんざりした顔をしたが、江坂と悠奈に憑依した
島田は聴き入っていた。

「小和田一族の、恆(ひさし)さんのことですかな。」

江坂が言った。

「彼は日本人初の国際司法裁判所所長になりました。驚嘆すべき偉業です。」

MNEMOが頷きながら言った。

「そして、雅子さまでござろう?」

原田が言った。

「どれほどうれしいことか!」

原田は泣き始めた。

「賊軍とされた村上藩の、その藩士の末裔が、皇后様になるのですなあ!」

「Tolerance, mutual respect and being able to see things from a different
perspective will help avoid small and big wars.
このことをおそらく異口同音におっしゃる小和田父娘です!」


本丸跡を囲む木立の樹冠から十三夜の月が覗いた。
辺りが少しだけ明るくなった。
一同は清らかな乳白色の春の月にしばし見蕩れた。

江坂は姿を消していた。
そして悠奈は月の分身に戻っていた。


<つづく>




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