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蹉跌集め II-19 <完> [小説]

19

MNEMOは帰国歓迎会の後、九十九里・横芝光町の「不動明王御上陸之地」へ
スティックの運転で連れて行ってもらった。

不動明王の像にお参りしてから、明王が遥かを見つめられているその先、
つまりは渡ってきたばかりの太平洋の東の果て、目が見えても見えはしない
サンフランシスコに向き合った。

「McGuinnessさん、ありがとう。そしてお安らかに。」

MNEMOはそう言って、浜風の匂いを惜しみながら狛江へ帰った。



SUBTLYのT2aTの視聴回数は一気にまた増加した。
悠奈もRAJOYも同じチャンネルにPVを載せるという。
清や発見にコメントを読んでもらいながら、MNEMOは勇気づけられたが、
中には心ないコメントもあった。清や発見にはそういうものも跳ばさず読むように
言っておいた。

「Unfathomable.」

MNEMOはそういうコメントの後は必ずそう言った。

木野先生にもチロにも8日夜に挨拶に行ったが、清が言うには雲が空全体を覆い、
オリオンは見えないとのことだった。木野先生もお出ましにはならなかった。


翌12月9日、漱石忌だ。
MNEMOは清に雑司が谷の漱石の墓へ連れて行ってもらった。
17年ぶりのことだった。
日本時間では9日ながら、アメリカ東部では8日であり、Johnの命日だ。
MNEMOは漱石の墓の前でJohnの#9 Dreamを聴いた。
漱石は『夢十夜』、Johnは#9 Dream
どちらも両親の愛に恵まれなかった天才。
特に早くに失った母を慕い続けた。

Took a walk down the street
Through the heat whispered trees
I thought I could hear
Hear
Hear
Hear

Somebody call out my name
As it started to rain
Two spirits dancing so strange


通りを散歩した
暑さの中木々が囁いた
聞こえる気がした
聞こえる
聞こえる
聞こえる

誰かが僕の名を呼ぶ
雨が降り出して
ふたつの魂が奇妙に踊っているんだ


MNEMOにはその「ふたつの魂」の奇妙な踊りが<見えた>。

そのときー



第二部 <完>




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蹉跌集め II-18 [小説]

18

12月初め、MNEMOが発見(ほつみ)と清(さやか)に連れられて帰国した。
うれしいことに、SUBTLY、藤熊、悠奈と永、Somogumiの関係者ばかりか、
RAJOYのメンバーも全員成田まで来てくれたのだ。

ニュース・ヴァリューもあるから、報道各社も取材に来た。一言と問われ、

「Peace & Loveを歌い続けます」

とだけMNEMOは言った。

帰国歓迎会は、粟田の手配で成田市内の鰻屋の離れで行われた。

「え〜、これからMNEMOの音楽への情熱、意志が鰻登りとなることを祈念して、
カンパ〜イ!」

粟田の音頭でみなが杯を上げた。

「え〜、ユナイテッド航空は避けることができ、オーヴァーブッキングもなかったようで、
無事帰国できました。」

MNEMOが戯けて一声を上げた。

「とは云え、日本に無事戻っても、アメリカより安全なのか全く分かりませんし、
正直帰ってくるのが怖かった。」

みんな飲むのをやめてしまう。

「本当に、ひとりの歌手が何を歌おうが空しいっていうのが本音です。世の<すさみ>は
もう限界点に達しています。もう、ほんのささいなきっかけで世界の終焉という局面に
至ってしまう。」

MNEMOはサングラスを取る。

「こんなんなってしまいました。」

一同が目を背けたい気持ちになる。

「こんなんなってしまいましたと言いつつ、自分ではどんなんなったのか、見えません。
嫌なもの、怖いものを、もう見なくて済みます。それはありがたいことかもしれない。
でも、見たいものが見られなくなってしまいました。絶望的です。
病院の許可を得て付き添ってくださった小梅屋清さんのお顔も当然見えません。
視覚以外の四感で彼女を認識しているのです。一番の頼りは触覚ですと言ったら、
ちょっと問題になってしまうので・・・」

みながクスッと笑って、ようやくまた飲みだす。

「では、嗅覚かっていうと、また何を嗅いだんだってなってしまうしー」

みなが爆笑になる。

「味覚だったら、もっと問題だ。」

清が真っ赤になっている。

「だから、ええ、聴覚ですね、これしかないと言っていいくらいだ。
彼女のナース・シューズの靴底と床が擦れ合って出す音や、リズム、むろん彼女の声、
鼻歌とかですね、それで彼女を認識する。きっとかわいい子でしょうね。」

一同が拍手をする。

「ナースなんていう存在がこの世にあるかぎり、人類は捨てたもんじゃないですよ。
人の命を救うため、それこそ命を賭している人が大勢いるのも確かでしょう?
そういう人々を嘲笑うかのように爆弾を落としたり、銃弾を浴びせたりする愚か者も
また大勢いるのだけれど、きっと神仏はそういう者たちを容赦しません。
神仏は沈黙しているようだけれど、必ず見てくださっていますよ。そしてどうされるか、
それが分かったら我々は神仏になってしまう。それは無理というものです。
unfathomableという英語があって、測り知れないって意味ですけど、
僕はこの間ニュースを聞いていて、いつもunfathomableと呟いてきた。
この愚かな人為の報いはどうなるのか、と問うていたからです。」

MNEMOは清からビールをグラスを手渡してもらい、少しだけ口に含んだ。

「うまいなあ!ビールは2ヶ月ぶりかな。
・・・僕は10月8日に撃たれました。John Lennonの誕生日前日で、多くの人が
『Johnおめでとう』、『今こそIMAGINEを』というプラカードを持っていました。
この映像が私の脳裏に焼きついたほぼ最後のものとなりました。
そしてこの日はまたチロという私の<恩師の猫>の命日でした。
この2者は私の人生を変えた重要な人、そして動物です。

この2者のおかげで私は命までは奪われなかったと確信しています。」

粟田が拍手をし、みなが続いた。

「奪われなかった命を、これからどう生きるのか。それは自明です。
火を見るよりも明らかです、と言いつつ見えませんが。
私は一神教の信者ではありませんがー

みんな神の子だろう、と。
神の子同士が殺し合ったら、神への背信でしょう、と。
悪魔の子だと思うような者でも、その悪魔すら神の子でしょう?
だって神はすべてを創られたのでしょう?

私は歌い続けます。
みなさん、どうかお助けください。」


<つづく>



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蹉跌集め II-17 [小説]

17

「杉尾ちゃんさぁー」

薗畠が呼びかけた。

「今世界はインディーズを求めてるでしょ。既製品・大量生産より、個性的な
コンテンツっていうことだよね。まあ、どこの業界でもあることだけれど。
前例が踏襲されて、アーティストの規格化が起こり、それが音楽的ばかりか、
歌詞の通りいっぺんさにもつながってしまう。」

「そうですね。」

藤熊も賛同して言う。

「結局圧倒的な<同類志向者たち>からどう際立つか、それは下手なギミックとかでは
なくて、本当にそのアーティストの個性をこそどのくらい打ち出せるかなんですよね。
今、広告で買ってみようなんていう時代ではなくなっています。昔のTVやラジオのCMに
よる宣伝なんて、今はもうSNSやYouTubeで対等ないしはそれ以上の効果をあげられて
しまっていますからね。だからこそ、個性的でなければならないんです、ますます。」

「今世界的にアーティストが期待されているのは、そうした個性が生かされる世界
そのものを具現し、かつ限りなく藝術的に表現することだと私も確信しています。」

永が言う。

「音楽的・詩的・藝術的良心はいつの時代でも絶対に人のこころを打ちます。
この時代、人々のこころが荒くなったのも確かだと思います。けれど、だからこそその
<すさみ>を和らげる音楽が、歌が、必要なのです。」

「月はほんとうにappeasing(こころを和らげる)な存在だね。」

薗畠がしみじみ言う。

「地球での生命開闢以来、ずっと夜を照らしてきた。もちろん新月のときには
漆黒の闇をつくってきた。それも大事だ。潮汐力でもリズムを地球に、生物に与えてきた。
月あってこその地球であり、生命なんだよね。ずっと、ずっと、そういうことできたんだ。
月の満ち欠けに人間は人生をも見てきた。望月に己のperfectionを重ねてほくそ笑む者、
欠けているからこそ風趣があると思う者、新月にこそ希望を見いだす者、三日月の、
たとえば木星や金星とのランデブーに<釣り合い>というものの美の極致を見出す者、
深夜にたとえば二十七夜の月を見て、いや、それに見られて、なんだか人生を反省したり
する者、仕事でクルマに乗っていて、渋滞なんかでイライラしている夕方に、
大きな満月が東の空にあるのを突然目にして、その超然たる美に打たれ、己のちっぽけさ、
美から遠ざかっていた自分の生活の貧しさに気づく者ー
ね、月って本当に偉大だよね。」

「いやさぁ、薗畠ちゃんー」

杉尾が言う。

「僕と野津田が言いたかったのはね、ほら、悠奈ちゃんのアルバムに結局日本語曲が
ひとつも入んなかったでしょ。それでまた、メッセージ性強すぎるってことになると、
売り出し方がむずかしくなんないかっていうアンチテーゼだったのよぉ。」

「そうなんです。」

野津田が<初めて>しゃべった。

「売り出し方がね、もう少し具体化しないと不安になりましてね。」

「だからそれは、まあ、バジェットにも依りますがね、悠奈ちゃんのヴィジュアルを
十分活かして、圧倒的に藝術的価値の高いPVを作ることにまず尽きると思うんです。」

藤熊が言った。

「どういうイメージ?」

杉尾が訊く。

「Somoちゃん、本名・祖母山(そもやま)氏率いるSomogumiに任せましょうよ。」

藤熊が言う。

「あそこにね、アートディレクターの加賀美秋光っていう<literature>な人が
いるんですよ。Somoちゃんとのコンビはきっと大反響を巻き起こすPVを創りますよ。
なにしろ素材がいいから、彼らの藝術的意欲は掻き立てられまくるでしょうね。」

「デザイナーの粟田さんはどうなんですか?」

永が訊く。

「あー、セミちゃんのこと?うん、彼がそのコンビにとっての<第3の視座>かな。」

悠奈がにっこりと笑う。

「まあ、的外れなこともよく言うんだけれどね。」

藤熊が言うと、悠奈と永が、

「それは失礼ですよ、藤熊さん」

と笑って抗議する。

「ああいう存在は貴重です、本当に。」

SUBTLYのヴィデオ試写のときに彼女らは粟田に大いに笑わされ、彼がどれほどに
ともすれば<すさむ>現場での和みとなっているかを知っていた。

「じゃあ、わかった。」

杉尾が言った。

「最高のPV作って。野津田、藤熊ちゃんと見積もり出してくれ。
薗ちゃん、その際は折半頼むよ。」

「うん。杉尾ちゃん、任せてみようよ。藤熊ちゃん、永ちゃん、そして悠奈ちゃんの
トリオに。そのトリオが全幅の信頼を置く、Somo、加賀美、そして粟田のトリオにも。」
そしてTriviaの加護あらんことを!」

薗畠がそう締めて、会議は終わった。


<つづく>



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蹉跌集め II-16 [小説]

16

悠奈は薗畠、藤熊、野津田、永の四人と会合をホムラーの会議室で持った。
そして今回はもう一人加わったー ホムラーの社長、杉尾だ。

進行役は藤熊だった。

「さて、今日Junoプロジェクトの関係者全員お集まりいただきまして、
懸案になっているJunoファースト・アルバムのコンセプト改変について結論を得たいと
思っております。

東アジア情勢が非常に緊迫する中、歌舞音曲ー
って、まあ、ちょっと古い言い回しですが、音楽や芸能一般に対する風当たりが強くなり、
体制に迎合する一部芸人たちなどは重宝がられつつ、
一方ロック・フォーク系のミュージシャンたちは、元々の音楽・詩的傾向から実に肩身の
狭い想いをしている昨今です。」

「藤熊ちゃん、どうしたの、硬いね。」

薗畠が藤熊の肩の力を抜かせてくれる合いの手を入れた。
藤熊は破顔一笑して、

「というような硬い前振りは終わりにしてですね、まず、悠奈ちゃんの結論から
聞きたいと思うんですけれど、どうですか、悠奈ちゃん。」

悠奈は硬い表情のまま、口を真一文字にしてしばらく言葉を発しなかった。
一同は固唾を飲んだ。

「結論から言いますとー」

ようやく悠奈が口を開いた。

「コンセプト改変には同意できません。」

一同は「やはり」という表情をして、みな視線を少し落とした。

「『Twelve Times a Year〜12の月のフェイズ』というタイトルのこのアルバムは、
私の少なくとも12の様相を歌にしたものです。なにも12の月のそれぞれの満月ばかりを
歌っているのではなく、私は新月にも、三日月にも、上弦にも、十三夜の月にも、
十六夜の月にも、下弦にも、また二十三夜の月にも、二十七夜にもなって歌いました。
私はJunoより、SeleneやLuna、Artemis、Cynthia、Diana、あるいはMeneという
芸名にしたいとすら思いました。」

「みんなギリシア神話やローマ神話の月の女神です。最後のMeneはギリシア語で
ずばりMoonのことです。12の月を支配する女神の名でもあるのです。」

永が補足した。

「MNEMOさんが、ブログでこんな自作和歌を紹介しておられました。

立ち待ちて居待ちて臥せて更け待ちて月の出未だ見ざりけるなり

月のフェイズ(相)と東の空に出てくる時刻の変化に合わせて待っていても、
月が出て来ないという、いわば絶望的な焦がれの歌です。

私は打たれました。女として、これほどに焦がれられたら、と。

女ばかりではないでしょう、男にも様々なフェイズがあるはずです。
しかし月はどうしても女性を象徴化します。私は地球に生まれた生物の、
人間の女として生まれ生きている幸せを感じますー 月という美しく、静謐な
天体と己を同一視できる幸せを感じます。

Seleneが私にとって一番好きな月の女神の名前です。
これはselasというギリシア語の『明るい』から来ています。この場合、英語なら、
lightの訳を当てたく思います。brightでは明るすぎるのです。

このselasはラテン語のserenusときっと関係があります。
lとrの違いはあれ、serenusにも晴朗な、明らかな、という意味があるからです。

このserenusがsereneという英語に引き継がれます。serenityという名詞と共に、
私が大好きな英単語のひとつです。」

一同は、語源学の授業を受けている気分になっていた。

「私の、大きく分けて新月から満月まで、クレッシェンド的楽曲と、
十六夜から新月までのデクレッシェンド的それとを、両方活かしてください!
私の12のserenadesを。以上です。」

圧倒されて、一同は言葉を長く失っている。
しかし、この種のプレゼンが大好きな薗畠は独りニコニコとしている。

「あのねー」

杉尾が口を開いた。

「とても教養あふれる話だったんだけど、歌詞の政治性と今の月のフェイズの話と
どう関係するのかな。」

「・・・あの、私には、感銘を受けていることばがあるんです。」

悠奈が静かな口調で答える。

「God,
Grant me the Serenity to accept the things I cannot change;
Courage to change the things I can;
and Wisdom to know the difference.

神よ
私には変えられない物事を受け入れる心の静謐を
変えられることは変えてしまう勇気を
そしてその変えられるもの、変えられないものの違いを知る智慧を
与え給え
(しつこいけどMNEMO訳)

アメリカの神学者で倫理学者のラインホールド・ニーバーが1943年の夏に語った
説教の一部です。

変えられないこと、変えられること・・・この2分法があって、
変えられないことを受け入れている心の象徴が月の静謐な姿なんです。
変えられるものは変えるんだという勇気の象徴は、満月に向かっていく月、
特に上弦からの相に感じませんか。
そしてその2分法をこそ判断する知恵の象徴こそTriviaなのです。

これは私の勝手な解釈ですけれどー
Triviaはローマ神話でのアルテミスの異称とされています。
語源は『tri-(3つの)』と『via(道)』です。
なぜ『三叉路』というのが月の女神の名になったのでしょう。
Triviaの神殿が三叉路に在ったからだとかとも言われます。
では、なぜ三叉路に在ったのでしょう。

私は月は3つめの方途を示してくれるからだと思っています。
月は満ち、そして必ず欠けます。その繰り返し。
一見シーシュポスの岩運びのようです。
人間も生命体としてのピークを12歳くらいで迎え、その後必ず衰えます。
人間の場合はそれを繰り返すことはできないわけです。

月の、無限とも言える満ち欠けの繰り返しに、人間は<trivia>を見たのでは
ないでしょうか。自分たちも<生まれ成長し衰え死ぬ>で終わりではないのではないか。
満ちて欠けて終わりではない第三の道、方途、ないしはそれを感じ取る視座を
獲得するのではないでしょうか。まるで<正・反・合>です。

なお、triviaは今『つまらぬこと』という意味で英語では使われています。
三叉路は人通り多く、広場になって、ありふれたところということからそんな意味に
なっています。世界中のみんなが、二項対立を超えて、第三の立場、視座を得ることが
ありふれたことになるのを私は祈っています。その『第三の立場』あるいは『道』を
歌うことが、政治的だというなら、私は甘んじてその批判を受け入れます。
けれども私は政治的というより、倫理哲学的、もっとくだけて言えば、
こころの持ちように関わることを歌っているに過ぎないのです。」

奇しくも、ラインホールド・ニーバーのことばがここでも引用された。

しかし、こんなことを言う若い女性シンガーがかつていただろうか。
一同は本当に唖然とする思いで悠奈の「講義」を聴いていた。


<つづく>


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蹉跌集め II-15 [小説]

15

聖古の家は神奈川区の高台に在って、港が一望できる豪邸だ。

「お嬢なんだな、聖古さんて。」

合流した芳樹が感嘆して言う。
周平は来られなかったが、「一旦緩急あ」りとケンスキーが急遽駆けつけた。

応接間に通されて、一同はまず急な訪問を詫びた。
聖古は一週間のイギリス旅行から帰ってきたばかりで、ご自慢のアフタヌーン・ティー
セットで、買ってきたThe Tea HouseのEarl Grey Superiorを淹れてくれた。
カップを配りながら、

「なにか真剣な話なんでしょう?」

と少し警戒感を滲ませた声で、それでも微笑をたたえて言った。

「実は、僕らの昨日できたばかりの新曲をアルバムに急遽エントリーしたいんです。
MNEMOさんの今回の銃撃事件があって、連帯したい、その一心です。」

光が言った。
聖古は「そういうことか」と一瞬安堵した表情を見せた。
しかし、

「より政治色を帯びさせちゃうってこと?」

と言って、自分のカップに紅茶を注いだ。

「音楽にメッセージは必須だと私も思うけれどー
さらにPeace & Loveはロックやポップスの精神そのものとは思うけれどー
どうなのかしらね、メイジャー・デビューするアーティストとして最初から旗幟鮮明に
してしまうリスクってないのかしら。」

「同じことをとこちゃんも言いました。」

光が応えた。

「やっぱり?そう思っちゃうよね、プロモートする側は。時期尚早って。」

「つまり、反対ということですか?」

幸嗣が訊く。

「まず聴かせて、その曲。」

聖古のリクエストで、幸嗣がCDをかける。
芳樹もケンスキーも初めて聴く。

聴き終えて、全員がしばらく黙っていた。

「般若心経?」

聖古が言う。

「はい。木野先生というコオロギと話しまして・・・。」

幸嗣の言に聖古は首をかしげる。

「コオロギ?」

「いや、すみません、こっちの話です。木野先生という方とお話しして、
色即是空と梵我一如をー」

「ああ、聞いているわ。多摩川に神出鬼没する仏教の先生ね。
・・・私、クリスチャンなんだよね。」

聖古が言った。

「探眞からM学っていう、筋金入りなのよ。むしろ私は聖書からとかのことばに
ヒントを得たことで歌ってほしいわよ、プロデューサーとしてはね。
まあ、あなた方の自由だけれど。」

「色即是空と似たような思想はキリスト教にはないですか。」

幸嗣が尋ねる。
聖古は少し呆れた顔をして、紅茶を口に含んだ。

「これが反戦・反核の歌なの?」

「ギターソロのところをサビにして、そこにそういう歌詞を入れます。
もちろん直接的なことばは使いませんが。」

光が答えた。

「例えば?」

「So what's this fuss about?
So what's this fighting for?
Empty us doing empty things?
The square of empty is empty still
We must add something positive to it
As long as we live

だからこの騒ぎは何?
だからこのケンカは何のため?
空っぽの僕らが虚しいことをしてさ
空の自乗は空のまま
なにか正のものを空に足すんだよ
生きている限りはね」

光は即興で歌詞を作った。

「韻が踏まれてないね。」

聖古は冷静に言った。

「アイディアはいいよ。すごくいいと思う。
でも、どうしてこれで政治色が強いの?」

「僕が妥協したからです。ハハ、嘘です。とこちゃんと話してからずっと考えては
いたんですよ、どんなサビの詩にするかは。問題は、おっしゃる通り、押韻されて
いないことです。さすが聖古さんです。」

「ねえ、こういう言葉聞いたことがある?

God,
Grant me the Serenity to accept the things I cannot change;
Courage to change the things I can;
and Wisdom to know the difference.

神よ
私には変えられない物事を受け入れる心の静謐を
変えられることは変えてしまう勇気を
そしてその変えられるもの、変えられないものの違いを知る智慧を
与え給え
(MNEMO訳)

これはね、アメリカの神学者で倫理学者ラインホールド・ニーバーが1943年の夏に
説教したときの祈りの言葉なの。」

「1943年て、アメリカ軍がヨーロッパ戦線でも太平洋戦線でも枢軸国側と死闘を
繰り広げていた頃ですね。」

光が言った。

「そうなの。」

「結局は、神のご意志、ですか。」

幸嗣が言った。

「でもserenityって言葉好きだなあ。」

ケンスキーが言った。

「形容詞はsereneだろう。『スィリーン』って感じの音だよね。美しい。」

「うん。語源はラテン語のserenusだ。平和なとか穏やかなとか、雲がない、晴朗なって
いう意味で、ギリシア語だとxerosで、乾いているっていう意味だ。」

「さすが光。」

「こういうひどい時代だからこそ、こころの静謐が欲しいのよ、必須なのよ。」

聖古が語気を強めて言った。

「人間にできること、できないこと、それをしっかりわきまえて、
変えられることは変え、変えられぬものは神のご意志に委ねる勇気と智慧が要るの。」

「このひどい事態は変えられますよ!」

光が断言する。
RAJOYのみなが頷いた。

「でも、この話し合い、共謀罪に抵触しねぇ?」

ケンスキーが言って、みな笑った。


<つづく>




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蹉跌集め II-13 [小説]

13

Form is emptiness
Void is matter
We were made out of nothing
So what can it mean?

Form is emptiness
That does matter
What's your fuss about?
How have you been?

Depressed
Frustrated
Or numb
About anything going on
in front of you
or around you

But just imagine
The void in your heart
is nothing less than the cosmic vacuum
They're linked
Or they 'exist' as one

色即是空
空即是色
僕らは無からつくられた
だからそれがなんだって?

色即是空
それは実に意味があるじゃないか
君の大騒ぎはいったいなんについてのことなの?
今までどうしてたの?

ふさぎ込んでる
失意の中にいる
あるいは麻痺している
君の眼の前で起こることに
あるいは周りで起こることに

でも想像してみて
きみのハートの中の空は
宇宙の真空に他ならないと
ふたつはつながっている
ないしはひとつとして「存在」していると


光が宿河原の家に戻って詩を書いた。
心臓(フリダヤ)の空が宇宙の真空に他ならないからどうしたというのかは、
あえて歌わない。「梵我一如、だからどうした」は。
光の家に泊まることにした幸嗣は「いいね、いいね」と賛辞を贈った。
「さすが<しら梵字>と波長が合っただけはある」と戯けながら。



光たちが木野と話している頃、十三は家に着く直前だった。
「則天去私」の四字をずっと考えていた。
「私=我」そして「天=宇宙の摂理」とすれば、アートマン(我)を去って、
ブラフマン(梵)に則るということではないか、と。
むろんこの言い方だと、天と私は二項立てになってはいるが、私を去ることが
すなわちそこからいなくなるというより、天との一体化を言っているのではないか、と。
私の位置が天というところへ移動するというより、渾然一体化することではないか、と。
漢籍に詳しい漱石が、老荘思想に影響を受けぬはずはなく、また仏教にも詳しかったの
だから、これは漱石流の「梵我一如」のことなのではないか、と。

家に着き、ドアを開け、居間に入る。
沙桜を寝かしつけて、そこで本を読んでいた花乃里がきつい表情で
十三に一瞥をくれる。

「なあ、花乃里。What's our fuss about?」

十三が言う。

花乃里は怪訝な顔をして、

「あーた、何言ってんの」

と言う。

「How have we been? もうやめよう。」

「何を。」

「こういう状態。アホくさい。」

「あなた次第でしょう。」

「うん、だから。俺は漱石先生に負けない英文学者になる。」

「はあ?」

「則天去私だよ。」

「何言ってんの。」

「おいで。」

夜は更けていった。


<つづく>






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蹉跌集め II-12 [小説]

12

光と幸嗣は和泉多摩川の駅を降り、土手道へダッシュして向かう。
電車の到着が相当に遅れたのだ。相模大野駅で「人身事故」があったというのだ。
もう小田急だけでも今年何件めの「人身事故」だろうか。

「ひゃあ、あと1分もないぞ!」

幸嗣が叫ぶ。

「場所は俺が住んでたアパートの前辺りだ。あと300メートル!」

光が応える。

なんとか間に合って到着し、二人はゼイゼイ息を切らす。
気づくと、虫の音が聞こえている。
か細い声だが、気分を落ち着かせてくれる。

「なんか、呪文とか要るのか?」

幸嗣が訊く。

「どうだろうな・・・。ああ、一番いい<呪文>がある。」

「?」

「悠奈、悠奈、佐藤悠奈の友人です!木野先生、できればお出ましを!」

「お前、選挙カーのウグイス嬢じゃないんだから。」

幸嗣が笑って言うと、

「困った人たちだね」

という声が草むらから聞こえる。

「え?木野先生、どちらですか?」

光が尋ねる。

「今回はコオロギになってみたよ。」

「ええッ!今回って?」

「前回悠奈ちゃんと逢ったときは、月にかかる群雲になって出た。」

「そ、そうなんですか。」

光はタジタジとなっている。

「で、なじょした。」

「は?」

「ハハ、いやね、今サンフランシスコのMNEMO君のところに居てね。
彼、同郷のナースさんと會津弁で話していたもんだから。」

光と幸嗣は面くらっている。木野先生はこんなキャラなのか。

「というか、君らが私を訪ねた理由は知っているけれどもね。」

「・・・では、お答えくださいますか。」

「私だって世界に平和をもたらす術を知っていたら、とっくにそれを発揮していたよ。
仏はむろん滅諦ということを説いて、苦の原因の欲望こそを滅ぼせと言っているし、
それに尽きてしまうんだよ。でも、そんなこと、人類全員ができるはずもない。
私だって、欲の完全消滅になど、まったく達し得なかったよ。」

「では、仏法は無力ですか。」

幸嗣が問う。

「いいや、アヒンサー、すなわち殺生戒はどの宗教にも負けない教えだ。
さらに常不軽(じょうふきょう)、常に他を軽んじないこと。」

「おお!」

法華の幸嗣は歓声をあげる。

「しかし、最も大事なことは・・・フリリリリ。」

「?」

「す、すまん。コオロギになりきってしまった。」

「・・・。」

「最も大事なのは、やはり、色即是空をみなに知らしめることではないかな。」

「般若心経ですか。」

幸嗣が体を乗り出すようにして訊く。

「いや、般若心経は短いとは云え、むずかしい。万人に訴えるというには、ね。
だからそのエッセンスである色即是空だよ。」

「その御心は?」

「私は学徒動員で工兵将校となって中国にいた。敗戦となって中国軍と戦後処理の交渉を
していたんだが、私の上司の少佐が実にどうにもならぬ男で、兵団長の命令を無視し、
違背する命令を下したがゆえに私の部下を含む将兵たちが中国軍に殲滅されてしまう
危機に陥ったのだ。私は彼を赦せず、殺してやると日本刀を抜き身にして彼のところへ
走って行った。その途中、日本人のおばあさんが、私を怖がらず、道を塞ぐようにして、
『どこのお方か知らんが、恐ろしいことや』と言ったのだよ。
私は電撃をくらったようになって、立ち尽くし、青菜に塩のようになって兵舎へ帰った。」

「・・・。」

「私の広島の家族はもうそのときほとんど全滅していた。広島壊滅の噂はもちろん
聞いていたし、それが原子爆弾によるものだということも知っていた。
私の自暴自棄はある意味当然だった。」

光と幸嗣は何も言えないままに項垂れて聴いているのだった。

「もう、どんなことを私がしようが、どうでもいいのだよ。待っている人はいない。
そしてさらに無益な死をもたらそうとした上司を袈裟懸けに斬って、私も死のうが、
あるいは捕らえられ死刑になろうが、そんなことはもうどうでもよかったんだね。

しかしそのおばあさんの一言が天の声だった、本当にね。
アヒンサーだ、常不軽だとそれまで学んで唱えてきても、この様だ、と。

そのとき私の頭の中で、物は空であるという教えが、色即是空の四字がグワーッと
浮かび上がったんだよ。東大に戻って、原子核物理のことも囓ってね。
色即是空というのを仏教学としても、物理学としても学ぼうとした。

湯川秀樹博士が、昭和24年ノーベル物理学賞をとった。陽子と中性子を結びつける
『核力』について、彼は『中間子』の存在を予言し、それが証明されたことによる
受賞だったんだよ。しかし彼はそれで終わらなかった。素粒子の奥底を見ようとした。
『点ではない点』とか『拡がりのある点』とかということばも生み出した。

やはりノーベル物理学賞をとった南部陽一郎博士が後に色即是空のことを書いた。
物質の究極は『空』だと。湯川博士が、『素粒子の奥にあるものが、さまざまな素粒子に
分化する前の、まだ未分化な何物かであるのかもしれないと思った。それはいままでに
知った言葉でいうならば、渾沌というものであろうかと思った』と言われていたが、
それが後の実験で、<陽子を壊すと素粒子が飛び出し、クルクルとダンスをして消える>
ということの予言なんだよ。

物質の素は虚空に消えてしまうんだ。なくなってしまう。つまり、逆に言うと、
<ないもの>から物質はー私たちはーできているってことさ。
John LennonはNowhere Manと言ったが、Nothing Manなんだよ。
男ばっかりじゃないが。

そのことを湯川博士は後にこう和歌にしたそうだ、中野正剛さんによるとね。

天地は逆旅なるかも 鳥も人も いづこより来て いづこにか去る

『渾沌』こそ『空』なのだね。老荘思想が大好きだった湯川博士らしいことだ。ハハハ。」

木野に笑われても、光と幸嗣はついていけなかった。
こんな話では般若心経全体解釈に劣らず難しい。

「湯川博士もね、東京生まれだが、紀伊田辺藩の儒学者の孫だし、和歌山人だよ。
うれしいことだ。」

「実は、先生、僕ら今まで下野紀党の末裔と話していたんですよ。」

幸嗣が言う。

「紀古佐美の子孫かな。君らに紀の匂いが移っているよ。だから今回は君らの
リクエストに応えようと思ったのさ・・・というのは冗談だが。」

悠奈の名前でひっかかったんでしょ、と光は言いたかったがグッと抑えて、

「じゃあ、トキちゃんのおかげかあ。なにしろ紀伊国(きのくに)つながりですね」

と言った。

「そうだね。悠奈ちゃんも熊野様の藤白鈴木氏の血が入っているし、なにしろ鈴木
九郎さんとの縁を強く感じているだろう。彼女が私とここで<波長>が合ったのも、
そのつながりだね。なにしろ私の長く勤めた職場も中野坂上に在ったしね。
もう少し早くあの辺りで会っていればよかった。」

「は?」

「とにかく、色即是空だよ。空無から生まれた物質、宇宙、生命なんだよ。
心臓にある虚空はアートマンと言い、その虚空が外界、宇宙全体という虚空、
すなわちブラフマンにつながっている、ないしは同じものなのだ。
これを梵我一如というのだ。

いいかい、空無なる物質でできた我々は、空無だからこそ宇宙とつながっている、
あるいは一体なんだよ。そのまさに気宇壮大な事実に向き合うこと、
色即是空の四字を広めること、それが鍵だろうね。

夜露が甘い。」

そう言って木野はフリリリリと一声鳴いていなくなった。


<つづく>




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蹉跌集め II-11 [小説]

11

それから光がトキに木野の話をした。
トキは「そんな甚だしい遠縁で、しかも東大印哲を出た偉い仏教者と共通点など
ちっともない」と言いながらも、爆撃で家族を殺された共通の境遇に再び涙した。

「どれほどお辛かったことでしょうね。」

トキはB定の食器を片付けながら言った。

「たとえば高畑勲さんの『火垂るの墓』なんかとても見られやしないのよ。
・・・あ、そうそう!高畑さんの相棒なのか知らないけれど、宮崎駿さん、あの宇都宮
空襲を体験してるってどっかで聞いたわ。あたしと同じで4歳だったって。」

「え、そうなんですか。」

光が驚く。

「『風立ちぬ』を語ってな、宮崎さんは宇都宮に在った宮崎航空興学工場長の
父のこと、いろいろ話しているよ。」

幸嗣が言った。

「欠陥品を造っても袖の下で検査官を買収し、馬力をごまかしたり、挙句、空襲で
自分らは当時は考えられないガソリン車で逃げられる身分で、しかも乗せてくれと
懇願する母子を振り切ったこととか。」

「そうなんだ。」

光は深く考え込む。

「高畑さんも宮崎さんも、幼かったとは云え、戦中派だろ。」

幸嗣が言う。

「その人たちの生々しい戦争への思いがアニメ映像化しているし、多くの人がそれを
見たことは本当に貴いことだと思う。体験した人だからこその表現があるから、
後に生まれた日本人アニメーターはそこでは匹敵しようがない。
でも、その表現の<仕方>はそこで受け継がれる。そして<思い>も。」

「そうだな。」

光が言う。

「司馬遼太郎は戦車兵で、本土決戦で道に避難民が溢れたらどうするのかと参謀将校に
訊いた。するとその将校が『轢っ殺して行け』と言ったんだそうだ。結局そういうことに
なってしまうんだ。戦争は狂気のなせることだから、その渦中ではなにもおかしなことは
なくなってしまうし、さらに、後に回顧しても<しかたがなかった>っていうことに
なってしまうんだ。」

「そうだ。そして戦後世代がほとんどになった今、平和の大切さ、戦争の愚かさを
訴えると、MNEMOさんみたいに撃たれてしまう。」

幸嗣が言う。

「なあー」

光が言う。

「これから木野先生に会いに行かないか。」

「え?多摩川へか?」

「ああ。悠奈に聞いたよ、12時に行くと会えるかもって。もちろん先生が会って下さる
つもりがあればだけれど。」

「そうか。で何を訊くんだ。」

「俺たちみたいな若い俗物が、どうすればこの世を変えられるかって。」

「青いな。でも、そういうことでしかないよな。このままでいいはずがない。
世界が暴発の危機に確実に陥っている今だもんな。」

トキは二人の会話を聴いていて、うれしそうに頷いていた。


<つづく>




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蹉跌集め II-10 [小説]

10

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もうとっくに日は暮れていた。
英語学の教授である十三は尼寺の前で、やはりHamletのセリフを憶い出していた。

「There are more things in heaven and earth, Horatio.
Than are dreamt of in your philosophy.」

天と地には、ホレイショ、哲学などというものも夢想だにしないほど多くの物事が
あるのだよ、ということだ。
この一節が、華厳の滝に身を投げた一高生で漱石に叱咤されたという藤村操に
「ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ」と言わしめた。
ところがこの「ホレーショの哲學」というのが誤りで、
「your」を「お前の=ホレーショの」ととるべきものではなかった。
「かの、俗世間(お前らが)いうところの」という侮りを込めた「一般論のyour」なのだ。

「まったく、曰く不可解だ。」

十三はそう言って、<独り相撲>の悲惨をかみしめた。

「もしかすると、『K』のモデルにもなったか、藤村操は。」

『草枕』で漱石は、「(藤村は)美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと
思う」と言い、「死その物の壮烈をだに体し得ざるものが、如何にして藤村子の所業を
嗤い得べき」と言った。「美」を「道」とすれば、『こゝろ』のKのことではないか、と。

「美や道のための独り相撲をとり続け、敢えなく自死する者かー」

十三はあらためてShakespeareや漱石の深さに震撼するのだった。




日光・二荒山=男体山でめいめい独り相撲をとった光と幸嗣は、同じ頃八幡山にいた。
幸嗣がトキを光に紹介したいからと招いたのだ。

「トキちゃん、こちら有馬光、俺のバンドメートなんだ。」

幸嗣がテーブルに座るや、トキに告げた。

「あらま、そうなの。初めまして、斎藤トキです。コウさんとはもう4年くらいかな、
ずっとご贔屓にしてもらっていてね。」

「初めまして。有馬です。今日は幸嗣がどうしてもトキさんにお会いしろって。」

「なんだ、ここのおいしいB定食を食わせたいってんじゃないのかい。」

厨房からマスターが声をかけた。
一同は笑った。幸嗣が、

「ごめん、マスター。もちろんB定を勧めたし、マスターにもお会いしろって
言っていたんだから、勘弁して。で、そのB定2つ、お願いします」

と言う。

「はいよ、<ついでの>マスターが<ついでの>B定作るよ!」

マスターがさらに戯けた。

「トキちゃんは知足の人なんだよ。」

幸嗣が言う。

「知足か。大事だよな。特に俺と幸嗣には。」

「ほんとだ。」

「どうしたの、そんなこと言って!」

トキが照れながら水を持ってきた。

「あ、トキちゃん、ビールを。今日は大瓶で、グラス2つ。」

幸嗣が注文する。

「はいよ。」

トキが用意をしていると、幸嗣たちが日光の話をしているのが聞こえた。

「あらコウさんたち、日光行ったの?」

「うん。決闘しに。」

「何言ってんのよ。」

「ほんとなんだよ、トキちゃん。二人で男体山から転げて、中禅寺湖まで落ちた方が
負けっていう決闘さ。」

「まあ!それで二人とも途中でひっかかった。」

「そう、10メートルも転げず。」

トキは大笑いしながらビールとグラスを持ってきた。

「あたしね、コウさん。出身は宇都宮なのよ。」

「あ、栃木の。」

「そう。旧姓は益子っていうんだけどね。」

「え?なんか聞いたことあるな。」

光が言う。

「U字工事だろう。」

幸嗣が言う。

「違う、違う・・あ!藤熊さんに多摩川で偶然お会いしたとき、益子姓の話になったぞ。
確か、紀伊国造家の子孫で、下野紀党が益子を名乗ったって。」

「あら!よく知ってるわねぇ。征東将軍の紀古佐美の子孫だって。」

「紀古佐美って、確か、阿弖流為に散々やられた・・・。」

光が言うと、

「そうなのよぉ」

とトキが右手をヒョイと振って言った。

「それでも後に出世はしたみたいだから、そんなに咎められなかったみたいだけど。
まあ、都に戻ったんだから、きっと陸奥へ行く途中だか帰りだかの下野で土地の女に
手を出したんでしょ。それが益子の遠いご先祖ってわけよ。」

「そうなんだ。」

光と幸嗣は木野のことを当然憶い出していた。

「あたしね、歳がバレちゃうけど、昭和20年、忘れもしない7月12日、
宇都宮大空襲に遭ってるのよ、4歳のとき。」

「宇都宮でも空襲があったんだ。」

幸嗣が言う。

「何度もあって、7月12日のは最悪でね。もちろん東京大空襲とか、広島・長崎とは
比べ物にならないけれど、600人とかが殺されたわ。19年に中島製作所の工場が
できたのが大きかったわね。ほら、飛行機作る。」

「あー、中島製作所って『隼』とかの。」

「そうそう。あたしはその工場の近くの家にいてね。空襲警報が鳴って、
母と妹とで防空壕に入ろうとしたんだけれどね・・・。」

トキが嗚咽しだす。

「トキちゃん、いいんだよ、思い出さなくて。」

幸嗣がやさしく言う。光はハンカチを手渡そうとするが、トキはお辞儀しながら遠慮し、
エプロンの裾で涙を拭いた。

「防空壕に入る直前だったわ、焼夷弾が降ってきて、ヒューッていう音がしてね・・・
母が咄嗟に手をつないでいたあたしを民家と民家の間の狭い路地みたいなところへ
片手でグイッとすさまじい力を出して放り投げたのよ。」

「・・・。」

「その直後に焼夷弾が炸裂して、母とおんぶされていた妹が一瞬にして・・・。」

トキは再び嗚咽して、しばらく話せなくなった。
幸嗣はすでにもらい泣きしていた。光は下唇を噛んで、泣くのを堪えているようだった。

「トキ、ほら、B定上がったよ!」

マスターが声を掛ける。
トキはまたエプロンの裾で涙を拭って、

「は、はい!」

と返事をして厨房へ行く。

「木野先生もご親族のほとんどを広島の原爆で失ったんだよな。」

光が言う。

「いつまで経っても懲りないバカな生き物だな、人間ていうのは!」

幸嗣は怒りに震えながら、自分の無力を呪った。


<つづく>





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蹉跌集め II-9 [小説]

9

悠奈はなぜそんな歌が降りて来たのか分からなかった。
彼女はあの地蔵とその堂がどういう謂れであそこに建立されたかは知らない。
お地蔵様となった少女が悠奈に何を訴えたかったのかはそれでも自明だった。
無念の裡に命を絶たれる者の悲壮な生への執着なのだ。

この3次元世界で、肉体を持って生きることは、すなわち他の肉体や物との接触を
求めることに他ならない。空気や水、食物を体内に取り込まねばどうにもならない
のはもちろん、他の物に触れるということもなくてはならない。
この世で何にも触れずに生きている物など皆無だ。

その<触れる>ということができなくなることが死だ。
五感の中、触覚は際立っている。幽霊というものがこの世に出てくるなら、
それが求めているのは誰かに触れることに違いない。
しかし、音も出せるし姿も現せようが、誰かに触れることはできない。
肉体があれば、電子の作用で他のものとは決して<交われない>。
しかしその電子同士の反発こそが他のものとの接触、触れ合いであって、
たとえば清が言う最高の手当てはまさに<手当て>なのだ。
また愛の確認も、どんなに相手と渾然一体になりたくて強く強く抱き合っても、
その一体化に抗する電子同士の斥力こそが皮肉にも<愛の実感>を生み出すのだ。


悠奈は己の口について出てくる詩の続きに自分でも驚きながら歌うー

"Love is touch" ーSo John sang
I am the one to know what he meant
In 1980 when he got a bang
He managed to make his last lament

Feel me, love
Hold me
Let me feel you
Let me hold you
Until the very last moment of my life
Just before I become a 'point'

「愛は触れ合い」ーそうJohnは歌った
あたしには彼の意図がよくわかる
1980年彼が撃たれたときに
彼はかろうじて最後の哀歌を作った

僕に触れてくれ
抱きしめてくれ
君を感じさせてくれ
抱かせてくれ
我が人生のまさに終わりまで
僕が「点」になる間際まで


悠奈は体の火照りを抑えられなくなるようで、歌うのをやめて、
お地蔵様のところへ戻り手を合わせてから、すぐにマンションへ戻った。




十三はあの5月以来、花乃里とは険悪な関係になってしまっていた。
花乃里の疑心暗鬼は果てしなくなり、十三は心身ともに疲れ切っていた。

その日も十三が自分の部屋で音楽をかけると、花乃里がやってきて、

「あのお嬢さんの歌じゃないのね」

と蔑んだ顔で言うのだった。
十三はすでに自分の不貞を何度も詫びていたし、もう悠奈への思いは断ち切ったと
告げていたけれども、花乃里はまったく信じないのだ。
中野坂上の職場へ行っても、花乃里がいつ尾行してきているか分からない。
実際にそういうことはもう数度あった。

「ちょっと散歩に出てくる。」

十三が言うと、

「もう十月も半ば、これから夕暮れ時で寒くなる中ご苦労様ね」

と花乃里が皮肉たっぷりに応える。

「大丈夫よ、今日は追わないわ。沙桜(さおう=娘)のためにやることがあるから。」

十三は半ば絶望的な気持ちで家を出た。

伝通院のところまで来た。
『それから』の三千代が住み、また『こゝろ』の「先生」が「お嬢さん」と、
さらにKと暮らしたのがこの辺りという設定なのだ。

「漱石の小説は、概ね金とそして三角関係の話だ。」

十三は独りごちた。

「もう悠奈のことは本当に忘れたいのに、どうして花乃里は分かってくれないのだろう。
このままでは全く決着がつかない。『行人』のように、いっそ悠奈と俺に一夜を
過ごさせてくれたらいいんだ。それを『Hamlet』の国王やポローニアスのように
盗み聞きしたらいいんだ!

Go thy ways to a nunnery!」

十三がそう心の中で叫ぶと驚いたー

彼は伝通院の隣の法蔵院の前に立っていたのだ。
法蔵院は尼寺だ。


<つづく>





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