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蹉跌集め -68- [小説]

68

「あたしねー」

悠奈が言った。

「ハリーポッターが好きじゃなかったの。」

「え?」

永が突然の話題に驚く。

「ハリーって生まれながらのエリート魔法使いでしょ。もちろん試練に遭うんだけど、
最初から特別の存在だった。貴種流離譚の一種よね。」

「貴種流離譚?」

「うん、折口信夫の用語だけれど。元々のエリートが他郷で試練を克服していって
超人的なヒーローになる物語のこと。」

「なるほど。それが嫌だったの?」

「『元々のエリート』っていうのがズルい気がして。」

「ああ、最初は普通であってほしいってことね。」

「そう。そのことをあたし意識してきたの。『元々悠奈は』って言われるのがとても
嫌で。百メートル競走で、最初から50メートル地点からスタートできていいね、
みたいなことを言われてるようで。」

「でも人間なんて平等には生まれつかないんだからね。」

「それってどうしてなんだろうね。」

「先祖、親の因果だね。」

「そうなのよ。因果律がこの世を支配しているのよね。」

「選ばれし者。」

「・・・永ちゃん、予定説って知ってる?」

「ああ、カルヴァン主義の?私ね、A学なのね、大学。藤熊さんの大後輩なの。
あそこはメソディストで、習ったわ、キリスト教学の授業で。
神が救う対象は予め決まっていて、どんなに善行を積んでも選ばれていない者は
救われないし、救われると決まっている者はどんなに悪行を積んでも救われるのよね。
救済は偏に神の恣意だって。学生はみんな引いてた。」

「資本主義はプロテスタンティズムによって興ったって。」

「Max Weberでしょう。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。
読まされたよ、社会学で。」

「こつこつ禁欲的に富を集め、放蕩せず、その富を資本とし、また稼ぐ。
選ばれし者は、商いで成功する者のはずだからって。」

「悠奈も恵まれた家に生まれたんだね。これも『元々』。」

「あたしは予定説を信じない。あたしはむしろなんでもご破算から始めたい。」

悠奈は自分でもバカなことを言っているのを知っていたが、そう言いたくなった。

「悠奈の生まれついての才能や美貌はどうなの?」

永は少し冷たく言った。

「ご破算の資質とか美貌って、そんなものあるの?」

悠奈は永が確かな反論をしてくれる頼もしい相棒であることをうれしく思っていた。
まもなく永は帰って行った。

悠奈は時計を見る。
随分と深夜になってしまった。
そしてもうそろそろ木野と多摩川の土手で出会った時刻になると気づいた。


<つづく>




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蹉跌集め -67- [小説]

67

トリのSUBTLYの40分間もさすがの年季に裏打ちされた演奏で充実したものだった。
出演者みな出口前に立って、オーディエンスを見送る。

男女を問わず、悠奈と握手して狂喜する者が続出する。
みんなは当然だと思っていた。

ある齢四十凸凹のサングラスをした女性が、悠奈と握手をするや、耳打ちをした。
悠奈の表情が俄然青ざめるー
その後も最後まで悠奈は客を見送ったが、その途端楽屋へ走って行ってしまった。

永がすぐにその異変に気づき、悠奈を追いかけて行った。

「どうしたの、悠奈。」

永が机に突っ伏す悠奈に声を掛けた。

「さっきの女性でしょ?何か言ったの?」

悠奈は無言だった。嗚咽しているようだ。

藤熊と薗畠も楽屋に入ってきた。

「どうしたの?」

永がボソボソと二人にこんなことがあったと話す。詳細は分からない、と。
SUBTLYもJAPPSも入ってくる。

「なに、なんかあったの?」

悠奈が何も語らぬ以上、どうにもできない。会場でそのまま打ち上げという手筈だったが、
悠奈を早く帰してあげようということになった。永が家まで付き添うことになった。
関係者はみな言葉少なになり、打ち上げは気まずいものになってしまった。

国道246号を悠奈と永が乗るタクシーが走っている。
悠奈は右側後部座席で頭を窓につけて黙りこくっている。
永は悠奈が話したくなるまでは何も言うまいと思っている。

和泉多摩川のマンションに着いた。
永は「私、帰った方がいい?」と訊くが、悠奈は首を振った。
二人は部屋に入る。
悠奈が紅茶を淹れる。
永は少し落ち着いたかと思う。

「おいしいね、Fauchonのキャラメル。」

永が言う。

悠奈も一口啜って、溜息を吐く。

「あの女性にねー」

悠奈がようやく言葉を発する。

「あなたこそnumbね、人の心に。いい気になるな、って言われたの。」

永は驚いて黙ってしまう。

「そうなのかな。」

悠奈がポツンと言った。

「あたし、いい気になっているかな。」

「知っている女性じゃないんでしょう?」

「知らない。」

「一見変装風だったよね、あの人。」

「・・・。」

「知らない人なら、勝手な難癖でしょ。」

「・・・でも、なんだかいろいろ知ってる風だった。そう感じた。」

「気にすることないよって言いたいけれど、そうもいかないよね、悠奈には。」

「あたし、いい気になっていたのかな・・・。」

永はキャラメルを一口飲んで、

「私は悠奈のこれまでは当然よく知らない」

と言った。

「ただ、あなたの生まれながらの資質・才能や容貌に惚れ込む人だらけだっただろう
なっていうのは容易に想像がつく。当然反発する者、嫉妬する者もいただろうね。」

悠奈はボンヤリとして聞いている。

「アーティストにとって、避けられないことかも。」

永は続ける。

「私も悠奈が羨ましいよ。藝術的に自己表現ができる人って、憧れよ、大抵のふつうの
人間にとってはね。その憧れが逸脱して、嫉妬に変わるっていうのも十分あり得る。
そういうのにも向き合っていかねばならないのがすぐれたアーティストなんだろうね。
特にミュージシャンは、山の中で焼き物一筋とかっていう仙人のような陶藝家
みたいには決してなれないからね。」

「いいなあ、陶藝家。あたしだって自然の中で歌を歌っていきたいよ。」

悠奈がほとんど涙声で言った。

「分かるよ。」

永がやさしく言う。

「私ね、東京生まれだけれど、父方はアイヌなのね。私がなんだかエキゾチックな容貌だ
なんて言われるのも、そういうことなんだと思う。別にその出自を隠したつもりは
なかったけれど、なにしろ聞きなれない名前でしょ。小学校の頃からアイヌって同級生に
言われた。きっと親御さんたちが気づくんだね。それが息子娘に伝わる。父の苦労が
結局娘に受け継がれてしまう。

こんなこと自分で言うのも嫌だけど、あの子日本人離れした容貌ね、きれいねって
言われて、アイヌらしいよって続いて、ああ、そうなんだ、なんだあ、だもんね。
そんなことばっかりよ、ずっと、高校の終わりまで。

ひどい男の子も複数いたよ。私に恋して、私が拒むと、このアイヌ女、北海道へ帰れとか、
狩猟採集しておとなしく片隅で生きてろ、イヨマンテの儀式でもやってろとか。
もう、なんていうか、なんでここまで言われなきゃいけないのかって、何度泣いたか
しれないよ。まあ、悠奈とは直接関係ない話だけれど。」

「そうだったのね。」

悠奈が涙を拭って言った。

「永(とこ)ちゃんも苦しかったね。あたしね、高3のときだったわ、特例だった
らしいけれど、福島から転校生が来てね。仲良かった子すら、放射能のことで陰で
その福島の子のことを揶揄したりしてね、本当に悲しくなったよ。あたしがそれに反発
したら、浮いちゃってね。初めてだった、大勢から浮いた存在になったの。
悠奈はいい子ぶってるってね。そして、かわいいと思って、頭いいと思って、いい気に
なるなってー」

「そうなんだ。」

永がしみじみと言った。

「それ以来なんだね、その同一の言葉を投げつけられたの。」

悠奈はまた涙を拭って頷いた。


<つづく>



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蹉跌集め -66- [小説]

66

「総入れ歯、MCしなかったな、MNEMOちゃん。」

藤熊が言った。

「ええ、彼女には要りません。あの現れ方、no needですよ。」

「確かに。」

藤熊が見回すと、JAPPSたちが後方の楽屋手前に立っているのが見えた。
どういう表情をしているかまでは見えない。


I'm in love with love
So I'm causing you pain
I'm in love with love
I know I'm so vain

私は恋に恋してる
だからあなたを苦しませているのね
私は恋に恋してる
うぬぼれたことだと分かっているの


悠奈が2曲めを歌い出す。
MNEMOは「おお!」と静かに唸る。

光はすぐに「返歌」だと気づいた。
幸嗣はさほど英語が達者ではないが、分かり易い歌詞に釘付けになる。


I've been waiting for so long
For the time for me to grow
Wise enough to love someone somewhere

ずっと待っているのよ
私が賢くなって
どこかのだれかを愛するときを


男どもはみなその「someone」になりたいと嘆息を吐く。
藤熊や薗畠すらも!
女たちも溜息を吐(つ)く。
嫉妬などではない、ただただ羨望しかない。
これほどに男ばかりか女も引きつける悠奈の磁力。

光も幸嗣も十三もみな項垂れていた。
めいめいが思う、「someone」は明らかに自分ではないと。
しかし、「someone」になれる可能性はないのかとも思ってしまう。
芳樹が言った「疎外」された自分には、克服の時が来るのか。
とすれば、悠奈が歌うように、自分も「wise enough」というところまで「grow」
せねばならないのだろう。どうやって?

光は思った。
悠奈を守る竜となり、空から歌を悠奈に注ぐ虹になりたいと歌ったけれど、
前者はどうあれ、後者はまさに虹であり、儚い。
竜となっても、聖ゲオルギオスが現れてしまうのかもしれない。
救いはただ悠奈が「I've been waiting」と現在完了進行形で歌っていることだけだ。

幸嗣は思った。
トキが知足を言った。自分は得心したつもりだった。
しかし、こうして凄まじいほどの魅力を持つ女性と知り合ってしまった自分は、
完全にその女性から離れない限りずっとその磁界の中にいて、惹きつけられてしまう。
黒部に帰ってもそれは磁界の外ではないだろう。「地球の裏側」のブラジルに
行っても変わるまい。だから、<違う磁界>に自分は入るしかないのではないか。
しかしその磁力を発するものが、いつまで経っても近距離に在るからという相対的な
磁力の強さで悠奈に拮抗するぐらいでしかないのではないか。シリウスは全天一の
輝星だが、8.6光年しか離れていない。悠奈は北極星ポラリスのようだ。
2等星だが、432光年も離れている。しかも年がら年中見えている。
そしていつも自分の位置を知らせてくれている!

十三は思った。
欲が行間で透け透けになった衒学的メールを送った自分の浅薄さがつくづく恨めしいが、
そうまで情けない自分になってしまうほど悠奈に焦がれてしまったことは
<どうにもしようがなかった>と。そしてあの多摩川のお地蔵様に教えていただいた
欲に駆られたドス黒い自分の心、無明。光や幸嗣は若く、悠奈を愛する<資格>が
ある。自分は妻帯者ではないか。自分はもう思いとどまっている。
ただ悠奈のファンとして、今までの自分の生活を続けていこう、そう誓ったのだ。
それにしてもー。

ーそして悠奈のステージは数曲の後、Twelve Times a Yearで終わりを告げた。


<つづく>




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蹉跌集め -65- [小説]

65

「ハハ、僕にはドアが開くときよくその前にいる習性があるんだ、ハハ。」

十三は意外にも快活に言った。

「前回ドアと激突したのは左膝辺り、今回はお尻だ。」

悠奈は黙っている。

「大丈夫だよ、悠奈ちゃん。僕はファンとして来ただけだ。ギグの成功に
少しでも貢献できればって、学生も何人か連れてきた。ただ僕は遠慮してねー
君の視界に入ったらまずいと思って奥にいたら、なんだ、ここが楽屋だったんだね。」

悠奈は十三のことば、口調、態度を猛スピードで分析していた。

「『ファン』てね、もちろんJunoのファンということだけれど、MNEMOさんのファン
でもあるんだよ。彼の他に類を見ないブログをずっと読んできたんだ、このところ。
書いていることにも共感するところ多かったし、木野先生とのエピソードも感銘を
もって読んだよ。そしてYouTubeにある音源も聴いてきた。ファンになったよ。
そして今すばらしい演奏をしたJAPPSのファンにもなったよ。彼らとはドアに左膝を
ぶつけた時に出会った。そのときから見ても、JAPPSは短期間ですさまじい
進歩をしている。尊敬する。
・・だから、僕は、このギグの出演三者全員のファンなんだ。来たくなるのは当たり前
だと思ってください。」

自分の疑心暗鬼が急速にしぼんで、悠奈は気まずそうに頭を下げた。

「ほら、次でしょ。」

十三が「もう、僕を相手にしなくていいよ」と続けるかのように言った。

「期待してます。Good luck.」

十三の促しに従って、また一礼し、悠奈は楽屋に戻る。


永が入ってきて、そろそろだと告げる。

「JAPPS、野津田部長もすごい褒めてたよ。」

永が言う。

「最後の歌、すごかったね。悠奈への曲だって、キリキリ分かっちゃった。」

「キリキリって・・・。」

悠奈がふっと微笑んだ。

「悠奈の返歌の番だね。」

永のことばに悠奈は頷く。


JAPPSは悠奈が永にまだ着替え中だと聞かされても、不平を言わず、外の空気を吸いに
出た。インターミッションは30分、悠奈は支度を急ぐ。




「こんばんは、佐藤悠奈、Junoです。」

スポットライトに照らされるや、悠奈が挨拶をする。
客席から、いや、コヤ全体、立ち見の人からもどよめきが起こる。
なんという気品とさわやかな色香が匂い立つような女性だろう、と。
白を基調としたケルト女性の民族衣装で、しかも翡翠色の勾玉のネックレイス、
耳飾りも同色の小さな勾玉ー 髪は安田靫彦が描いた額田王のように結われている。

「Numbという名のコンサートへようこそお越しくださいました。」

遠くのカウンターの方からグラスが落ちて壊れる音がする。
またボックンが指を滑らしたのだ。ボックンは会場の雰囲気から、謝罪の声も
上げられないー これ以上の無粋、粗相は許さないという。

「Numb・・・そうですね、私たち、麻痺してしまっていることを本当に多く
抱えていますね。福島のこと、また各地の地震や津波の被災者のこと、
基地に苦しむ多くの沖縄の方々のこと、広島、長崎、そして先の大戦で犠牲に
なられた人々のこと。

最近『瑞穂の国』ということばが聞かれます。<みずみずしい稲穂>のことです。
私たちのふるさと、日本の異称です。<みずみずしい>って、もちろん水という
単語の繰り返しから成った語です。その水が、瑞穂の国の水が、苦しんでいます。
福島の水は汚染されている?ええ、でもそのセシウム汚染度と同等のところが
あります。どこでしょう。東京なのです。一番ひどい汚染は、茨城、次に栃木で
確認されているんです。三番目が東京と福島。宮城県はなぜかこのデータを公表
していません。」

客席が水を打ったように静まり返っている。

「私のふるさと瑞穂の国、私の祖先のふるさと福島と東京に捧げますー」


Born in Japan
naturally, I've become a child of trees
But nowadays
I feel anxious about what it will be
My country
The islands of trees

日本に生まれ
自然に、私は木々の子になりました
でも近頃は
どうなるか不安です
私のくにが
木の島々が

Mama,
is this the way it should be?
Papa,
can we no longer swim in the sea?

Don't keep them poisoning it
Don't leave them contaminating it
Don't let us be as we are
Now we've already gone too far

ママ、
こういうものなの?
パパ、
もう海では泳げないの?

汚すのをやめさせて
穢したままにさせないで
このままの私たちでいてはいけないわ
もうとっくに私たちはやり過ぎてしまったのよ



薗畠はただのオーディエンスのひとりになっていた。
そのオーディエンスはみな茫然自失している。
こんな歌姫がかつて日本に存在しただろうか。

MNEMOは二度目のこの歌にさらに感動して打ち震えていた。
シンガーとして、いろいろな要素から観て、悠奈には敵わないとつくづく思った。

「ありがとうございました。」

悠奈が挨拶して、聴衆は呪文が解かれたようになった。
そして割れんばかりの拍手。

「この歌は、MNEMOさんのブログを読ませていただいている裡に降りてきました。
『川は呼んでる』とか、『生きているみず』、『苦しんでいるみず』というタイトルの
記事から、そして『トーホグマン』というブログ連載小説からどれほどヒントを
得たかしれません。特に、Psychic NumbというMNEMOさんの詩を
読ませていただいて、シンガーとして決定的なinspirationsに満たされました。」

この言葉にMNEMOは泣きたくなった。
「inspirations」と複数形で悠奈が言ってくれたことも聞き逃さなかった。
藤熊がポンとMNEMOの肩を叩いて、ニッコリ微笑んだ。

「薗畠社長!」

MNEMOが声を掛けた。

「悠奈ちゃん、僕が事務所立ち上げてやりたいです!」

薗畠は苦笑する。


<つづく>




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蹉跌集め -64- [小説]

64

DSC02325.jpg


周平のドラム・ソロから始まるLove Analysisが1曲目、
9小節目から芳樹のベース・リフが入ってくる。オーディエンスはそのgrooveに
めいめい自然と体を動かし始める。17小節目にバンド・インだ。
広がりまくる音、若々しい。

Love analysis
What's my love made of?
Love analysis
What's my love all about?

光が歌い出す。

薗畠が藤熊に耳打ちする。

「なかなかいいね、この子たちね。」

「ええ。うまくやれば売れますよ。」

藤熊が応える。
聖古はファンたちと寸分変わらぬラブ光線をJAPPSたちに送っている。
曲が終わり、聖古は誇らしげに藤熊たちを見回した。

数曲あって、いよいよForget It Allが始まる。
シーケンサーでストリングスにオーボエが乗る、これまでとは打って変わっての
詩情あふれるバラードだ。8小節目、<例の>ケンスキーのピアノが入る。

「キャ〜〜〜ッツ!」

ケンスキーのファンの女の子がケンスキーの奏でるメロディーと、
その貴公子のような風情にたまらず悲鳴を上げる。

悠奈は楽屋で「とうとうあの曲ね」と緊張していた。
むろん鮮明には聞こえないが、光の歌う歌詞は聞き取れている。
いよいよ「fool」の連呼のところに来る。
幸嗣がハモる。
二人ともデモで歌ったような過度な気負いが取れているように悠奈には感じられた。
少し安堵する。

曲が終わって、オーディエンスは大喝采している。
「どうもありがとう!」
光は歌い切ったという満足感を込めて挨拶している。

「えーっと、ここで珍しくオイラがMCします。」

芳樹の声だ。
確かに芳樹はあまりギグで発言したりしない。
悠奈は耳をそばだてる。

「オレら、この間(かん)いろいろありました。ほんと、いろいろ。
・・・恋ってすてきっすよね。」

黄色い声がそこかしこで響く。

「疎外ってことば、あるじゃないすか。マルクスとかの用語っす。
なにも経済の話したいんじゃないっすよ、ええ。疎外って、こういうことっす。
オイラ、昔っすけど、すげぇ好きだった子に、あなたの思いは受け入れられないけど、
あたしのこと嫌いにならないでねって言われたことがあるんすよね。」

笑いが起こる。

「これが疎外っすよ。あるものが私とは無関係であるという場合、そのあるものに対して
私は無力なものとして疎外されていることになる・・・Wikipediaっすよ。
この疎外を克服することによって、人間はその本来の自己を取り戻し、その可能性を
自己実現できるものとされる・・・これもWikiっす。これ、オイラの話だと思ってたら、
信州読書会の宮澤って人がそっくり同じこと言ってたんすよ、YouTubeで。
笑ったっすよ。」

客席では笑いではなく、ざわめきが起こった。

「この疎外を克服するって・・・どうしたらいいんすかね。
Wikiは教えてくれないんすよ。なんでも書いてあると思ったけど。

それはその女の子に戻ってきてもらって、しかもオイラに恋してもらうしかないっしょ。
ね。でもミュージシャンはね、もうひとつ、方法あんすよ。曲にして、歌い、
奏でることっすよ。・・・ラスト・ナンバーっす。」

芳樹はそう言うや、周平に合図を送る。
歌詞が「全面改訂」された幸嗣作曲、光作詞のScales of Desireだ。
その夜のレパートリー中最速のテンポ、これぞハード・ロックというナンバーだ。

悠奈は芳樹が光と幸嗣の代弁をしたことにもちろん気づいていた。
集中して聴けば、サビにはやはりドロドロがあった。
ところがA-B-A-Bの繰り返しの構成から、曲の最終部近くでCパートがついていた。

I'm a dragon who can never be beat
I'm a rainbow arching just over you
The music's written on it, now you'll read
And soar in the sky so I can hear you
Singing in praise of my love for you
And touch me in praise of my love for you

俺は無敵の竜なんだ
俺はお前の真上に架かる虹なんだ
その虹の上にはメロディーがのっている、さあ読んでくれ
そして空へ舞い上がるんだ
僕が聞こえるように
君が僕の君への愛を讃えて歌うのを
そして僕の君への愛を讃えて僕に触れてくれ


最後の2行では幸嗣がハモった。
悠奈は熱くなった。
苦しいほど熱くなった。

たまらず外気を吸おうと楽屋を出ようとするなり、ドアが何かにぶつかった。
楽屋はオーディエンスの最後列になってスタンディングで聴いているファンに
ドアを塞がれたりするような位置にあった。悠奈は、「ごめんなさい!」と言って、
ゆっくりもう一度ドアを開ける。

「大丈夫です。」

そう言った客の顔を見るとー

十三だった。


<つづく>




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蹉跌集め -63- [小説]

63

DSC02326.jpg


「おはよう!」

とMNEMOが光と幸嗣に応え、Henryなどは「ウイーッス」などと応じた。
竹中さんやボックン以外はみな悠奈とこの二人の<曰く>を大体知っていた。
悠奈は「久しぶり」と挨拶をしたものの、そそくさと器材を片づけて永と一緒に
サンタンを出て行こうとしたが、JAPPSのさらなるメンバーたちとドアのところで
出くわす。

「お、悠奈、お久〜ッ!」

周平が努めていつものような明るさで挨拶をした。
芳樹とケンスキーと周平が「やあ」と言いながら後に続く。
殿(しんがり)は聖古だった。

「あっら〜、かわいいお嬢さんたちお二人!」

聖古は初めて見る悠奈たちの印象を素直・率直に口にした。
彼女らは自己紹介をし合って、悠奈と永は外へ出て行った。

「こんちはっす!」

周平たちはSUBTLYに挨拶をして、セッティングを始める。
ケンスキーはMNEMOのところへ行き、

「今日はよろしくお願いします」

とニコニコ笑みをたたえて言った。

「こちらこそ。」

MNEMOが笑みと言葉を返す。
そしてすぐに耳打ちをする。

「心配はしてないけど、不測の事態はないよね。」

ケンスキーは声を出して笑ってから、

「歌で想いを表すけれど、その他の言動はないそうですよ」

と耳打ちして、微笑んだ。

「それでこそミュージシャンだ。」

MNEMOが言った。
SUBTLYも「シーメ」ということで外へ出て行く。
JAPPSのリハが始まる。


店がOPENとなって、続々と客が入ってくる。
藤熊、薗畠はもちろん、懐かしくも高田も来た。彼の上司の野津田も現れた。
また薗畠の部下だった内舘もやってきて場が賑やかになった。内舘はMNEMOと
StickらがやっていたG Stringのマネージャーだった人だ。
聖古と永も加わり、「業界人テーブル」はまた賑やかになった。

一方楽屋には重苦しさがあった。
なにより光と幸嗣が押し黙ったままなのだ。
悠奈はSUBTLYのメンバーたちに話しかけられて時々話をするが、他愛ない会話と
なって、そのたび光と幸嗣は苛立つような雰囲気を撒き散らす。
ケンスキーがずっとMNEMOと話していて、光と幸嗣はそちらにも耳を傾けていた。
本当なら、MNEMOと話してみたいと二人は思う。
けれど、悠奈がいてはとてもそんな気分にはなれない。
本当はそんな態度をとりたくはないのだ。しかし、どうしていいか分からない。
本当に歌と演奏で悠奈に想いを伝えるしかないー
光と幸嗣はそう思っていたのだ。

そろそろという段になって、MNEMOは「じゃ」と言って楽屋を出て行く。
彼がこのギグのMCもやるのだった。

「え〜、世の中てぇものは、実に不思議なものでございましてなッー」

MNEMOが落語の枕のような口調でMCを始める。

「やめろ、似非噺家!」

Kと渾名されるMNEMOの友人がすぐにヤジを入れた。

「うっせ、この!」

MNEMOはそう言い返して、

「みなさま、本日はどうもNumbと題したこのギグにお越しいただき、
本当にありがとうございます!見れば立錐の余地もないわけで、
偏にハンサムボーイズ集団のJAPPS、そして新宿十二社の歌姫佐藤悠奈、
芸名Junoの人気のおかげでございます!」

「SUBTLYのファンがいねぇぞ!」

Kがまた茶々を入れる。

「うっせ、この!」

オーディエンスが笑う。JAPPSがライトが消えているステージへ上り始める。
女性ファンたちがザワつく。

「Why I named this gig 'Numb' must be a mystery to you all, right?
The musicians who are gonna appear tonight are all dying to make you
feel "comfortably numb"ー That's why. But that's not the only reason.」

MNEMOがオーディエンスにどれほど通じているのか自分でも確信が持てぬまま
英語のMCをする。

「やめろ!オラには全然わガんねッ!」

またKがツッコんだ。客がまた笑う。

「あー、この、黙ってろK!・・・え〜、では始めましょう。
シビれちゃった、シビれちゃった、シビれちゃったよーお、というギグのスタート。
インカレの軽音サークルが生んだ、世界を俯瞰する超有望なrock quintet、
JAPPSだあッ!」


<つづく>



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蹉跌集め -62- [小説]

62

SUBTLYの音合わせを悠奈と永はじっと聴いている。
Psychic Numbが始まった。
悠奈はブログで歌詞を見ていたが、初めて曲として聴く。

「ああ、すごい!」

そうとしか言えない。
自分が目指すべきことがいくつもあると思う。
このSUBTLYのメンバーひとりひとりのこれまでの来し方も慮る。
きっと彼らひとりひとりが自分の場におけるマグネットのような存在で、
数はどうあれ、他者を引きつけてきたのだ。
そして、その磁石は砂鉄ならぬ<蹉跌>を集めてきたに違いない。
その蹉跌が結局はこの音となって解放されているー
そう思った。

「ああ、そして今もー」


「悠奈ちゃん、お待たせしましたね。」

MNEMOが呼びかけた時、悠奈は沈思黙考の体だったから、ドキリとした。

「え、あ、はい!」

悠奈は12本の弦を再び慎重に調整して、ステージへ向かう。
永が甲斐甲斐しく悠奈の手助けをする。
SUBTLYのメンバーは「シーメ」にすぐには行かず、客席に座る。
悠奈は緊張する。
新宿南口の歩道でも、狛江の西河原公園でも、どんなに見知らぬ人ばかりの中で
あっても物怖じしない悠奈だが、たった4人に見つめられて、手が震える。

「悠奈、じゃあ、聴かせて!」

永がニッコリと笑って言う。永はもうすでに悠奈をファースト・ネームで呼んでいる。
永は悠奈の2つ上、同世代だ。悠奈の歌にもう惚れ込んでいる。

悠奈は12弦ギターではむずかしいアルペッジオでイントロを弾く。

「お、Twelve Times a Yearではない歌だ。」

SUBTLYのメンバーはみなそう思った。
竹中さんとボックンも仕事の手を止めて注目している。
相変わらずボックンは顔を紅潮させている。

Born in Japan
naturally, I've become a child of trees
But nowadays
I feel anxious about what it will be
My country
The islands of trees

日本に生まれ
自然に、私は木々の子になりました
でも近頃は
どうなるか不安です
私のくにが
木の島々が

[i:]という長母音が森に差し込む陽の光のように聞こえるー
MNEMOはそう思った。

Mama,
is this the way it should be?
Papa,
can we no longer swim in the sea?

Don't keep them poisoning it
Don't leave them contaminating it
Don't let us be as we are
Now we've already gone too far

ママ、
こういうものなの?
パパ、
もう海では泳げないの?

汚すのをやめさせて
穢したままにさせないで
このままの私たちでいてはいけないわ
もうとっくに私たちはやり過ぎてしまったのよ


悠奈の歌が終わって、男たちはみな「余韻よ、減衰しないでくれ」と願っていた。
悠奈は目を閉じている。
白いTシャツとブルージーンズといういでたちだが、陳腐な形容ながら、
まるで森の妖精のようだ。

「ガシャッ!」

静寂は破られた。
ボックンが聴き惚れ見蕩れて、持っていた皿を落としそうになり、慌ててつかんで
シンクの縁にぶつけたのだった。

「す、すいませんッ!」

ボックンは泣きそうな声で謝罪する。
SUBTLYのみんなは眉を顰めるどころか、一斉に笑った。
自分ももしボックンだったら同じことをしたろうと思えたからだ。

ーそのときだ、自動ドアが開いた。

「おはようございます。」

光と幸嗣が相次いで入ってきた。


<つづく>



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蹉跌集め -61- [小説]

61

5月の「Numb」コンサートの日となった。

いわゆる「逆リハ」で、SUBTLYが先に渋谷・神泉のサンタンに入る。

「サンタン」という名は、オーナーの中川三治さんが年がら年じゅう日焼けしていて、
仲間から「さんちゃん」をもじって「サンタン」と愛称されていることで付いた。
小麦色の肌の彼が笑うと白い歯がいっそう輝いて見えて、彼に会った人はみな
印象的に彼のことを記憶する。

MNEMOが店のマネージャーの竹中さんに懇ろに挨拶する。

「いやあ〜、MNEMOっちゃん、待ってましたよ〜!!」

竹中さんはいつも心底MNEMOがサンタンで歌うことを楽しみにしてくれる。

「今日はSUBTLYで?DDじゃないの?あ、 G Stringか?」

彼は悪い冗談を言う。

「EUROYですよ!」

MNEMOも悪い冗談を返す。
竹中はガハハッと笑って、

「いや、どういうバンドであっても、MNEMOっちゃんの歌が楽しみで!」

MNEMOはメンバーに気を遣って、チラッと彼らを見て、

「竹中さんはほんとに歌好きで、僕の理解者だから!」

と取り繕った。

すると自動ドアが開いて、早くも悠奈がコヤ入りする。

「おー、悠奈ちゃん!早いね、また。」

MNEMOが声を掛ける。悠奈は丁寧にみんなにお辞儀して、

「すみません。ご迷惑でないでしょうか」

と言った。

「そんなわけないじゃないですか!」

Stickがうれしそうに応える。

「あれ、お連れさん?」

MNEMOが訊く。

「初めまして。ホムラー・レコードの音吏部永(おとりぶ・とこしえ)です。」

「すごい名前だね!」

Henryがヴァイオリンの弓の毛の張りを調整するためアジャスターを回しながら言った。

「おとりぶ・とこしえ、ですか?」

「はい。みんな忘れられない名前だって言いつつ、忘れる名前です。」

一同が笑った。
笑いつつも、この「とこしえ」ちゃんが悠奈に劣らぬ美貌を持つことに密かに
賛嘆していた。

「なんかフランス語的な響きだね。特に『とこしえ』なんてトルシエみたいで。」

Henryが言った。

「僕もほんとはHenriであって、フランス表記が正しいんだ。」

「Hを読まないんだよな。で、eは長母音で[ɑː]って読む。riはいわゆる『うがい音』ー」

MNEMOが知識をひけらかす。

「で、Hを読まないって、なんか真面目な読書家みたいだけど。」

みんながまた笑う。

「もうこの歳だしな。」

Henryが言う。

「団塊の世代の村上春樹さんは衰えずすごい描写するけどな。」

Halがボソッと言う。

悠奈も永もタジタジになっている。

「それでですねー」

永が話題を変えようとする。

「私、佐藤悠奈のA&R担当になりましたので、よろしくお願いします。」

竹中さんとキッチン担当のサンタン・スタッフ最年少「ボックン」が二人の美形に
見蕩れている。

悠奈はその二人の視線に気づき、永と共にカウンターへ行って、挨拶をする。
竹中さんはデレデレになって歓迎の言葉を贈った。ボックンは赤い顔をしてお辞儀した。

Stickがドラムスのチェックを始めて、それがまるで呼び込み太鼓の如く響いて、
メンバーたちの作業を急がせた。


<つづく>



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蹉跌集め -60- [小説]

60

十三はまったく悠奈のことが忘れられないままだった。
大学が始まって、中野坂上の悠奈のマンションの前まで行ってはそそくさと帰った。
もはや悠奈は住んでいないようだと悟り始め、それほどまで自分は嫌われたか、
それとも誰かの近くへと行ったのかと思うようになった。

「そうならばきっと狛江だろう。」

十三はほとんど確信していた。

「そして狛江なら、多摩川べりの方ー きっと和泉多摩川駅周辺だ。」

妻・花乃里が娘と里帰りした四月の9日昼過ぎ、十三は和泉多摩川へクルマを走らせた。
カーナビ通りに行き、駅前のロータリーに到着した。目の前は交番で、そう長くは
停めていられない。ナビをスクロールして、川沿いの住宅地を見つけ、
適当にその辺りを目的地にセットして出発する。

右折左折を何度か繰り返して、土手下の比較的開けた道に出た。
いい道だが、路上駐車ができるほどの広さはない。近くのコインパークを探し出し、
今来た道を今度は歩き出す。悠奈に会えるはずなどないのは知っている。
しかし、彼女に近づいているということだけである程度の満足感があった。

「俺はストーカーだな、まったく。」

十三は今度は屈辱を感じた。
自分は今までに一度としてフラれたことなどなかった。順風満帆の人生ー
悠奈と出くわすまでは。

土手道に上がって、いずれの方向へ歩き出すべきかを考える。
悠奈は駅近くに住んでいるはずだと推定し、川上方向を選ぶ。
その道を自動車教習所に通う若者が何人か歩いてくる。悠奈と年恰好が同じ女性も
たまに歩いてくる。遠くでそういう女性を認めると、十三はドキドキしてしまう。
髪が比較的長く、165センチほどの背格好だったりすると心臓の高鳴りは聞こえるほどに
なった。しかし、悠奈ではなかった。

そんな風に歩いていると、多摩水道橋のたもとにまで来てしまった。そのまま行っても
狛江市内であるのは分かっている。駅からそう遠くないところまで行ってみようと思う。
右手に都立高校があって、校庭では野球部の休日練習が行われている。その校庭の
西側の端まで来て、北へ行く道へ入る。

その道は少し下り坂になっている。
まもなく十三は何か不気味な感じがして立ち止まった。
空気が違うのだ。目を瞑る。十三は何かを感じ取ろうとする。
子どもの頃からこうした空気の異なるところでは、十三は目を瞑ると幻視とは云え
何かが見えた。思えば小日向の切支丹坂での幻視もそういうことだった。

見えたのは男女のカップルが道の左手からどんどんと出てくる様だった。
幸せそうな表情の対はない。男も女も仮面をかぶったように表情を変えない。
そしてその仮面の表情は、まさに仏頂面なのだが、さもしさが滲んでいた。

「ああ、ここにはいわゆる連れ込み宿が在ったのだな。」

十三はそう思った。この空間で、夥しい数のカップルが来ては後ろめたく欲望を
満たしたのだと思うと、自分が今していることの卑しさに戦慄が走った。

十三はその場を逃げ出す。逃げ出すや否や、右手に小さな地蔵堂が在るのが
ぎりぎり視野に入った。途端に十三はグッと踏み止まって、急ブレーキをかけたクルマの
ように慣性力で前のめった。

「お地蔵様が泣いていらっしゃる!」

十三はそう思った。なぜかそう思った。
手を合わせて何十秒も祈りを捧げて、歩き出す。すると追いかけてくる老婦人がいた。

「あのぅ、ごめんなさい、突然話しかけたりしてー」

老婦人は言った。

「今あなたさまはあのお地蔵さまに懇ろに手を合わせていらっしゃったでしょう。」

十三は老婦人の表情を見て、その穏やかさにホッとしながら、

「ええ。」

と答えた。

「なぜあそこにお地蔵様がいらっしゃるかご存じ?」

「あ、いいえ。存じ上げません。」

「そうですか。あのお地蔵様は、そう、もうあれから50年に近いかしら、
ある日すぐ近くの多摩川岸に少女の水死体が上がりましてね。
身元が不明のままで・・・。
あの小さな地蔵堂を造り、供養したのですよ、あの地蔵堂がくっついているお家の方が。」

「そうなんですか。」

老婦人はお辞儀して去っていく。十三は彼女のした話を噛みしめていた。

「泣いていらっしゃるはずだ。」

十三は独りごちた。

「その少女は、無念の死を遂げ、地蔵となった。そしてそのすぐ目の前で、
夥しい数のカップルの逢瀬を見てきたのだ。そのカップルが幸せならばそれはお地蔵様も
心安かったろうが・・・。」

十三は地蔵堂に戻って、再び心からの祈りを捧げた。
ソメイヨシノの、散って土手の方から雨で流された無数の花びらが、
小さな川のようになって地蔵堂に導かれている。

十三は泣けた。
そして心に決める。もう二度と悠奈をこんな風に追ってはならない、と。


<つづく>




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蹉跌集め -59- [小説]

59

ケンスキーにMNEMOからまたメールが届いた。

「ケンスキー君、ごめんね、君をまずはゲストでSUBTLYにとお招きしながら、
Henryの正式加入でその話が反古になってしまって。僕のブログで『上モノ募集』とか
『virtuoso募集』みたいなことを書いて、Henryが僕らと一緒にやりたいって
言ってくれてたんだけれど、なにしろいろいろとあって、どうなるか分からなかったんだ。
HalもStickも歓迎っていうことになって、一応話が整ったのはつい昨日のことだったんだ。

ケンスキー君とやりたいっていうのは何も変わらないよ。そのチャンスはきっとあると
思っています。とは云え、JAPPSがメイジャーになるのは間もなくと僕は思っている。
2バンドに跨る活動はできなくなるだろうけれど、それはそれでめでたいことだね。

さて、聖古さんからメールが来て、なんとJAPPSをプロデュースするって言うでは
ないですか!なんていうsmall worldなんでしょうな。まさか光君のお母様が
探真の参与とは思わなかった。聖古さんは探真じゃ大変な<顔>だから、
いずれつながってしまう縁だったんだね。

さて、5月13日渋谷・神泉サンタンでのギグだけれど、既報通り悠奈ちゃんがソロで
真ん中でやります。JAPPSがスターターで。SUBTLYがトリですが、それは年の功で
許してください。

ギグのトータルなテーマは『Numb』とします。いろんな意味でのnumbです。
オーディエンスには痺れてほしいし、麻痺して欲しくないこともあります。
幸嗣くんなら『南無』に聞こえてしまうかも。(笑)

各バンド・アーティスト40分が演奏時間です。また詳細は連絡します。」

ケンスキーはMNEMOの配慮に感謝した。
そして「藤熊組」とも言えるSUBTLYの連帯を羨ましく思った。
彼らはそれを「克己會」と言っているそうだ。族みたいだ。

MNEMOの前のメールをケンスキーは読みたくなった。

「バンドはなによりモチーフをひとつにしなくてはならない。その前提に、無論
メンバー相互の技術的信頼がなくてはならない。その技術は日々の努力でしか絶対に
手に入らない。その努力をこそ実は尊敬するんだ、共にね。

技術とは、単にある楽器がうまいとか、歌がうまいとかだけのことではない。
そのプレイヤーのセンスそのものでもある。バンド内でそのセンスを巡る議論が
あってもいい。けれども、あくまでプレイヤーのセンスをまずは大事にする姿勢が
なければ議論ではなく、単なる非難合戦や諍いにしかならない。4人なら4人、
5人なら5人の現在のそれぞれの感覚世界の地平をまず相互にできるだけ理解して、
そして<俺たちの地平>を見る。メンバー分の奥行きが、perspectivesが、
ピタリと重なった時、他のどんなバンドも真似できないharmonyが生まれるんだと
僕は確信している。」

正に年の功だ、とケンスキーはあらためて思う。
JAPPSはいつも団結する時にルサンチマンが伴っている。
それではいけないなとケンスキーは思うのだった。



4月中旬のある日、JAPPSは聖古と横浜みなとみらいに在る高級なcaféで会った。
聖古はいかにもいわゆる「ミッション・スクール」の同窓会会長然としていたが、
とても気さくな女性だったのでメンバーたちはひと安堵していた。

「さてー」

と聖古はひとしきりの自己紹介や雑談を終えて、「Let's get down to businnes」と
いう風情で、革のカヴァーのビジネス・ダイアリーを開いた。

「まずね、JAPPSっていうバンド名、変えられないかな。」

メンバーに一瞬にして緊張が走る。

「すごい思い入れあるの、このバンド名。」

「そ、それは、それなりに。」

芳樹が答えた。

「そう。変えたらもう自分らじゃなくなっちゃうくらいバンドidentityに関わる?」

「そ、そこまで言われてしまうと・・・。」

「ね。やっぱりPが1個多くたって、『ジャップス』は『ジャップス』でしょ。
まあ、黒人の中でもわざと自分たちをニガーって言ったり、黒人同士でそう呼び
合ったりっていうのがあるのは私も知っているのよ。なにしろ私Baptistだから、
アメリカ南部のことに詳しいし、黒人の友だちもいっぱいいるの。
でもさすがにその言葉をバンド名にする黒人はいないと思うわ。」

「・・・。」

「いや、あのね、別にあなたたちのidentityに強く関わる名前ならいいのよ。
でも、確かこの名前ってアクロニムでしょ。その主張はいいんだけれど、
もっと前向きっていうか、positiveな名前にしない?」

「考えさせてください。」

光が少し悄然として言った。

「みんなで話し合ってみます。」

「うん、そうして。もし浮かばなかったら私が考えてもいいんだけど。」

「いや、それは僕らに任せてください。」

芳樹が憤りを押し殺して言った。

「なにしろ僕らまだ聖古さんのお世話になるかも決定していませんし。」

「そうよね。」

聖古がそう言ってiced teaをストローで飲んだ。

「私ね、あなた方を売り出すイメージはしっかり掴んでいるつもり。ほんとよ。
あなた方、なかなかの高学歴じゃない。例えばケンスキー君のピアノなんて
すぐにclassicsをみっちりやってた人だわって分かる。デモも聴いたわ。
ライブでやっていた曲より断然好き。リリカルよねぇ。そういうところー
あのね、今有閑階級のおばさまたちが待望しているのに、
若い男性ミュージシャンたちが、知的さやクラシックの香りを漂わせるコンサートを
やってくれるっていうのがあるのよ。ね、あなた方ならやれるって思うの。」

幸嗣があからさまに顔を顰める。

「そういう要素もありつつね、社会貢献もしていくの。私は福島の人たちへの
支援もやっていて、それでMNEMOさんとも知り合ったんだけれど、今後も関わって
いきたいの。どうかしら、みんなもその点も賛同してくれればうれしいわ。」

「俺、ロッカーです。」

幸嗣がたまらず言った。

「社会貢献はむろん喜んでやります。でも前段はいけません。俺らロックバンドです。
あのデモの1曲はたまたまバラードになっただけです。今バリバリロックの
カップリング曲を制作中です。」

「あのね、おばさまって言ったのは悪かったけれど、そういうニーズは確実にあるのよ。
もちろん若い子たちにも照準を合わせるわよ。でもできれば老若男女ー
この際男は外すけれど、老若女に幅広く支持されるのって悪くないでしょ?
知的なロックって、きっと若い子にはウケないと思うんだけれどな、そのままじゃ。」

「そんなことはないと思います。」

光が決然と反論する。

「若者を見くびらないでください。僕ら、知的な、そして詩の深みがわかる若い子も
確実にいるって分かってます。それも日本人の子ばかりじゃなく、世界中にー。」

「そうなの。まあ、それはそれなりいるわよね。
・・・私はインターナショナルな活躍は大歓迎よ。そういう実績ももうあるの。」

「聖古さん。なにしろ考えさせて下さい。」

ケンスキーが言った。

「僕にクラシックの素養があるのは本当です。でも僕のヒーローはジョン・ロード
ですよ。ご存知ですか?」

「いいえ。」

「Deep Purpleのキーボードです。もちろん『明日にかける橋』のラリー・ネクテルの
ようなリリカルなピアノも弾きたいです。
でもこの二人、僕の中では全く相克しないんです。
どっちのようでもありたいんです、僕。もちろん猿真似したいっていうんじゃありません。
僕は僕です。どうか僕らのセンスを信じられるようになる迄、できれば僕らを追って
くださいませんか。性急に事を進めるべきではないですし。」

このケンスキーの言葉に一番驚いていたのはJAPPSのメンバーたちだった。

「すごい<見識>だ!」

周平がおどけた。

「ケンスキー君、よく分かるわ。ありがとう、思いを述べてくださって。
私もプロデューサーとしては駆け出しだから、これからいっぱい学んでいくわ。
きっとJAPPS、追っていくからね。デモのカップリング曲も、できたらすぐに
送ってちょうだいね。」

JAPPSのメンバーはみな、齟齬はあったが、いい人と巡り合えたと感じていた。


<つづく>




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