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蹉跌集め II-17 [小説]

17

「杉尾ちゃんさぁー」

薗畠が呼びかけた。

「今世界はインディーズを求めてるでしょ。既製品・大量生産より、個性的な
コンテンツっていうことだよね。まあ、どこの業界でもあることだけれど。
前例が踏襲されて、アーティストの規格化が起こり、それが音楽的ばかりか、
歌詞の通りいっぺんさにもつながってしまう。」

「そうですね。」

藤熊も賛同して言う。

「結局圧倒的な<同類志向者たち>からどう際立つか、それは下手なギミックとかでは
なくて、本当にそのアーティストの個性をこそどのくらい打ち出せるかなんですよね。
今、広告で買ってみようなんていう時代ではなくなっています。昔のTVやラジオのCMに
よる宣伝なんて、今はもうSNSやYouTubeで対等ないしはそれ以上の効果をあげられて
しまっていますからね。だからこそ、個性的でなければならないんです、ますます。」

「今世界的にアーティストが期待されているのは、そうした個性が生かされる世界
そのものを具現し、かつ限りなく藝術的に表現することだと私も確信しています。」

永が言う。

「音楽的・詩的・藝術的良心はいつの時代でも絶対に人のこころを打ちます。
この時代、人々のこころが荒くなったのも確かだと思います。けれど、だからこそその
<すさみ>を和らげる音楽が、歌が、必要なのです。」

「月はほんとうにappeasing(こころを和らげる)な存在だね。」

薗畠がしみじみ言う。

「地球での生命開闢以来、ずっと夜を照らしてきた。もちろん新月のときには
漆黒の闇をつくってきた。それも大事だ。潮汐力でもリズムを地球に、生物に与えてきた。
月あってこその地球であり、生命なんだよね。ずっと、ずっと、そういうことできたんだ。
月の満ち欠けに人間は人生をも見てきた。望月に己のperfectionを重ねてほくそ笑む者、
欠けているからこそ風趣があると思う者、新月にこそ希望を見いだす者、三日月の、
たとえば木星や金星とのランデブーに<釣り合い>というものの美の極致を見出す者、
深夜にたとえば二十七夜の月を見て、いや、それに見られて、なんだか人生を反省したり
する者、仕事でクルマに乗っていて、渋滞なんかでイライラしている夕方に、
大きな満月が東の空にあるのを突然目にして、その超然たる美に打たれ、己のちっぽけさ、
美から遠ざかっていた自分の生活の貧しさに気づく者ー
ね、月って本当に偉大だよね。」

「いやさぁ、薗畠ちゃんー」

杉尾が言う。

「僕と野津田が言いたかったのはね、ほら、悠奈ちゃんのアルバムに結局日本語曲が
ひとつも入んなかったでしょ。それでまた、メッセージ性強すぎるってことになると、
売り出し方がむずかしくなんないかっていうアンチテーゼだったのよぉ。」

「そうなんです。」

野津田が<初めて>しゃべった。

「売り出し方がね、もう少し具体化しないと不安になりましてね。」

「だからそれは、まあ、バジェットにも依りますがね、悠奈ちゃんのヴィジュアルを
十分活かして、圧倒的に藝術的価値の高いPVを作ることにまず尽きると思うんです。」

藤熊が言った。

「どういうイメージ?」

杉尾が訊く。

「Somoちゃん、本名・祖母山(そもやま)氏率いるSomogumiに任せましょうよ。」

藤熊が言う。

「あそこにね、アートディレクターの加賀美秋光っていう<literature>な人が
いるんですよ。Somoちゃんとのコンビはきっと大反響を巻き起こすPVを創りますよ。
なにしろ素材がいいから、彼らの藝術的意欲は掻き立てられまくるでしょうね。」

「デザイナーの粟田さんはどうなんですか?」

永が訊く。

「あー、セミちゃんのこと?うん、彼がそのコンビにとっての<第3の視座>かな。」

悠奈がにっこりと笑う。

「まあ、的外れなこともよく言うんだけれどね。」

藤熊が言うと、悠奈と永が、

「それは失礼ですよ、藤熊さん」

と笑って抗議する。

「ああいう存在は貴重です、本当に。」

SUBTLYのヴィデオ試写のときに彼女らは粟田に大いに笑わされ、彼がどれほどに
ともすれば<すさむ>現場での和みとなっているかを知っていた。

「じゃあ、わかった。」

杉尾が言った。

「最高のPV作って。野津田、藤熊ちゃんと見積もり出してくれ。
薗ちゃん、その際は折半頼むよ。」

「うん。杉尾ちゃん、任せてみようよ。藤熊ちゃん、永ちゃん、そして悠奈ちゃんの
トリオに。そのトリオが全幅の信頼を置く、Somo、加賀美、そして粟田のトリオにも。」
そしてTriviaの加護あらんことを!」

薗畠がそう締めて、会議は終わった。


<つづく>



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蹉跌集め II-16 [小説]

16

悠奈は薗畠、藤熊、野津田、永の四人と会合をホムラーの会議室で持った。
そして今回はもう一人加わったー ホムラーの社長、杉尾だ。

進行役は藤熊だった。

「さて、今日Junoプロジェクトの関係者全員お集まりいただきまして、
懸案になっているJunoファースト・アルバムのコンセプト改変について結論を得たいと
思っております。

東アジア情勢が非常に緊迫する中、歌舞音曲ー
って、まあ、ちょっと古い言い回しですが、音楽や芸能一般に対する風当たりが強くなり、
体制に迎合する一部芸人たちなどは重宝がられつつ、
一方ロック・フォーク系のミュージシャンたちは、元々の音楽・詩的傾向から実に肩身の
狭い想いをしている昨今です。」

「藤熊ちゃん、どうしたの、硬いね。」

薗畠が藤熊の肩の力を抜かせてくれる合いの手を入れた。
藤熊は破顔一笑して、

「というような硬い前振りは終わりにしてですね、まず、悠奈ちゃんの結論から
聞きたいと思うんですけれど、どうですか、悠奈ちゃん。」

悠奈は硬い表情のまま、口を真一文字にしてしばらく言葉を発しなかった。
一同は固唾を飲んだ。

「結論から言いますとー」

ようやく悠奈が口を開いた。

「コンセプト改変には同意できません。」

一同は「やはり」という表情をして、みな視線を少し落とした。

「『Twelve Times a Year〜12の月のフェイズ』というタイトルのこのアルバムは、
私の少なくとも12の様相を歌にしたものです。なにも12の月のそれぞれの満月ばかりを
歌っているのではなく、私は新月にも、三日月にも、上弦にも、十三夜の月にも、
十六夜の月にも、下弦にも、また二十三夜の月にも、二十七夜にもなって歌いました。
私はJunoより、SeleneやLuna、Artemis、Cynthia、Diana、あるいはMeneという
芸名にしたいとすら思いました。」

「みんなギリシア神話やローマ神話の月の女神です。最後のMeneはギリシア語で
ずばりMoonのことです。12の月を支配する女神の名でもあるのです。」

永が補足した。

「MNEMOさんが、ブログでこんな自作和歌を紹介しておられました。

立ち待ちて居待ちて臥せて更け待ちて月の出未だ見ざりけるなり

月のフェイズ(相)と東の空に出てくる時刻の変化に合わせて待っていても、
月が出て来ないという、いわば絶望的な焦がれの歌です。

私は打たれました。女として、これほどに焦がれられたら、と。

女ばかりではないでしょう、男にも様々なフェイズがあるはずです。
しかし月はどうしても女性を象徴化します。私は地球に生まれた生物の、
人間の女として生まれ生きている幸せを感じますー 月という美しく、静謐な
天体と己を同一視できる幸せを感じます。

Seleneが私にとって一番好きな月の女神の名前です。
これはselasというギリシア語の『明るい』から来ています。この場合、英語なら、
lightの訳を当てたく思います。brightでは明るすぎるのです。

このselasはラテン語のserenusときっと関係があります。
lとrの違いはあれ、serenusにも晴朗な、明らかな、という意味があるからです。

このserenusがsereneという英語に引き継がれます。serenityという名詞と共に、
私が大好きな英単語のひとつです。」

一同は、語源学の授業を受けている気分になっていた。

「私の、大きく分けて新月から満月まで、クレッシェンド的楽曲と、
十六夜から新月までのデクレッシェンド的それとを、両方活かしてください!
私の12のserenadesを。以上です。」

圧倒されて、一同は言葉を長く失っている。
しかし、この種のプレゼンが大好きな薗畠は独りニコニコとしている。

「あのねー」

杉尾が口を開いた。

「とても教養あふれる話だったんだけど、歌詞の政治性と今の月のフェイズの話と
どう関係するのかな。」

「・・・あの、私には、感銘を受けていることばがあるんです。」

悠奈が静かな口調で答える。

「God,
Grant me the Serenity to accept the things I cannot change;
Courage to change the things I can;
and Wisdom to know the difference.

神よ
私には変えられない物事を受け入れる心の静謐を
変えられることは変えてしまう勇気を
そしてその変えられるもの、変えられないものの違いを知る智慧を
与え給え
(しつこいけどMNEMO訳)

アメリカの神学者で倫理学者のラインホールド・ニーバーが1943年の夏に語った
説教の一部です。

変えられないこと、変えられること・・・この2分法があって、
変えられないことを受け入れている心の象徴が月の静謐な姿なんです。
変えられるものは変えるんだという勇気の象徴は、満月に向かっていく月、
特に上弦からの相に感じませんか。
そしてその2分法をこそ判断する知恵の象徴こそTriviaなのです。

これは私の勝手な解釈ですけれどー
Triviaはローマ神話でのアルテミスの異称とされています。
語源は『tri-(3つの)』と『via(道)』です。
なぜ『三叉路』というのが月の女神の名になったのでしょう。
Triviaの神殿が三叉路に在ったからだとかとも言われます。
では、なぜ三叉路に在ったのでしょう。

私は月は3つめの方途を示してくれるからだと思っています。
月は満ち、そして必ず欠けます。その繰り返し。
一見シーシュポスの岩運びのようです。
人間も生命体としてのピークを12歳くらいで迎え、その後必ず衰えます。
人間の場合はそれを繰り返すことはできないわけです。

月の、無限とも言える満ち欠けの繰り返しに、人間は<trivia>を見たのでは
ないでしょうか。自分たちも<生まれ成長し衰え死ぬ>で終わりではないのではないか。
満ちて欠けて終わりではない第三の道、方途、ないしはそれを感じ取る視座を
獲得するのではないでしょうか。まるで<正・反・合>です。

なお、triviaは今『つまらぬこと』という意味で英語では使われています。
三叉路は人通り多く、広場になって、ありふれたところということからそんな意味に
なっています。世界中のみんなが、二項対立を超えて、第三の立場、視座を得ることが
ありふれたことになるのを私は祈っています。その『第三の立場』あるいは『道』を
歌うことが、政治的だというなら、私は甘んじてその批判を受け入れます。
けれども私は政治的というより、倫理哲学的、もっとくだけて言えば、
こころの持ちように関わることを歌っているに過ぎないのです。」

奇しくも、ラインホールド・ニーバーのことばがここでも引用された。

しかし、こんなことを言う若い女性シンガーがかつていただろうか。
一同は本当に唖然とする思いで悠奈の「講義」を聴いていた。


<つづく>


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