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蹉跌集め II-11 [小説]

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それから光がトキに木野の話をした。
トキは「そんな甚だしい遠縁で、しかも東大印哲を出た偉い仏教者と共通点など
ちっともない」と言いながらも、爆撃で家族を殺された共通の境遇に再び涙した。

「どれほどお辛かったことでしょうね。」

トキはB定の食器を片付けながら言った。

「たとえば高畑勲さんの『火垂るの墓』なんかとても見られやしないのよ。
・・・あ、そうそう!高畑さんの相棒なのか知らないけれど、宮崎駿さん、あの宇都宮
空襲を体験してるってどっかで聞いたわ。あたしと同じで4歳だったって。」

「え、そうなんですか。」

光が驚く。

「『風立ちぬ』を語ってな、宮崎さんは宇都宮に在った宮崎航空興学工場長の
父のこと、いろいろ話しているよ。」

幸嗣が言った。

「欠陥品を造っても袖の下で検査官を買収し、馬力をごまかしたり、挙句、空襲で
自分らは当時は考えられないガソリン車で逃げられる身分で、しかも乗せてくれと
懇願する母子を振り切ったこととか。」

「そうなんだ。」

光は深く考え込む。

「高畑さんも宮崎さんも、幼かったとは云え、戦中派だろ。」

幸嗣が言う。

「その人たちの生々しい戦争への思いがアニメ映像化しているし、多くの人がそれを
見たことは本当に貴いことだと思う。体験した人だからこその表現があるから、
後に生まれた日本人アニメーターはそこでは匹敵しようがない。
でも、その表現の<仕方>はそこで受け継がれる。そして<思い>も。」

「そうだな。」

光が言う。

「司馬遼太郎は戦車兵で、本土決戦で道に避難民が溢れたらどうするのかと参謀将校に
訊いた。するとその将校が『轢っ殺して行け』と言ったんだそうだ。結局そういうことに
なってしまうんだ。戦争は狂気のなせることだから、その渦中ではなにもおかしなことは
なくなってしまうし、さらに、後に回顧しても<しかたがなかった>っていうことに
なってしまうんだ。」

「そうだ。そして戦後世代がほとんどになった今、平和の大切さ、戦争の愚かさを
訴えると、MNEMOさんみたいに撃たれてしまう。」

幸嗣が言う。

「なあー」

光が言う。

「これから木野先生に会いに行かないか。」

「え?多摩川へか?」

「ああ。悠奈に聞いたよ、12時に行くと会えるかもって。もちろん先生が会って下さる
つもりがあればだけれど。」

「そうか。で何を訊くんだ。」

「俺たちみたいな若い俗物が、どうすればこの世を変えられるかって。」

「青いな。でも、そういうことでしかないよな。このままでいいはずがない。
世界が暴発の危機に確実に陥っている今だもんな。」

トキは二人の会話を聴いていて、うれしそうに頷いていた。


<つづく>




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蹉跌集め II-10 [小説]

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もうとっくに日は暮れていた。
英語学の教授である十三は尼寺の前で、やはりHamletのセリフを憶い出していた。

「There are more things in heaven and earth, Horatio.
Than are dreamt of in your philosophy.」

天と地には、ホレイショ、哲学などというものも夢想だにしないほど多くの物事が
あるのだよ、ということだ。
この一節が、華厳の滝に身を投げた一高生で漱石に叱咤されたという藤村操に
「ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ」と言わしめた。
ところがこの「ホレーショの哲學」というのが誤りで、
「your」を「お前の=ホレーショの」ととるべきものではなかった。
「かの、俗世間(お前らが)いうところの」という侮りを込めた「一般論のyour」なのだ。

「まったく、曰く不可解だ。」

十三はそう言って、<独り相撲>の悲惨をかみしめた。

「もしかすると、『K』のモデルにもなったか、藤村操は。」

『草枕』で漱石は、「(藤村は)美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと
思う」と言い、「死その物の壮烈をだに体し得ざるものが、如何にして藤村子の所業を
嗤い得べき」と言った。「美」を「道」とすれば、『こゝろ』のKのことではないか、と。

「美や道のための独り相撲をとり続け、敢えなく自死する者かー」

十三はあらためてShakespeareや漱石の深さに震撼するのだった。




日光・二荒山=男体山でめいめい独り相撲をとった光と幸嗣は、同じ頃八幡山にいた。
幸嗣がトキを光に紹介したいからと招いたのだ。

「トキちゃん、こちら有馬光、俺のバンドメートなんだ。」

幸嗣がテーブルに座るや、トキに告げた。

「あらま、そうなの。初めまして、斎藤トキです。コウさんとはもう4年くらいかな、
ずっとご贔屓にしてもらっていてね。」

「初めまして。有馬です。今日は幸嗣がどうしてもトキさんにお会いしろって。」

「なんだ、ここのおいしいB定食を食わせたいってんじゃないのかい。」

厨房からマスターが声をかけた。
一同は笑った。幸嗣が、

「ごめん、マスター。もちろんB定を勧めたし、マスターにもお会いしろって
言っていたんだから、勘弁して。で、そのB定2つ、お願いします」

と言う。

「はいよ、<ついでの>マスターが<ついでの>B定作るよ!」

マスターがさらに戯けた。

「トキちゃんは知足の人なんだよ。」

幸嗣が言う。

「知足か。大事だよな。特に俺と幸嗣には。」

「ほんとだ。」

「どうしたの、そんなこと言って!」

トキが照れながら水を持ってきた。

「あ、トキちゃん、ビールを。今日は大瓶で、グラス2つ。」

幸嗣が注文する。

「はいよ。」

トキが用意をしていると、幸嗣たちが日光の話をしているのが聞こえた。

「あらコウさんたち、日光行ったの?」

「うん。決闘しに。」

「何言ってんのよ。」

「ほんとなんだよ、トキちゃん。二人で男体山から転げて、中禅寺湖まで落ちた方が
負けっていう決闘さ。」

「まあ!それで二人とも途中でひっかかった。」

「そう、10メートルも転げず。」

トキは大笑いしながらビールとグラスを持ってきた。

「あたしね、コウさん。出身は宇都宮なのよ。」

「あ、栃木の。」

「そう。旧姓は益子っていうんだけどね。」

「え?なんか聞いたことあるな。」

光が言う。

「U字工事だろう。」

幸嗣が言う。

「違う、違う・・あ!藤熊さんに多摩川で偶然お会いしたとき、益子姓の話になったぞ。
確か、紀伊国造家の子孫で、下野紀党が益子を名乗ったって。」

「あら!よく知ってるわねぇ。征東将軍の紀古佐美の子孫だって。」

「紀古佐美って、確か、阿弖流為に散々やられた・・・。」

光が言うと、

「そうなのよぉ」

とトキが右手をヒョイと振って言った。

「それでも後に出世はしたみたいだから、そんなに咎められなかったみたいだけど。
まあ、都に戻ったんだから、きっと陸奥へ行く途中だか帰りだかの下野で土地の女に
手を出したんでしょ。それが益子の遠いご先祖ってわけよ。」

「そうなんだ。」

光と幸嗣は木野のことを当然憶い出していた。

「あたしね、歳がバレちゃうけど、昭和20年、忘れもしない7月12日、
宇都宮大空襲に遭ってるのよ、4歳のとき。」

「宇都宮でも空襲があったんだ。」

幸嗣が言う。

「何度もあって、7月12日のは最悪でね。もちろん東京大空襲とか、広島・長崎とは
比べ物にならないけれど、600人とかが殺されたわ。19年に中島製作所の工場が
できたのが大きかったわね。ほら、飛行機作る。」

「あー、中島製作所って『隼』とかの。」

「そうそう。あたしはその工場の近くの家にいてね。空襲警報が鳴って、
母と妹とで防空壕に入ろうとしたんだけれどね・・・。」

トキが嗚咽しだす。

「トキちゃん、いいんだよ、思い出さなくて。」

幸嗣がやさしく言う。光はハンカチを手渡そうとするが、トキはお辞儀しながら遠慮し、
エプロンの裾で涙を拭いた。

「防空壕に入る直前だったわ、焼夷弾が降ってきて、ヒューッていう音がしてね・・・
母が咄嗟に手をつないでいたあたしを民家と民家の間の狭い路地みたいなところへ
片手でグイッとすさまじい力を出して放り投げたのよ。」

「・・・。」

「その直後に焼夷弾が炸裂して、母とおんぶされていた妹が一瞬にして・・・。」

トキは再び嗚咽して、しばらく話せなくなった。
幸嗣はすでにもらい泣きしていた。光は下唇を噛んで、泣くのを堪えているようだった。

「トキ、ほら、B定上がったよ!」

マスターが声を掛ける。
トキはまたエプロンの裾で涙を拭って、

「は、はい!」

と返事をして厨房へ行く。

「木野先生もご親族のほとんどを広島の原爆で失ったんだよな。」

光が言う。

「いつまで経っても懲りないバカな生き物だな、人間ていうのは!」

幸嗣は怒りに震えながら、自分の無力を呪った。


<つづく>





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