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蹉跌集め II-9 [小説]

9

悠奈はなぜそんな歌が降りて来たのか分からなかった。
彼女はあの地蔵とその堂がどういう謂れであそこに建立されたかは知らない。
お地蔵様となった少女が悠奈に何を訴えたかったのかはそれでも自明だった。
無念の裡に命を絶たれる者の悲壮な生への執着なのだ。

この3次元世界で、肉体を持って生きることは、すなわち他の肉体や物との接触を
求めることに他ならない。空気や水、食物を体内に取り込まねばどうにもならない
のはもちろん、他の物に触れるということもなくてはならない。
この世で何にも触れずに生きている物など皆無だ。

その<触れる>ということができなくなることが死だ。
五感の中、触覚は際立っている。幽霊というものがこの世に出てくるなら、
それが求めているのは誰かに触れることに違いない。
しかし、音も出せるし姿も現せようが、誰かに触れることはできない。
肉体があれば、電子の作用で他のものとは決して<交われない>。
しかしその電子同士の反発こそが他のものとの接触、触れ合いであって、
たとえば清が言う最高の手当てはまさに<手当て>なのだ。
また愛の確認も、どんなに相手と渾然一体になりたくて強く強く抱き合っても、
その一体化に抗する電子同士の斥力こそが皮肉にも<愛の実感>を生み出すのだ。


悠奈は己の口について出てくる詩の続きに自分でも驚きながら歌うー

"Love is touch" ーSo John sang
I am the one to know what he meant
In 1980 when he got a bang
He managed to make his last lament

Feel me, love
Hold me
Let me feel you
Let me hold you
Until the very last moment of my life
Just before I become a 'point'

「愛は触れ合い」ーそうJohnは歌った
あたしには彼の意図がよくわかる
1980年彼が撃たれたときに
彼はかろうじて最後の哀歌を作った

僕に触れてくれ
抱きしめてくれ
君を感じさせてくれ
抱かせてくれ
我が人生のまさに終わりまで
僕が「点」になる間際まで


悠奈は体の火照りを抑えられなくなるようで、歌うのをやめて、
お地蔵様のところへ戻り手を合わせてから、すぐにマンションへ戻った。




十三はあの5月以来、花乃里とは険悪な関係になってしまっていた。
花乃里の疑心暗鬼は果てしなくなり、十三は心身ともに疲れ切っていた。

その日も十三が自分の部屋で音楽をかけると、花乃里がやってきて、

「あのお嬢さんの歌じゃないのね」

と蔑んだ顔で言うのだった。
十三はすでに自分の不貞を何度も詫びていたし、もう悠奈への思いは断ち切ったと
告げていたけれども、花乃里はまったく信じないのだ。
中野坂上の職場へ行っても、花乃里がいつ尾行してきているか分からない。
実際にそういうことはもう数度あった。

「ちょっと散歩に出てくる。」

十三が言うと、

「もう十月も半ば、これから夕暮れ時で寒くなる中ご苦労様ね」

と花乃里が皮肉たっぷりに応える。

「大丈夫よ、今日は追わないわ。沙桜(さおう=娘)のためにやることがあるから。」

十三は半ば絶望的な気持ちで家を出た。

伝通院のところまで来た。
『それから』の三千代が住み、また『こゝろ』の「先生」が「お嬢さん」と、
さらにKと暮らしたのがこの辺りという設定なのだ。

「漱石の小説は、概ね金とそして三角関係の話だ。」

十三は独りごちた。

「もう悠奈のことは本当に忘れたいのに、どうして花乃里は分かってくれないのだろう。
このままでは全く決着がつかない。『行人』のように、いっそ悠奈と俺に一夜を
過ごさせてくれたらいいんだ。それを『Hamlet』の国王やポローニアスのように
盗み聞きしたらいいんだ!

Go thy ways to a nunnery!」

十三がそう心の中で叫ぶと驚いたー

彼は伝通院の隣の法蔵院の前に立っていたのだ。
法蔵院は尼寺だ。


<つづく>





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