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蹉跌集め II-3 [小説]

3

MNEMOの退院は、追加の形成手術などがあり、傷口からの感染症の心配がなくなる
までということから一ヶ月後という見込みが示された。
そこで発見は一旦帰国するということになり、藤熊たちと一緒に帰国した。

盲目となったMNEMOはネットで「信州読書会」のコンテンツばかり聴いた。
キェルケゴール、漱石、ニーチェ、遠藤周作『沈黙』などなど、生きること、
死ぬことにまつわる思索にこれまで以上痛切に没頭した。

10月も半ばになっていた。

「Mr. Nemoto, how are you this morning?」

MNEMOは今までの看護師とは違う声を聞き取って、

「Desperate as yesterday.」

と答えつつ、

「You're new to me. And please don't be offended, but I'm detecting that
you're not a native speaker of English.」

と言った。その看護師の英語はネイティヴではないと。

「分かりましたか、やっぱり。」

看護師は、MNEMOの耳には明らかに笑いを含んだ声で言った。

「憶えていらっしゃいますか、私、小梅屋清(さやか)です。」

「え?こうめやさんて、俺の田舎、野沢のあのー」

「はい。MNEMOさんのお母様が會津若松の中竹総合病院に入院されていたときに
お世話させていただきました。実家は野沢の熊野神社近くのー」

「ええぇッ!な、なんでその小梅屋さんがここに?」

「渡部鼎医師、ご存じですよね。」

「もちろん。入院した日、Powell看護師にも言ったぐらいだよ、渡部医師はここ、
UCSFの医学部出たって。その人はこの辺にいるのかって聞くから、1932年に
亡くなっているって言ったらキョトンとしていたよ・・・見えなかったけど。
野口英世のことも知らなかったよ、Powellさん。」

小梅屋は快活に笑った。

「ごめんなさいね、まずはお見舞いのことばも言わぬままになっているのに笑ったり
して。本当にこの度はお気の毒なことでした。心からお見舞い申し上げます。」

「ありがとう。」

「それで、私がここにいる理由ですけれど、あと2ヶ月半ほどで2018年でしょう?
実は来年で渡部医師の生誕160年なんですね。」

「ああ、そうか。確か1858年だよね、生まれたの。」

「はい。それで、渡部医師の会陽医院の精神を継いでいると自負する中竹総合病院が、
記念事業としてUCSF Medical Centerに医師と看護師を派遣したんです。」

「ほう。」

「私、実は渡部医師の家とは親戚でして、そのこともあって選ばれちゃって。」

「なんとまあ・・・。熊野様のお導きだあ。」

「9月からこっちへ来ていたんですけれど、驚きましたー
MNEMOさんがケガされてここへ入院なさるなんて。」

MNEMOと小梅屋はこの後もかなりの時間話をした。

「ごめん、小梅屋さん。僕にこんなかかりきりなっちゃっちゃまずいよね。」

「いいえ、いいんです。所詮純然外様で、やることなんかほとんどないんです。
MNEMOさんへの看護、ちょうどいいじゃないかって看護部長にも言われて。
ほとんど専任で看護させていただきます。」

「そりゃ贅沢なことだなあ。」

「Powellさんの方がよろしかったなら申し訳ないんですが。」

「いやいや。目が見えないから、Powellさんがどんな容姿か知らないし。」

そう言ってMNEMOは笑った。

「なにしろ、どうぞよろしくお願いします。」

「こちらこそ。何か私ができることはありますか。」

「英語で言ってみて。」

「うわあ、意地悪ですね。えーと、Is there anything I can do for you?」

「おお、上手ですよ。Yes, there's one thing.」

「OK, what is it?」

「There're letters I haven't read yet...and I won't be able to read forever.」

小梅屋が悲しい顔をする。

「読んでくれますか?」


<つづく>




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Trump has done 'it'

みなさん、トランプがシリアの基地をミサイル攻撃しました。
アサド政権が化学兵器を使ったと断定して懲罰とのことです。
どうして断定できるのかは今のところどの記事を読んでもわかりません。

これはむろん北朝鮮へのギリギリの警告でもあります。
米中首脳会談が始まったタイミングというのも計算されたものです。

アサドの後ろ盾のプーチン、そしてイランがどうするのか全くわかりません。
北朝鮮のあの坊やもどう反応するか、まったく分かりません。

ひとつ言えることは、世界は不安定要素の度合いをもしかすると<相当深刻に>高めた、
ということです。


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あぐすぎ

今朝は(?)午前1時頃起床、「蹉跌」を書いて、腹が減って四時に「なか卯」へ。
カウンターに座っていると、湯気が出てきそうな若いカップルが対(とい)面に
腰をかける。ただし<かれし>の方はなんだか正に「草食系」な男の子で、
痩せぎすだった。

こんなことを書いてゲスな感じなのだけれどもー

そのカップルが注文をするや否や、互いに「スマホ」を取り出して、
自分の世界にいきなり入ってしまうのだ。本当にたまに「これ見て」というように
話しかけるが、料理が来るまでそんな感じなのだ。

むろんそれまでにたっぷりコミュニケーションをとっていたのではあろうけれど、
私はなんだか解せないなあと思ってチラチラと二人を見ていた。

昔、「スマホ」などというものがなかった頃、こういう時刻のこういうカップルは
どうだったかな、と考え出した。むろん自分のことを棚にあげる必要はないが、
私の青春時代なんてケータイすらなかったのだ。二段階(?)も昔日のことを遡って
考えるのもなかなか間遠すぎる感じがしたのだ。

ケータイ時代にもメールなどはあったから、やはり見入ることもあったろうけれど、
しかし、これほど熱中してしまうというのは、ゲームでもやり始めない限りは
なかったことだろう。大体<そういう折>にゲームをし出してしまうカップルって、
あまりにも悲しいではないか。

昔のカップルなら、テーブル下で手でもつないで、メニューの話をしたり、
周辺の店の話とかをしたりしたろう。中には見つめ合ってしまって、対面の客の目の
遣り場がなくなってしまうなんてこともあったろう。そういう目には遭いたくないが、
それでも<会話なし、自分の「スマホ」を見つめまくる>カップルよりは好ましい。

こういう「アフターグロウ後スマホ凝視カップル」にはついていけないなあ、
と私は思った。これを「アグスギカップル」と命名しようと思いつつ。
こういうことを平気でする人間を「あぐすぎだ」と新しい形容動詞で呼ぼうとも。



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蹉跌集め II-2 [小説]

2

Ms. Catherin McGuinnessはスコットランド系アメリカ人で、
その先祖は5世紀のアイルランドまで遡れるとMNEMOに話していた。
原爆投下直後の広島や長崎の写真を撮ったJoe O'Donnellと彼の生前親交があり、
彼の次のことばに共感したという。

boy.jpg


「I am an American. I love my country. I fought for my country.
However, when my country does injustice to another, I must speak up.
American veterans do not understand me. I was THERE.
I walked in the ashes of Hiroshima and Nagasaki.
The Japanese army did many terrible things in China, Japan, and Korea,
in whatever. But can't you understand that a small child did nothing?
It is for those that I speak. They and their mothers did not deserve to
die to win a war. It was not right in 1945. It will not be right in the year 2045.
It will never be right.」

Joe O'Donnellは2007年8月9日、つまり長崎原爆忌に亡くなった。
今年ちょうど十周忌だ。

Ms. McGuinnessは彼の遺志を継ぐかたちで、反核運動の団体「Americans who
Stand up Against Nukes」略してASANを設立した。

彼女は長く、本当に長く、日本人の音楽アーティストがなぜ反核運動で声を
上げないのかーもちろん彼女が分かる英語でだがー をずっと訝っていたのだった。
もちろん坂本龍一というビッグネームが積極的に平和・反核・反原発で声を上げている
けれども、本当の意味の「声」ではなく、また、McGuinnessは草の根からの声を
待望していたのだった。インターネットで調べても、そういうアーティストにヒット
しないままだった。2011年の3月11日を経ても、状況は変わらなかった。

そして今年の8月前、原爆忌や終戦記念日を直前にしての日本ではどうかと検索して
いると、Joe O'Donnellのことをブログの記事にしている日本人を見つける。
反戦反核の英語詞もいくつか見つけてマークしていたのだ。
すると8月1日、そのMNEMOという人間がT2aTのYouTubeページをブログに
貼り、またTwitterではトップにそのT2aT公開を告知する記事を固定した。
McGuinnessは早速その歌を聴いて衝撃を受ける・・・。

世はトランプ政権になっていた。
いわゆるヘイト・スピーチやミソジニー(女性嫌い)がはるかにオバマ時代よりも
世に出やすくなっていた。トランプは核兵器でも世界最強の地位をさらに確固にすると
公言していた。オバマの広島訪問にもトランプは、

「As long as this pathetic president doesn’t apologize, it’s fine.
Who cares? (この哀れな大統領が(原爆投下を)謝罪しないなら、いいんじゃないか。
どうでもいいよ。)」

と言っていたのだった。

MNEMOはMcGuinnessの勇気を心から敬い、力になれればと本来弱虫な自分を叱咤して
決して来たくはなかったアメリカへ赴いた。サンフランシスコに着いた夜の
McGuinnessとその仲間たちの歓待は忘れられないものだった。

MNEMOはScott McKenzieの『花のサンフランシスコ』を即興で歌い、

If you're going to San Francisco
Be sure to wear some flowers in your hair

という歌詞でグッときたし、本当にみんなが「gentle people」であることに感激し、
この歓迎会のためだけでも来て本当に良かったと思ったのだった。

そしてさらに思ったー

この1967年の歌は、MNEMOの長兄がレコードを買い、聴き始めた。
その年は兄弟全員の憧れの的BeatlesがSgt. Pepper'sを世界同時発売した
年でもあって、しかし、その衝撃的なサウンドに違和を感じた小4のMNEMOは、
どれほどこのScottの美しい歌に慰められたか知れない。

長兄はこんなに愛に満ちた歌を好んだのだ、と改めて思った。
彼はその後グレてしまったけれど、やはり心優しい人だったんだなあと、
サンフランシスコに来てしみじみ思った。
さらにこうしてMcGuinnessさんたちと出会え、反戦・反核の歌をアメリカで歌える
という自分には奇跡的なことに導いてくれた兄に感謝して落涙したー
英語の歌を聴く「家風」をもたらした長兄に。

その兄は震災・原発事故の2年後、甲状腺がんで亡くなった。



McGuinnessの死は兄の死にも劣らぬほどの衝撃だった。
MNEMO得意の軽口など一切出なくなってしまった。
藤熊たちは途方に暮れながら病室を出て行った。
娘の発見(ほつみ)は残って、父親に話しかけた。

「パパ、本当に心が痛いよ。なんて言っていいかわからない。
私も5年前、1年間アメリカに留学してたでしょ。
いろいろあったよ、本当。私がいたのはパパも知っているとおり、ウィスコンシン州の
マディソンだったじゃない。ここのUCバークリー校、次いでUWマディソンから60年代
全米学生運動が始まったのね。マディソンではダウ・ケミカルの枯れ葉剤の
非人道性に抗議して。概ねリベラルな大学だったけれど、やっぱりアジア系の
留学生たちへの偏見は感じたわ。これはもう、どうにもできないことなのね。
どうしたって、偏狭な心の人っているのよ。日本人にだって、どんな集団にも必ずいる。
でも、だから諦めてしまうんじゃなくて、パパみたいに恐怖を超えて、
Difference is not a threatって訴えていくしかないのよ。立派よ、パパ。」

MNEMOは涙腺もなくなっているけれども、泣いていた。


<つづく>



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<復興大臣の私>は、立ち直りました!

記者:大臣、福島第一原発事故の責任は。
今村某:えー、第一義的には東電、第二義的には国にあります。
記者:では原発周辺住民がその事故のため帰れなくなったことの責任は。
今村某:えー、その住民たちの自己責任であります。
記者:そんなのおかしいでしょう!
今村某:何がおかしいんだ!ここは公式の場だぞ!たかがフリージャーナリストが!
   俺は大臣だぞ、東電株も持ってんだ、お前なんか一株も持ってねぇだろ! 
   貧乏人が!出て行け!黙れ!


首相:えー、今村大臣にはですね、適任ですから、これかも職務に精励していただくと。



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