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蹉跌集め 第2部 -1- [小説]

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「You, traitor! You deserve it!」

ステージのそでにいた、臙脂の地に黒のチェックの長袖シャツを着、
赤のキャップをかぶった白人男性がステージ中央前へ移動し、
そう叫んで35口径の回転式ピストルを2発発射した。
1発はMs. McGuinnessの胸部に命中、もう1発は、MNEMOが彼女のことを
見ようとして顔を右へ向けたときに彼の左目から右目を撃ち抜いた。

騒然となる中、MNEMOは「I'm shot」と言いながらも、

「Get her some help! Ambulance, ASAP!」

と叫んで、その後あまりの痛みに意識が混濁していった。



意識が戻って、MNEMOは辺りにいるらしい人にまずは日本語で
「マクギネスさんはどうなりました、ここはどこですか」と訊いた。

「He's come around!」

そう聞こえてMNEMOは、

「Will you tell me how Ms. McGuinness is and where I am now?」

と言った。

「You're in the hospital called UCSF Medical Center.
Ms. McGuinness is currently in the ICU.」

「Oh, is she? Is she gonna be all right?」

「We're doing our best.」

「Yes...」

MNEMOは嗚咽し始める。

「Look. How terrible your country is!
I was never going to blame American people in general.
I was only asking Mr. T, who's now somewhere in the "nowhere world,"
whether or not he's STILL thinking what he did to Hiroshima and Nagasaki
was right. The answer came from nowhere-- I mean the bullets.」

「I'm sorry about that, Mr. Nemoto. Guns are cancer of this society.」

「...You said, UCSF?」

「Yes. University of California San Francisco.」

「Yes, I know. A person who was born in my hometown graduated from
UCSF and became a surgeon.」

「Oh, really? You're from Japan, right?」

「Yes. From Tokyo, but I was born in Fukushima.」

「Oh, is that right?」

「Uh-huh. 」

「And your friend...is he around here in SF?」

「No, no. He died in 1932, aged 73」

「Excuse me?」

「He was the one who gave surgery on Dr. Hideyo Noguchi's badly burned
right hand.」

「Sorry, I don't know who you're talking about.」

「I'm sorry, too.」

「How do you feel now?」

「Well, seems I've lost both my eyes. They...Oh, they're gone...The holes are
aching, of course.」

「I'm very sorry about that. Dr. Sullivan's coming soon.
Talk to him about your injury, OK?」

「OK. Thanks. But, mind you, Ms...」

「Sorry, I'm Ms. Beth Powell.」

「Ms. Powell. This is NOT injury. WOUNDS.」

看護師の女性は無言で立ち去った。

MNEMOの両眼球は弾丸に粉砕され、飛び散ってしまったのだ。
目については手の施しようがなく、医師はただ外傷の縫合や、鼻梁の再建手術のみをした。

MNEMOは何日も入院することになった。
しかし、視力の回復などは見込めないのだから、早く日本へ帰りたいと訴えた。

知らせを聞いてMNEMOの娘の発見(ほつみ)と藤熊、そしてSUBTLYを代表してHal、
さらにSomogumi代表も兼ね旧友の粟田がサンフランシスコへやってきた。

「パパ、なんていうこと!」

発見は包帯に覆われて口しか見えない父の顔を見るやそう言って泣いた。

「MNEMOっちゃーん、藤熊だよ。ほんとにエラい目に遭ってしまったね。」

「わざわざここまで来ていただいてすみません!
・・・エラい目に目が遭ってしまって、吹っ飛んでしまいました。」

MNEMOは気丈にジョークを言った。

「MNEMOちゃん、ほんとに、ほんとに、悔しいよ、おいら。」

Halは涙声で言った。

「俺らが一緒に行けてたら、ステージから犯人の野郎を事前に見つけて警告できたのにな。」

「いいんだよ、そんな。ハロ(Hal)ちゃんだって撃たれたかもしれないんだ。」

「おめはしかし、運が良ガったとも言えるぞ。」

粟田が言った。

「おめを招聘した女性は亡グなったそうだ。」

藤熊たちはハッとした顔をした。それはまだ言ってはいけないとみな思っていたからだ。

遅かった。MNEMOは号泣しだし、上半身を揺さぶり、脚をバタバタさせた。
粟田は頭を抱えた。


<つづく>




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Mooさんへのお返事

DSCN2206.JPG


Mooさんが、さすがの「蹉跌」書評を書いてくださっており、感激しました。

http://www.moo-azumino.com/main/Diary/2017.4/diary2017_4.html

ありがとうございました!

GlobalismとLocalism

村の鎮守の神主・氏子総代レベルでも国家神道思想は浸透している事実と可能性を
Mooさんが書かれていましたが、むろんそういうこともあると思います。
しかしそういう人々であっても、現実の村の疲弊、担い手の決定的不足などに
悲鳴を上げているはずであって、これがglobalism、市場主義経済のせいならば、
TPPなんてとんでもないと思っていて、ゆえに2012年に「ブレない。TPP断固反対!」と
大々的に打ち出した「保守政党」自民党に雀躍して投票し、ところがみごとな掌返しを
くらう。それが外圧(意外やTrumpアメリカ)によって握りつぶされてホッと一息と
いうところなのでしょう。保守とは何かを考えさせられているはずです。

Globalismの功罪をくわしくここで論じる気も能力もありませんが、
経済のそれと、環境意識的なそれもあると私は信じています。文化の世界的均質化
などいうのは考えるのも恐ろしい。それは断固反対で、私はブレません。
環境意識についてはまったくもってglobal awarenessというものが醸成されないでは
各国各地域にある文化伝統(localism)の崩壊すら考えられるわけです。

東京でクマゼミが至るところで鳴き、池田町でミカンが採れたらおしまいです。
東京の水道水が利根川水系からの<濃縮>セシウムに汚染され続けたらおしまいです。
池田町の北アルプス伏流水の循環が狂ってしまったらおしまいです。

Globalizationが、ある<先進的な国や地域>のスタンダードが演繹的に適用されて
いくことだとすれば、「余計なお世話」だと反発するところがあって当然です。
日本なら、その反発の精神的核心は「村の鎮守文化」だと私は思っています。
江戸時代くらいまでの閉鎖的、頑迷固陋な封建的村意識を賞賛するのではない。
そんなことは決してない。毎年稔りをもたらしてくれる「天道」に感謝し、
畏怖する精神のことです。その「天道」の象徴こそ村の鎮守なのです。
神社の鏡など、お天道様以外のなにものでもないのです。

日本の村々のlocalismこそ今や皮肉にも先進的思想です。
都市にへばりつき、「一等地」などというところに暮らすことに血道をあげる
人々は、自然の一部である自分を忘れ、まるで何でも文明で解決できるような
錯覚を抱きながら、最終的にはスパゲッティ状態になって病院で苦しみ、
自分は不死ではなかったのかと気づくような例もないとは言えますまい。
自然のrealityに突如襲われて己の<からだの自然>をとことん知らされるのです。
己のからだとは、空気と水、食べ物そのものであるという事実。
そしてエントロピーがまったく例外なく適用される<物>であるという事実。

諸localismはきっとglobalismよりも上のことにはるかに自覚的であるはずです。


土に還るということ

私も、そしてこの拙文を読んでくださっている方々も、どんなに頑張っても余命は
数十年です。必ず私たちは土に還ります。
この繰り返しをずっと動植物はやってきたのです。
その繰り返しは、ある特定の生き物には一回のものでしょう。
それは私にも異論ありません。

問題はいつも私にとっては<なぜ存在はあるか>なのです。
なくてもよかった宇宙がなぜ誕生し、生命があるのか、ということです。
それを考えていると、Mooさんのような潔い態度を私はとれないのです。

氏は書いておられます。

「(前略)1回きりの人生という強烈な意識になる。そこには神も仏も必要はない。
人間こそがすべててあり、社会の形成に一人の人間として責任を負うという自覚、
それがあるだけです。」

この力強いステートメントが、「なぜ存在はあるのか」という問いへの答えを
もしMooさんがお持ちなら、それの大きな柱になる思想だと思います。
おそらく「そんなwhyを考えても仕方がない」とおっしゃるでしょうが。(笑)

ただ、私は思うのですー
「なぜ存在はあるのか」ということを考えて、その自分なりの答えー
とは云えそれはいつでも仮であり、持続しませんがーがなんとなくつかめると、
詩になったり、歌になったり、踊りになったり、絵画になったり、小説になったり
するのです。神仏は、私にとってはそれらの行為そのものの象徴です。

潔さは私には一番望めない美徳です。
これはもう本当にそうなのです。恥ずかしいです。

けれど私は「なぜ存在は存在するか」という問いにどうしても<潔く>答えを出せない。
たとえば「そんなことを考えてもしかたがない」というような。

そういう問いを延々と考えるからご褒美のようなものがもらえるときがあるのです。
それが私には歌なのです。

歌を持てるから、歌を歌えるから、私はほんのちょっと<潔くない自分>のマイナスを
カバーできるような気がしているのです。

なんというか、<潤い>を自分に持てるというか。


土は古い印欧語で「hum」だったと言われます。
人間は土塊であるから「human」なのだと。
土には湿り気があるから「humid」ということばも生まれ、
人間同士の意思疎通でおそらくなにより大切な(と私は思う)「humor」は、
まさに「潤い」だと思っています。

私の「蹉跌」はユーモアだらけになっているはずです。
シリアスなこともユーモアで笑い飛ばしているはずです。

まさに思考の回転軸に潤いを与えるもの、それがユーモアです。

昔に比べ明らかにユーモアのない政治家たちばかりになったことが、
おそらく日本の現今の政治劣化と直接結びついていると思えます。

とまれ、私も早晩土に還ります。
存在の不思議をずっと、おそらく事切れる間際まで考えながら。



後記: なお、前記事は、愛子さまによる卒業記念文集に寄せた一文です。



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