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私のフィロソフィー

広島の原爆忌の音楽イヴェントで出演者募集をしていないか昨日調べてみましたが、
残念ながらなかったのです。

無理を承知で当地のライブハウスにブッキングするとか、平和公園で路上ライブとか、
ないことはないでしょうけれども、ただやりゃいいってものじゃない。

大林宣彦さんの「最後の講義」をNHKで見ました。
商業主義に陥ったことは一度もないと言い切った氏は、映画づくりには哲学こそ
大事だと強調されていました。

もう5年以上前、初めて四国へ行き、高知まで行った帰りに広島に立ち寄り、
また監督の故郷尾道でも数時間過ごしたのでした。坂の町であり、猫の町でした。
その佇まいはとても良くて、なるほど氏がこの町に自分の作品の要である
全体的情趣を求めたのも当然だと得心したものです。

私は自分の歌に自分の「フィロソフィー」を込めています。
商業主義なんて、望んでももう縁がありません。
平和を阻むものへ蟷螂の斧を振り回すだけのことで人生は終わるかも。
今のままではそうなる可能性が非常に高いと思っています。

しかし逆に蟷螂の斧を振り回すことなしに人生を終わったら、
商業的な成功不成功を超えて、どんなに空しいことでしょうか。

ホーキング博士が亡くなりました。
すさまじい生命力だったとしか言いようがない。
彼は生前死を恐れてはいないと言っていました。
彼のことです、凡人には全く窺い知れない死生観を持っていたことでしょう。

私は思います。
私の究極のフィロソフィーは、自分の大好きな星野へうれしく旅発つために
どうするかという問いから生まれてくると。

西行が自分のこころそのものような「花」の咲く如月の望月の頃に死ねたようにー
野尻抱影がオリオンのベテルギウスへ昇天すると言い、確かにオリオン南中の
時刻に息を引き取ったようにー

私はチロを埋葬し、彼女の魂が私の背中を触ってくれた1986年10月9日午前1:30の
多摩川で見たあの空へ旅発ちたい。

そのために、私は歌うたいとしてどうするかー
それが私の哲学的問い、行動の原理です。




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