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蹉跌集め II-2 [小説]

2

Ms. Catherin McGuinnessはスコットランド系アメリカ人で、
その先祖は5世紀のアイルランドまで遡れるとMNEMOに話していた。
原爆投下直後の広島や長崎の写真を撮ったJoe O'Donnellと彼の生前親交があり、
彼の次のことばに共感したという。

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「I am an American. I love my country. I fought for my country.
However, when my country does injustice to another, I must speak up.
American veterans do not understand me. I was THERE.
I walked in the ashes of Hiroshima and Nagasaki.
The Japanese army did many terrible things in China, Japan, and Korea,
in whatever. But can't you understand that a small child did nothing?
It is for those that I speak. They and their mothers did not deserve to
die to win a war. It was not right in 1945. It will not be right in the year 2045.
It will never be right.」

Joe O'Donnellは2007年8月9日、つまり長崎原爆忌に亡くなった。
今年ちょうど十周忌だ。

Ms. McGuinnessは彼の遺志を継ぐかたちで、反核運動の団体「Americans who
Stand up Against Nukes」略してASANを設立した。

彼女は長く、本当に長く、日本人の音楽アーティストがなぜ反核運動で声を
上げないのかーもちろん彼女が分かる英語でだがー をずっと訝っていたのだった。
もちろん坂本龍一というビッグネームが積極的に平和・反核・反原発で声を上げている
けれども、本当の意味の「声」ではなく、また、McGuinnessは草の根からの声を
待望していたのだった。インターネットで調べても、そういうアーティストにヒット
しないままだった。2011年の3月11日を経ても、状況は変わらなかった。

そして今年の8月前、原爆忌や終戦記念日を直前にしての日本ではどうかと検索して
いると、Joe O'Donnellのことをブログの記事にしている日本人を見つける。
反戦反核の英語詞もいくつか見つけてマークしていたのだ。
すると8月1日、そのMNEMOという人間がT2aTのYouTubeページをブログに
貼り、またTwitterではトップにそのT2aT公開を告知する記事を固定した。
McGuinnessは早速その歌を聴いて衝撃を受ける・・・。

世はトランプ政権になっていた。
いわゆるヘイト・スピーチやミソジニー(女性嫌い)がはるかにオバマ時代よりも
世に出やすくなっていた。トランプは核兵器でも世界最強の地位をさらに確固にすると
公言していた。オバマの広島訪問にもトランプは、

「As long as this pathetic president doesn’t apologize, it’s fine.
Who cares? (この哀れな大統領が(原爆投下を)謝罪しないなら、いいんじゃないか。
どうでもいいよ。)」

と言っていたのだった。

MNEMOはMcGuinnessの勇気を心から敬い、力になれればと本来弱虫な自分を叱咤して
決して来たくはなかったアメリカへ赴いた。サンフランシスコに着いた夜の
McGuinnessとその仲間たちの歓待は忘れられないものだった。

MNEMOはScott McKenzieの『花のサンフランシスコ』を即興で歌い、

If you're going to San Francisco
Be sure to wear some flowers in your hair

という歌詞でグッときたし、本当にみんなが「gentle people」であることに感激し、
この歓迎会のためだけでも来て本当に良かったと思ったのだった。

そしてさらに思ったー

この1967年の歌は、MNEMOの長兄がレコードを買い、聴き始めた。
その年は兄弟全員の憧れの的BeatlesがSgt. Pepper'sを世界同時発売した
年でもあって、しかし、その衝撃的なサウンドに違和を感じた小4のMNEMOは、
どれほどこのScottの美しい歌に慰められたか知れない。

長兄はこんなに愛に満ちた歌を好んだのだ、と改めて思った。
彼はその後グレてしまったけれど、やはり心優しい人だったんだなあと、
サンフランシスコに来てしみじみ思った。
さらにこうしてMcGuinnessさんたちと出会え、反戦・反核の歌をアメリカで歌える
という自分には奇跡的なことに導いてくれた兄に感謝して落涙したー
英語の歌を聴く「家風」をもたらした長兄に。

その兄は震災・原発事故の2年後、甲状腺がんで亡くなった。



McGuinnessの死は兄の死にも劣らぬほどの衝撃だった。
MNEMO得意の軽口など一切出なくなってしまった。
藤熊たちは途方に暮れながら病室を出て行った。
娘の発見(ほつみ)は残って、父親に話しかけた。

「パパ、本当に心が痛いよ。なんて言っていいかわからない。
私も5年前、1年間アメリカに留学してたでしょ。
いろいろあったよ、本当。私がいたのはパパも知っているとおり、ウィスコンシン州の
マディソンだったじゃない。ここのUCバークリー校、次いでUWマディソンから60年代
全米学生運動が始まったのね。マディソンではダウ・ケミカルの枯れ葉剤の
非人道性に抗議して。概ねリベラルな大学だったけれど、やっぱりアジア系の
留学生たちへの偏見は感じたわ。これはもう、どうにもできないことなのね。
どうしたって、偏狭な心の人っているのよ。日本人にだって、どんな集団にも必ずいる。
でも、だから諦めてしまうんじゃなくて、パパみたいに恐怖を超えて、
Difference is not a threatって訴えていくしかないのよ。立派よ、パパ。」

MNEMOは涙腺もなくなっているけれども、泣いていた。


<つづく>



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