So-net無料ブログ作成

蹉跌集め -48- [小説]

48

DSC02321.jpg


光はJAPPSメンバーの誰よりも焦がれて藤熊からのデモについての感想を待っていた。
自分から藤熊に電話をかけることも考えたが、返事の期限があったわけではないので、
催促がましいことはしたくなかった。

散歩に出る。
境内の桜が満開の船島稲荷の方には行かず、川上へ、そして多摩水道橋を渡って狛江側へー
橋を渡りきって右へ曲がり、東京都側の多摩川べりを川下方向へ歩く。
自分がつい最近まで住んでいたところだ。

光はずっと自分の曲を聴いていた。
失恋による落胆、そして嫉妬ー
もちろんドス黒い部分もあるにはあるが、全体はリリカルな仕上げになっている。
そのリリカルなところを支える叙景性は、多摩川のほとりに住んでいるからこそ
育てられたものだ。光はそれをしみじみ思った。

河川敷のグラウンドへ下りて、少年野球の練習を少し見てから、
「やはり桜を見よう」と思う。川上へ数百メートル行くと、この近隣では最長の
桜並木が始まるのだ。

多くの人が花見をしている。
空は正に花曇りで、風が少しあって寒い。
1キロほど歩いて、土手道から狛江市の西河原公園へと下りていく。
この公園の桜も実に見事なのだ。

階段を下りきって左へ曲がり、桜が覆う道を行くと、右側の広場の方からギターの
音、それも聴き慣れた<あの>12弦ギターのシャリシャリした音が聞こえてきた。

「え?まさかー。」

広場へ行く径へと急いで戻って見渡すと、大きな桜の木の下で歌っている女がー
悠奈だった。

「なんで悠奈がここに?」

光は混乱する。
いろいろと推測はできた。誰か一緒にいるのか、藤熊か、MNEMOか・・・
それとも木野・・昼間に出るか?もしかして狛江に住みだした?

遠くから悠奈をしばらく見ていて、「同伴者」がいるかどうかを確かめようとした。
花見をする人々、子どもたちが、時折悠奈のそばに来ては演奏に聴き入ったりして
いるけれど、一緒にいる者はいないようだった。

光は迷う。
近づいて挨拶するべきか。

Forget it all
Forget it all
Everything I've ever said

Forget it all
Forget it all
Everything
and start again

自分の歌のサビが響く。
「君の許を去る」と現に歌っている自分なのだ。
Paul DavisのI Go Crazyの歌そのものじゃないか!

光はすぐにその歌を検索し、聴き出す。
チャートイン最長記録を持つこの80年代の名曲は、90年代生まれの光の心を打つ。
打ちすぎて、光は嗚咽してしまう。

そのとき3歳くらいの女の子が、5歳くらいのふざける兄らしい男の子に追われて
光のもとへ走ってくる。物怖じもせず、光の脚に絡みついて、兄から隠れようとする。
光は戸惑いながらイヤフォンを外す。

「キャ〜〜〜ッ!」

女の子は兄が近づくや凄まじい悲鳴を上げた。
広場にその絶叫は響き渡り、悠奈もその声の方向に視線を向けた。
悠奈が固まっている。
光がいることに明らかに気づいたようだ。

光はたまらなくなった。
女の子が光から離れて、桜並木の方へ走りだす。
独り立ち尽くす光は自分が丸裸になったような気分になった。

光は逃げ出した。

悠奈は光が階段を上りきって多摩水道橋の方へ走っていくのを見届ける。
ため息を吐いて、ギターをまた弾きだす。


<つづく>
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。