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おはながわらった

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京都は大原、三千院近くの、確か呂川です。
土手の傾斜にユキノシタがびっしりと花を咲かせていました。
ユキノシタは目、科、属まであり、多くの植物の大本になる植物です。
昔アジサイはこのユキノシタ科に属していました。
私もそのように記憶していましたが、クロンキスト体系では独立し、
APG IIIでは、目はミズキとなって、アジサイ科とアジサイ属となっています。
なんだかユキノシタとは全く遠縁になってしまった、
あるいはほとんど無縁になってしまったように思えます。

京都への本当に短い旅の間、
新島八重ゆかりの同志社にも行けばよかったのですが、
残念ながら6月16日の京都は大変な蒸し暑さで、
金戒光明寺からそう遠くない鹿ヶ谷にあるという「同志社墓地」に眠る
八重や兄の山本覺馬、新島襄に挨拶をしに行っていたら、
きっと熱中症で倒れていたことでしょう。


今朝は東京側の多摩川べりをラジオを聴きながら歩きました。
4時台「明日へのことば」では初代「歌のお姉さん」の眞理ヨシコさんが
出ておられて、思い出を語られていましたが、途中、保富康午作詞、
湯山昭作曲の『おはながわらった』をアカペラで唄われたのでした。
私の幼い幼い記憶にある眞理さん歌唱によるこの歌—
彼女は「『おはながわらった』っていう歌詞ばっかりなんですよ」と
言っておられたけれど、リフレインという詩的効果の最大のものを
チビの私も確かに感じ取っていたなあとあらためて思いました。

この保富康午さんは和歌山出身で同志社で学んだんですね。
湯山昭さんは神奈川県平塚の出身で、藝大を出ておられる。
「おはながわらった」を繰り返し繰り返し、
そして「みんなわらった いちどにわらった」でスタンザが終わる。
「わらった」が短いスタンザに6回も出てくる。

「咲」という漢字は実は「笑」と同じ意味だと昔知りましたが
(中国語で「咲く」は「開」ですね)、「はながわらう」という感覚を
「日本人」は遠い昔から持っていた。
そして「わらった」後、まもなく散る—
その儚さも痛いほどに意識していたと思うのです。

「おはながわらった」の2回目、つまり3、4小節目(4分の2拍子で)は、
キーがCならば、Dマイナーということになります。
この非常に早めに出てくる、そしてこの詩には一瞬ふさわしくないような
短調が、チビスケのヒロシくんにはとてもとても切なくて、
この歌がなんだか楽しくしかもうら悲しいという複雑な印象を持っていたのは、
遠い記憶とは云え、確実なのです。

おはながわらっても、全面的にはこちらは笑えない。
一斉に開いてうれしいけれど、すぐにお別れするときのことが意識されてしまう。


呂川のユキノシタの花も今はもうきっと散ってしまっているでしょう。
多摩川ではハルシャギクが盛りで、この花はかなり長く持ちますが、
それでもいつかは必ず散ります。

でもね、『おはながわらった』は出だし長調ですぐに短調となるけれど、
なにしろ長調が支配的なんです。
短調のところでも、わらっているんですよ。
きっとその瞬間、風に揺すられたんですよ。