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How will I see you again?
昨夜は、私のことをと或る件で心配してくださり、
おととい電話をくださったAさんとお会いし、
事情をお話ししつつ、
また彼と共に働いた年月を懐かしむひとときを過ごしました。
Aさんはその話の中、
「Mooさんは責任者として最高の人だった」と言い、
ひとしきりMooさんの話をしたのですが、
「Moo先生は去年2度にわたって女川町支援をやられたんですよ。
有志を募り、トラック何台分もの救援物資を集め、運び、配り、
女川の方々から大いに喜ばれたんです」と言うと、
宮城県石巻出身のAさんは、「え〜、彼はそんなことをしてくれたの?
なんというすごい人なんだ、彼は!
宮城出身の俺すら何もできないままなのに―
あああ、ありがたいな、ありがたい」と言って感涙を流すのでした。
多摩川のほとりの仕事場で互いに人生の一時期、
充実した日々を過ごした者同士。
互いに「この人は素敵だ、いい仕事をする」と尊敬し合っていました。
「MNEMOさん、俺はね、一年間ずっと、子どもたちに
『MNEMO先生は来年度は戻ってくるよね』と訊かれ続けたんだよ。
その答えを言わなければならない時期が来たとき、MNEMOさんが――。
俺はどう子どもたちに言えばいいんだ。」
「下総の仕事場が被災したとき、
子どもたちはなんて言ったと思う?
『下総で仕事ができなくなったのなら、MNEMO先生、
こっちに戻って来られるんじゃないの?』」
今度は僕が目頭を熱くする番です。
私が、歩いても10分しかかからない多摩川の仕事場に向かわず、
全く逆方向の下総へ、往復3時間半弱かけて通うことになってほぼ一年。
下総の海浜部にももちろん、武蔵の多摩川と同じようにすばらしい子が
たくさんいて、ご縁をたくさんいただきました。
私はどこででも変わらず、主に英語、そして言葉への愛を精一杯
子どもたちの前で表現してきました。
英語の音の美しさ、英語のalphabet表記の美しさ、
漢字の、ひらがなの美しさ、
俳句や和歌、つまり日本文語の響きの美しさ、
そしてつまりは言葉のおもしろさ、不思議さを、
私なりに精一杯子どもたちの前で表現してきたのです。
みんな私が「変」な教師だと認めてくれました。
―Aさんが、終電に慌てて乗ることになって会合は終わりました。
2時間ちょっとのことでしたが、本当にうれしいひとときでした。
本当に子どもたちには申し訳がありません。
大人っていうのは、実にまあ、複雑なようで間が抜けている存在ですね。
今何が大事かを、どういうわけだか見失ってしまう。
くだらない意地や、固定化した考えが壁をつくって見えなくするようです。
もちろん自分のことも含めて言っているのです。
2012-01-29 13:28
正論(スリランカ)
http://www.youtube.com/watch?v=jscQwWyBceg&feature=related
上はcosmicでHinduな、George Harrisonにぴったりのvid。
このMy Sweet Lordは小6の正月に買ったのです。
信じられないけれど、「私の甘い<道>」だと思っていた!
そんなもんだったんですよ、私の12歳時の英語力。
今もそう変わらんか?
この頃仏教のことや、スマナサーラさんのこととか書いていますが、
そのスマナサーラさん、スリランカの方なんです。
で、2週前から私の小6の英語クラスに、
ご両親がスリランカ人ながら、国籍はアメリカと日本にあるという男の子が
見学に来ていて、私の授業をいたく気に入ってくれて、
昨日入会してくれたんですね。
お父様は本当に美しい顔立ちの方でした。
私に微笑んで、「息子が楽しいって言っています。
どうぞよろしくお願いします」と言ってくださった。
お子さん、発音はもうほぼnativeに近いのです。
めちゃくちゃ有望です。
ところが私は、彼が入ってくれても、2週後には担当できなくなっています。
きっと「そりゃあないよ!」って言われるでしょうね。
私だって誠実にそれを告げたかった。
けれどそうしないのが掟なんですよ。
どうなんでしょうね、こんな掟って。
がんばって、○○君。
私は君の歳の時、My Sweet Lordを「私の甘い道」だなんて思ってた。
発音は君とほとんど互角かな。
それから、がんばったよ、まだまだ不完全だけれどね。
先生には中学の時、そう恵まれなかった。
それでもがんばったよ。
君もね!
ごめんね。
2012-01-28 06:14
Just praying!
Suppose some person clings to a knack or something
that once led him to a microscopic success.
The time has changed completely
and he has had a lot of chances so far
to learn that the knack is not effective anymore,
and to suspect that the success itself might have been
brought to him by sheer luck!
But he adamantly believes that it still is!
What's problematic is that he has not a few people that follow him
and depend upon him for bread.
Are there any followers who can persuade him into thinking twice?
No.
***
Mr. A, who used to work with me for a long time,
rang me up yesterday morning to say, "What happened to you, MNEMO?
I'm concerned about you because it seems that you're not
going to work with me anymore."
And I said, "Oh, thank you for caring about me, Mr. A.
There's a lot to say about that so why not get together tomorrow?
After you're through with work?"
Thus I'm to meet him and talk tonight.
***
The point, my readers, is why a sensible man,
or a man who should be sensible,
can be so foolish as to see things quite incorrectly.
He's about to face a decisive moment, I'm afraid,
when all the achievements, whether they're great or not,
can go down the drain.
But he appears to be indifferent and, to my great surprise,
he seemingly thinks that no one is as far-sighted as he is.
Yes, in a way, he's right.
He can't see things near to him very well without glasses
and THAT's the problem.
The things that he must take a close look at and do something
right about are just in front of him
but he won't even try to see them!
OMG!
Oh, my Buddha.
O, my अचलनाथ!
that once led him to a microscopic success.
The time has changed completely
and he has had a lot of chances so far
to learn that the knack is not effective anymore,
and to suspect that the success itself might have been
brought to him by sheer luck!
But he adamantly believes that it still is!
What's problematic is that he has not a few people that follow him
and depend upon him for bread.
Are there any followers who can persuade him into thinking twice?
No.
***
Mr. A, who used to work with me for a long time,
rang me up yesterday morning to say, "What happened to you, MNEMO?
I'm concerned about you because it seems that you're not
going to work with me anymore."
And I said, "Oh, thank you for caring about me, Mr. A.
There's a lot to say about that so why not get together tomorrow?
After you're through with work?"
Thus I'm to meet him and talk tonight.
***
The point, my readers, is why a sensible man,
or a man who should be sensible,
can be so foolish as to see things quite incorrectly.
He's about to face a decisive moment, I'm afraid,
when all the achievements, whether they're great or not,
can go down the drain.
But he appears to be indifferent and, to my great surprise,
he seemingly thinks that no one is as far-sighted as he is.
Yes, in a way, he's right.
He can't see things near to him very well without glasses
and THAT's the problem.
The things that he must take a close look at and do something
right about are just in front of him
but he won't even try to see them!
OMG!
Oh, my Buddha.
O, my अचलनाथ!
2012-01-28 05:40
大丈夫教
そろそろ梅が本格的に咲き出しますか。
明らかに厳冬と言える中、ちょっと遅咲きとなるか?
*
テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老の本をまた買って読みましたが、
やっぱりちょっとついていけません。
例えば、嘘をつくことは殺生より罪が重く、「罪王」だなどと。
彼の属する仏教集団は仏陀の教えを忠実に守ることがすべてであって、
「大乗仏教」の後の潤色、脚色にはもちろん否定的なのですね。
買った本でもとにかく突っ込みが浅くて、
例のKantの<殺人者から逃れてきた友人を匿ったときでも、
「お前は匿っているだろう」と殺人者から問われたら
真実を語らなければならない>とする畏るべき深みまで到達していないのです。
もちろんスマナサーラさんはどうしてなのかを言っているのですが、
全くピンと来るような理由付けになっていなくて、
「あ〜、これが仏陀の教えならなんだか辛い」と思ってしまった。
なにしろ彼、瞑想による悟りへの段階とか、そのことでの仏教的な階層を
口にするのに、「嘘」についてはgradationが一切なしで、
核兵器による殺戮よりも嘘の方が罪深いみたいなことすら言うから
本当に唖然としてしまう。
そんな「嘘」ってどんな規模のものなのでしょうか。
「私は仏陀の生まれ変わりだ」などというのを挙げていたけれど、
そんなこと言っている人の罪はもちろん深いだろうよ。
でもね、私はそういう人の嘘に巻き込まれることは決してないけれど、
核ミサイルが東京に飛んできたら、逃げようがないぞ。
―そしてなにより、
仏陀は音楽を否定しているというのだからもう何をか言わんやですな。
悟りの邪魔なんですテ。
そりゃあよ、悟りから最も遠いようなヤツが歌ったり、奏でたり、
曲創ったりすることが往々にあるからさ、
そんなヤツの耳からの悟り妨害は許せんかもね。
しかし、「あれすんな、これすんな」って言う人、
わたしゃちょいとついて行けないなあ。
中学校の校長さんでほんと、辟易したからなあ。
スマナサーラさん、
あなた「色即是空で止めとけばよかった、
空即是色は論理になってない、冗談も休み休みにしてくれ」
と言ったけれど、
もし仏陀が、「音楽は聴くな」と言われたなら、
それこそ僕は、「色即是空で止めておけばよかった、
音楽聴くななんて冗談も休み休みにしてくれ」と言いたいな。
こうなるとやっぱり、「大乗仏教」が私にはいいな。
特に浄土教系ね。
―音楽はね、少なくとも、色即是空そのものだよ。
その理そのものだから、いい教えになるかも?
色即是空っていうの、無我でもいいよ。
会者定離でもいい。
無常でもいい。
苦でもいいよ。
そりゃ、あなたの言う通りさ。
そこだけはね。
2012-01-27 03:05
A Comfortable Constable
700,000hitsをもう2週前くらいに超えていました。
ありがたいとしか言えません。
本当にロクでもないことしか書いていないのに。
あ、写真が目当てだったり?
でも、そんなにいい写真ばかりということでもないしな。
上のは1年前に九十九里の浜近くで撮った多分死期近き「迷い軍鶏」。
これはどうですか。
なんだか黄金色の中、安らかな感じがしますが。
*
History Channelで風景画家の特集をやっていて、
W. Turnerが勿論とり上げられていました。
そして、この辺りが半可通以下である自分をさらけ出しますが、
全く同時代のJohn Constableもとり上げられて、
その存在を初めて知りました。
彼の故郷Suffolkの田園風景というのか、
必ず人が、納屋が、作業場が、建物が、
また動物たちが描かれる田舎風景に感銘を受けました。
一番好きなのがこれ―
http://en.wikipedia.org/wiki/File:John_Constable_028.jpg
Londonの中心に生まれたTurnerは時代の寵児で、
世に認められるがとても早かったのに、
Constableは52歳でようやく王立アカデミー会員に推挙されます。
その1年前に7人もの子どもを共にもうけた愛妻Mariaを結核で喪い、
彼は兄Goldingへの手紙でこう言います。
"hourly do I feel the loss of my departed Angel—
God only knows how my children will be brought up…
the face of the World is totally changed to me".
刻々と、我が旅立つた天使への喪失感を覚えてゐる―
子どもたちはどう育てられてゆくものかと途方に暮れる...
僕にとつて世界の相貌が全く変はつてしまつたのだ。
(MNEMO訳)
そしてその通り、絵が変わってしまいます。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Constable_-_Seascape_Study_with_Rain_Cloud.jpg
Constableは「雲の画家」とも言いたいぐらいの人、
その人が大好きだった綿雲(=積雲)や絹雲、遠くの積乱雲や層積雲ではなく、
間近あるいは頭上の雷雲を描くことになるのは、
やはり相当のことだと私は思います。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:John_Constable_006.jpg
Constableのこの絵のような黄金色に包まれて、
上の軍鶏のように、
安らかに生を全うしたいものです。
2012-01-26 02:20
どちらも凄い
談志さんのことです。
http://www.youtube.com/watch?v=rz061kWzc-A
この上のvidを見ていて、談志さんの藝への誠実を心底感じました。
すばらしいですね。
お茶目で、生意気で、機転がむちゃくちゃ利いて、ウィットに富み、
ペラペラと出てくる言葉になんとまあ深みがあるんだから、凄い。
話術の天才です。
私がもし噺家を目指していたなら、談志師匠と小三治師匠のどちらに付きたかったか。
(もちろんどちらにもお断りって言われるのが必定だけれど。)
http://www.youtube.com/watch?v=ou0LgvSidIs&feature=related
上は、小三治師匠の弟子で、古典落語をやらせたら「若手ナンバー1」という
柳家三三(さんざ)のドキュメンタリーです。
小三治師匠が出てこられます。
その凄みたるや、怖いだけです。
談志師匠は話術の天才です。
これは疑いようがない。
しかし、落語の天才とはやはり思えない。
彼の噺は既成の落語という概念を超越してしまっているんです。
小三治師匠こそ落語の天才です。
しかし話術の天才では決してない。
談志師匠は、遠く円朝の時代から本格落語の噺家と
キャラクターを売り物にする噺家が存在し、
両派は持ちつ持たれつの関係であるから、
一方だけを評価するのは誤りだとするのです。
最近(?)だと先代の円鏡や林家三平を彼は大いに評価するのです。
本格派の噺家たちやそのファンたちは眉を顰めるけれど
(実は私の亡き父やその影響で私もそうでした)、
客を流行としてであれ大量に呼べる、
そして新たな寄席ファンを開拓できる三平たちを讃える。
その新たなファンから本格派のファンも出てくる可能性があるからです。
ご自分は本格落語がもちろんできる、できるどころか、
新たな志ん生を目指すと豪語するくらいの力量が有る人であるが、
それでもなお、噺が下手な人気落語家を敬い、応援する。
そして志ん生は自分という「ふら」がいっぱいのキャラクターを売り、
かつ噺が巧い、だからこそ自分は志ん生を目指すのだと言うのです。
すばらしい見識です。
小三治師匠は、なんというか、今や孤高の大落語家という風情です。
自身は「噺家」と呼ばれたい、「落語家」とは言われたくないと仰るけれど。
もうほとんど求道者であって、近寄り難い雰囲気がある。
TVで人気者になるような真似はしなかった。
小三治という名跡が、なにしろ柳派(りゅうは)のやがては総帥となって、
また落語界の覇王をも望まねばならない地位の始まりを意味することを
ちゃんと知っておられたのでしょうね。
師が、キャラクター売りの噺家を蔑んでいたなどという証拠はないし、
そんなことは決してなかったでしょう。
ただ、一噺家として、兄弟子の談志師とは決して交わらぬものを深く洞察して、
自分の道をひたすら歩んでこられたのだと思います。
さて、どっちの師匠に付きたかったか。
迷いますね。
http://www.youtube.com/watch?v=rz061kWzc-A
この上のvidを見ていて、談志さんの藝への誠実を心底感じました。
すばらしいですね。
お茶目で、生意気で、機転がむちゃくちゃ利いて、ウィットに富み、
ペラペラと出てくる言葉になんとまあ深みがあるんだから、凄い。
話術の天才です。
私がもし噺家を目指していたなら、談志師匠と小三治師匠のどちらに付きたかったか。
(もちろんどちらにもお断りって言われるのが必定だけれど。)
http://www.youtube.com/watch?v=ou0LgvSidIs&feature=related
上は、小三治師匠の弟子で、古典落語をやらせたら「若手ナンバー1」という
柳家三三(さんざ)のドキュメンタリーです。
小三治師匠が出てこられます。
その凄みたるや、怖いだけです。
談志師匠は話術の天才です。
これは疑いようがない。
しかし、落語の天才とはやはり思えない。
彼の噺は既成の落語という概念を超越してしまっているんです。
小三治師匠こそ落語の天才です。
しかし話術の天才では決してない。
談志師匠は、遠く円朝の時代から本格落語の噺家と
キャラクターを売り物にする噺家が存在し、
両派は持ちつ持たれつの関係であるから、
一方だけを評価するのは誤りだとするのです。
最近(?)だと先代の円鏡や林家三平を彼は大いに評価するのです。
本格派の噺家たちやそのファンたちは眉を顰めるけれど
(実は私の亡き父やその影響で私もそうでした)、
客を流行としてであれ大量に呼べる、
そして新たな寄席ファンを開拓できる三平たちを讃える。
その新たなファンから本格派のファンも出てくる可能性があるからです。
ご自分は本格落語がもちろんできる、できるどころか、
新たな志ん生を目指すと豪語するくらいの力量が有る人であるが、
それでもなお、噺が下手な人気落語家を敬い、応援する。
そして志ん生は自分という「ふら」がいっぱいのキャラクターを売り、
かつ噺が巧い、だからこそ自分は志ん生を目指すのだと言うのです。
すばらしい見識です。
小三治師匠は、なんというか、今や孤高の大落語家という風情です。
自身は「噺家」と呼ばれたい、「落語家」とは言われたくないと仰るけれど。
もうほとんど求道者であって、近寄り難い雰囲気がある。
TVで人気者になるような真似はしなかった。
小三治という名跡が、なにしろ柳派(りゅうは)のやがては総帥となって、
また落語界の覇王をも望まねばならない地位の始まりを意味することを
ちゃんと知っておられたのでしょうね。
師が、キャラクター売りの噺家を蔑んでいたなどという証拠はないし、
そんなことは決してなかったでしょう。
ただ、一噺家として、兄弟子の談志師とは決して交わらぬものを深く洞察して、
自分の道をひたすら歩んでこられたのだと思います。
さて、どっちの師匠に付きたかったか。
迷いますね。
2012-01-22 07:27
お詫び
Moo先生に心からお詫びします。
私は先生のことを本当に尊敬申し上げているのに、
昨日の記事はやはりその尊敬をうまく反映していないと思いました。
よって、当該部分を削除の上、ここに謹んで不手際をお詫び申し上げます。
MNEMO拝
私は先生のことを本当に尊敬申し上げているのに、
昨日の記事はやはりその尊敬をうまく反映していないと思いました。
よって、当該部分を削除の上、ここに謹んで不手際をお詫び申し上げます。
MNEMO拝
2012-01-22 06:04
エネルギーそのものとしての空
色即是空は仏陀が到達した真理であるし、
般若心経はそこで止めておけばよかったのに、
空即是色とやってしまったのは最悪だ、
とテーラワーダ仏教(いわゆる小乗仏教)のスマナサーラ師は言う。
インド論理学は厳密なのに、
「色はすなわちこれ空」を、主語を反転させて、
「空はすなわちこれ色」とするなんて「冗談も休み休み言って欲しい」と。
師は、別の例を挙げて、
「人は死ぬものだ」はいいけれど、「死ぬものはみな人間だ」というのと同じで
莫迦げていると言う。
(『なぜ悩む!』―玄侑宗久 A.スマナサーラ著 pp.58,59)
大変明晰な頭脳をお持ちの長老に反論するのは烏滸がましいけれど、
主語反転した文で「みな」が勝手に出てくるのはどうなのだろうか。
英語では当該箇所は、
Form is empty, emptiness is form,
Emptiness is not other than form,
form is also not other than emptiness.
となり、訳せば、
形有るものは空であり、空とは形有るものだ
空とは形有るものに他ならず、
形有るものもまた空に他ならない
となる。
どう論理的におかしいのだろうか。
***
今日は本当に遅めにCainerさんのforecastを見てみました。
'Knowledge of the self is the mother of all knowledge.
So it is incumbent on me to know myself, to know it completely,
to know ...its very atoms.'
So said Khalil Gibran.
The people who find this quote confusing think
of its author as a poet -
so it does not occur to them to take him literally.
At the essence of your true self, though, are atoms!
You are not your personality; you are your life force.
Personalities can end, life forces can only transform.
Your true self now knows what you really need to do.
Trust those atoms at your essence.
Let them show you.
私は高笑いしてしまった。
特に下線部のところは、Heart Sutra=般若心経の教えのまま!
しかしながら、あなたの本当の<我>の本質部分には、
<アトム=これ以上切れないもの>があるのです。
あなたはあなたという人格ではありません。
あなたはあなたの生命の力そのものなのです。
あなたという人となりは終わり得るし、
生命の力はただ形を変え得るのみということなのです。
(MNEMO訳)
2012-01-21 15:28
Tal for Beck, Hal for MNEMO
明日大寒を前に東京は初雪です。
積もる勢いになってきました。
Jeff Beckをみなさんはご存知ですか。
LondonはWallington(Surrey)出身の、
今や68歳になりなんとするギタリストです。
世代としてBeatlesのメンバーと同じ。
全く老けない、畏るべきrock musicianです。
http://www.youtube.com/watch?v=drAv2FoYji8&feature=related
Bassを弾いているのはAustralia出身の女性、Tal Wilkenfeldで、
途轍もないプレイを聴かせてくれます。
http://www.youtube.com/watch?v=VC02wGj5gPw&feature=related
そして、これ。
http://www.youtube.com/watch?v=ExqyxuGERN8&feature=related
JeffがBeatlesを敬愛しているのが本当によく分かる。
Talのbassを鑑賞するために、ぜひヘッドフォンを使ってくださいね。
*
治雄ちゃん、音楽やろうね。
やろうね。
2012-01-20 10:27
雲よ、空よ
David GatesのCloudsをYouTubeで聴いて、
このblogの今日午前零時から読まれた記事をチェックしてみたら、
まさにその歌の「Ever changing as they come and go」というラインを
タイトルにした2010年7月17日のものを読まれた方がいらっしゃって
ちょっとびっくりしてしまいました。
http://mnemosyneoforion.blog.so-net.ne.jp/2010-07-17
Clouds
http://www.youtube.com/watch?v=aHYxF1ntpgg&feature=related
David GatesはBreadのメンバーでもあって、
バンドメイトのJames Griffinと名曲作りを競っていました。
彼らの曲のいくつかはちょうどこの頃の、
私の大学受験で上京した日の想い出に結びつきます。
先日ご紹介した、Just Like Yesterday―
http://www.youtube.com/watch?v=VgF5zmHIPV4&feature=related
そして、Friends and Lovers―
http://www.youtube.com/watch?v=l3MJ9-XHRLg&feature=related
はいずれもJames Griffinによるものです。
そして、DavidのBeen Too Long on the Road―
http://www.youtube.com/watch?v=YOqd3CdnN5s&feature=related
この3曲が、本郷の東大前にあった旅館から慶応や早稲田を受けに行った日々の、
それぞれの朝の風景を思い出させます。
慶応のときは、確か白山駅で都営三田線に乗るために慣れない道を歩いた。
冬晴れながら、風が強い日でした。
會津の田舎高校生が、本郷から白山へ、とぼとぼ心細く歩みを進めます。
そのとき頭の中で上の3曲が鳴り響いていた。
特に、3曲目は実に暗い気持ちを反映するもので、
受験失敗への恐怖と、大都会に気圧される弱さの自覚と直接結びついてしまい、
できるだけFriends and Loversが頭の中でリプレイされるようにと
何度も首を振ったものでした。
2000年の春、あるいは1999年の年末だったか、
もうはっきりは覚えていませんが、
牛込に住み出した私は「験直し」と称して本郷へ行き、
また白山の方へと足を伸ばしました。
しかし、今もまだ暗い記憶は消せないまま。
With all of the things that you brought me
Now was it so bad―
Makes me wonder
Just like yesterday
You come upon my mind and take it away
そして「雲」。
See the clouds
they're giving life below
In colors that the canvas cannot show
Keeping secrets no one else could know
For I'm the one who told them so
―Turnerのように、私は雲に、空に物語る
誰にも言うなよ、と言いながら
2012-01-16 05:59
life and death
昨日で喪が明けました。
父が亡くなったという実感は、相変わらずありません。
父の亡骸を見、触り、火葬してその骨を壺に移してみても、
お別れの意味の本葬をしても、
父の成仏を祈る壇払いの儀式に出てみても、
そもそも別れたとは思っていないので、
故人となったという父を喪ってしまったという
実感がないのは当然でしょう。
もちろん、父がその肉体から離れた11月26日夕刻、
私のところに来てくれたことがすべての理由です。
こういうことを書くと、
MNEMOというのはやっぱりミュージシャンだけあって
なんだか胡散臭いことを書くものだなあ、と言われそうです。
その『パチン、パチン」という音だって、
きっと物理的な説明がつくのに、勝手に「ラップ現象だ」などという
fishyなことを言い、事大主義に陥る―
まあ、そういう感性だからこその歌うたいなんだろうけれど、
非科学的なことを書いて、流布させようというのは問題だよな、とか。
しかし、その科学だって、物、すなわち観測可能な実体と他のそれらとの
相互的なふるまいだけですべてが説明できないことを
とっくに認めているわけです。
最新の宇宙論で、Dark EnergyやDark Matterのことなどを聴いていると、
Saint-ExupéryがLe Petit Princeで言った、
大切なもの(こと)は目には見えないんだよ
という科白が本当にそのとおりだと思うばかりです。
ここでも何度か書いてきましたが、
私が緑陰にその存在を感じてきた「あの世」と「この世」の境界、
そこで鳴くヒグラシの歌の意味―
「草葉の陰」と言われる、異次元との接触面を表す日本的な表現の意味も、
いよいよこころに染み渡るようにわかってきたという思いです。
父の死に方については、もちろん傍にいられなかったのですから
真相はわかりませんが、あの安らかな表情を見ていると、
そしてそれ以前の父の87年の人生を私の知る限り振り返ってみると、
生きること、死ぬことというのは、そんなに苦しいことでも
怖いことでもないんだなあ、と思えます。
「色即是空」という仏陀の看破を物理学が裏付けたのは最近のこと。
もう四半世紀も前に、ノーベル賞を後にとることになった南部博士の本を読み、
彼が「千数百年して物理学は仏教に追いついた」というようなことを
書かれていて驚愕したものですが、それからの、長い間の私の思索や抒情は、
父の死によって最終的に補強されたような想いがあります。
「空」とはインド人が<発見した>まさに「0(ゼロ)」のこと。
何もないのではなく、<いつでも>1にも2にも、9にもなる<余地>です。
いや、そうした数値で語るのも適切でないのかもしれません。
「空」はなにものにもいつでも取って代わられる。
しかしその取って代わられる間はほんのわずか、正に刹那、
物理学的にはもっともっと微小な時間―
それでもその取って代わりは目まぐるしく起きているから、
まるで<在るかのよう>なのですね。
そしてそれが<生きていること>。
父は、見えなくなりましたし、
生きていないということになってしまいましたが、
どうでしょうか、
私には「草葉の陰」にいつもいる人になったとしか
言いようがありません。
2012-01-15 14:18
Triumph
Jonathan Cainer said to me today:
You are special.
You are unusual.
You have gifts and abilities that others can only dream of.
That doesn't make you perfect.
It doesn't make you right about everything.
It is no guarantee of success
in your every endeavour or undertaking.
But it is a reason to believe that you may yet be capable of rising
to a challenge that others have been daunted or defeated by.
You can't just look at a situation from a distance
and decide that it is too difficult for you.
If you give it your best shot, you may yet manage to be triumphant.
不動堂夕陽に染まる初詣
2012-01-12 09:24
Walking alone in the snow
父の壇払い法要で帰郷した際、
會津は本格的な雪模様の空となりました。
NHKが雪の夜を題材にした、
まさに映像詩と言うべきlyricalな番組を元日に放送していましたが、
すばらしい企画、そして内容であると感心しました。
雪国の人間は、3月いっぱい、時には4月上旬までつきあう
ことになって、とことんウンザリさせられる雪ではありますが、
それでも降り始めの頃や1月くらいまでは雪景色にわくわくするのです。
先日大いに久しぶりに雪景色の中自分の身を置いてみると、
うれしくて、昔のように雪原に出て独り歩いてみたくなりました。
日帰りの行程でしたから、そういうわけにもいきませんでしたが。
私がなにより懐かしく感じる独りの雪原行は、
14歳のときのこと、町の中心部に在る私の家から、
ほぼ磐越西線に沿うように東へと歩いた1月のある日の昼でした。
そのとき頭の中にずっと鳴り響いていた歌は、
ChicagoのFlight 602でした。
http://www.youtube.com/watch?v=0tiD_oRFR6I
You are, you are on a train now
and on your way up north
君は、君は今列車に乗っていて
北へと向かっているんだね
―思わせぶりな歌詞がこの後続きます。
Canada is so far from where you want to be
Be in California
with sunshine in your heart
But you know there are people that you have to be
have to be, have to be
what they say you are
what you've always wanted to be
wanted to be, wanted to be
just a man fulfilled
but a little more free
カナダは君がいたいと思うところからだいぶ遠いね
こころに太陽を灯して、カリフォルニアにいればいいのに
それでも
君がならねばならない人たちがいる
彼らが言うところの君という人に
君がずっと望んできた人となりに
ならなきゃならないんだね
満ち足りた人で
でももう少し自由な
(MNEMO訳)
校則に縛られまくった田舎の中学生時代には、
Chicagoが連発する「free」という言葉にいつも鼓舞されました。
それでもこの歌は、イントロの静かな入り方が
銀世界の中を歩む私のこころをゆっくりと暖かくしてくれるようで、
激しく自由を希求する気分ではなくて、
自由には、歩みは遅くとも、必ずいつか到達すると確信できるような
心持ちにさせてくれるものだったのです。
まるで雪がゆっくり融けていくがごとくに。
そしてそのとき、まずはとにかく雪の中にいなくてはならなかったのですね。
昨夜は治雄ちゃんとKとで新年会、
私がこのFlight 602のタイトルを失念していて、
YouTubeで相当検索したのに見つからなかったことを話すや否や、
治雄ちゃんが正確にタイトル名を挙げつつ、
「おいら、大晦日ずっと聴いていたんだ」と言います。
「えー、すげえ偶然じゃん!」
この歌はChicagoの曲の中でもかなりマイナーなもので、
看板のbrassが全く入っておらず、異色中の異色、
まるでフォークソング・グループのCSN & Yのレパートリーのひとつのようなのです。
Chicagoファン、それもプロパーなファンなら「軟弱」と切って捨てて
しまう曲だったかもしれません。
それを当時埼玉の中学生だったロック少年の治雄ちゃんも気に入っていて、
しかも本当にちょっと前に個人的heavy rotationで聴き直していたなんて。
「次のblogはこの歌のことで決まりだね」と治雄ちゃん。
うん、書いてみましたよ。
どんなもんですか?
2012-01-04 06:36
臘梅
多摩川の、チロのお墓の近くにある、
例年松の内に咲くはずの臘梅のところへ行ってみると、
やはり、去年同様数個の蕾がほころんでいました。
芥川の『臘梅』―
わが裏庭の垣のほとりに一株の臘梅あり。
ことしも亦筑波おろしの寒きに琥珀に似たる数朶の花をつづりぬ。
こは本所なるわが家にありしを田端に移し植ゑつるなり。
嘉永それの年に鐫られたる本所絵図をひらきたまはば、
土屋佐渡守の屋敷の前に小さく「芥川」と記せるのを見たまふらむ。
この「芥川」ぞわが家なりける。
わが家も徳川家瓦解の後は多からぬ扶持さへ失ひければ、
朝あさのけむりの立つべくもあらず、父ぎみ、叔父ぎみ
道に立ちて家財のたぐひすら売りたまひけるとぞ。
おほぢの脇差しもあとをとどめず。
今はただひと株の臘梅のみぞ十六世の孫には伝はりたりける。
臘梅や雪うち透かす枝の丈
(大正十四年五月)
芥川という人は、もちろん私の勝手な想像ながら、
冬に咲く花が好きだったのではないかと。
『河童』の中に出てくる「冬薔薇(ふゆそうび)」のことも昔書きました。
臘梅も含めてたった二例でそこまで想像するのも烏滸がましいの
ですけれども、なんだかそんな気がしてならないのです。
本所あたりの筑波颪や雪ぐらい、
私の故郷會津の風雪の過酷さに比べれば月とスッポンながら、
それでも凍てつくような朝に臘梅のほころびを目にすれば、
感嘆し、なにかしらの勇気をもらえるような気がするものでしょう。
とは言いつつ、芥川は昭和二年に自殺してしまうわけで、
冬に咲く花の、彼に与えた生命にaffirmativeな印象は、
その刹那刹那でしかなかったのでしょう。
芥川の実父は京橋の牛乳屋さん、新原敏三であって、
芥川家は母フクの生家で、その母が精神の病にかかって以来
龍之介はフクの姉に預けられ、後フクの兄の養子となって、
徳川家のお数寄屋坊主だった芥川家に入るわけです。
以前読んだことがありますが、
芥川は出自を恥じるところがあったと。
吉本隆明だったと思います。
同じ下町の中産下層階級出身同士の<忖度>としての論です。
劣等感、恥―
そんなもの、持たぬ者などいないはずもない。
私が多摩川の臘梅に今冬初めて出会ひ、
その正に蝋細工のやうな花を雲が切れつつある西の空を透かすやうに見、
すがすがしい香りを鼻腔いつぱいに吸ひ込んだ時、
惹き起こされた感興と共に心の隅で覚えてゐた恥は、
どうにもその麗しい感興を際立たせる役割をしてゐたやうに
思はないでもないのです。
2012-01-03 15:57
不許葷酒入山門
特別シフトも年内は終わって、
ゆっくりする日々が始まりました。
冬至を大晦日とし、翌日を新年と考える私はもちろん超少数派、
ゆえに今日の日記は<本家>大晦日のものとしましょう。
なにしろ今年はいろいろありました。
本当に今までの人生の中でも屈指というか、
いや未曾有とも言うべきほど重大な出来事が頻発した年でした。
仕事納めのとき、多くの若い友人たちが「よいお年を!」と
声をかけてくれて、しみじみうれしく駅へ向かいました。
All is well that ends well.
というShakespeareの言葉が想起されました。
そんな些細かもしれないことが、大きな意味を持ったのです。
私は今服喪期間にいます。
先日行った亡き父の「壇払い」法要は
本来「四十九日」に執り行うことでしたが、
年を跨いでしまうのはいけないということで、
限りなく35日に近い日程を選んだのでした。
菩提寺の曹洞宗常楽寺(通称「中の寺(なかのてら)」)で法要をする前、
ご住職が、嘱託で私の父を上司として社会教育活動をしていた頃の
エピソードを話してくださいました。
そのとき、
春彼岸 隣の坊主の 声よろし
だったか(きっと違います。必ずいつか父の句集を
まとめる際に訂正します)、父の一句を紹介されました。
その柴田和尚は、父の句に接し、
その「隣」が上野さんという菓子舗なら自分の寺の檀家であり、
声の良い和尚は先代、つまりご自分の父ということになり、
またもしその「隣」が兼業農家の高梨さんなら、
「下の寺(しものてら)」さん、すなわち浄土宗の常泉寺の檀家であり、
良い声の主は高濱和尚ということになってしまう、
さてどっちだったのか、聞き漏らしたままになった―
というお話でした。
出席者の間に哄笑が起こりました。
そして柴田師がいよいよ父を「仏」にするお経を読んでいるとき、
なんとジャラジャラと鳴らしていた長い数珠の糸が切れ、
珠がバラバラと床に落ちていったのです。
その瞬間、私の眼鏡のツルが取れてしまった!
「よほどハジメさんはまだ仏になりたくないんだなあ」
とは、葬儀委員長だった上野さんの、読経終了のときの一言。
また哄笑が巻き起こりました。
父の喪は1月13日までということになります。
それまでは私も隠忍自重しているべきですが、
さて親父さんはそんなことを求めるか。
みなさま、よいお年を。
喪にありておほつごもりは般若湯
―竜胆子
2011-12-31 14:01
Never hide Moon this year, Earth
冬至です。
私の大晦日。
明日からは私の新年。
太陽が夏至というpeakに向け
漸進的な昇り調子の歌を歌い出すのです。
明日、その新年最初の日に、
私は仕事を休ませていただいて、
亡き父の「壇払い」法要の席にいます。
今日の夜から日本海側は猛烈な冬の嵐になるといいます。
會津も当然吹雪くでしょう。
行きも困難、帰るのはもっと困難、危険ですらありましょう。
翌日からは冬期の特別態勢、朝早くから出勤です。
新年早々の試練と言えましょう。
しかし正に父がついていてくれる。
きっと大丈夫だと思います。
*
2011年は総じて厳しい年でした。
光陰、明暗、吉凶、禍福―
正に塞翁が馬ということでした。
皆既月食が完全に見られる年は、
私にはなかなかシビアなものになるようです。
ちょうど10年前もそうでした。
一陽来復であらたな気持ちでまた進む、
これよりありません。
*
昨日下総の仕事場に登戸から電話。
去年1年だけ国語を共に学んだ「こうき」君からでした。
「覚えていらっしゃいますか。
こうきです。T大学附属中学校に合格しました!」
「おお、国立中に!よかったな、こうき君!」
うれしかった。
こうき君は今年2月初旬、
かれらの最後の授業が終わった後、
私のためにお別れ会を催してくれた子どもたちの一人。
明るい野球少年です。
やるべきことをしっかりやって、志望校合格。
すばらしい。
ほら、やっぱり一陽来復じゃないか。
2011-12-22 09:40
Share the world
If the world could share your heart
There'd never be a war
こんな人がいますよね。
そんな人ばかりになればいいのにね。
http://www.youtube.com/watch?v=7N7rvhPhBfs&feature=related
2011-12-15 13:08
Just like yesterday
I've done such a lot of dumb things so far
and they have made me what I am,
or it's only that I've always been such a fool
as to do a lot of follies.
Today's my daughter's birthday and she's turned 20.
I may have done some things that please her
but I'm afraid I've done far more things that depress her.
Of the few things I think of that did please her,
guiding her to a world of the music that few fathers could show,
in the way no other fathers could lead her,
might have been the best one for her.
http://www.youtube.com/watch?v=VgF5zmHIPV4&feature=related
The song above is not in her music library yet,
but since she already knows how great the band BREAD is,
I think she'll love it as she did when she first heard Dismal Day
by the same group a long time ago.
Happy Birthday!
2011-12-14 07:40
父も納得
昨日Kに会う前にまた狛江駅すぐ近くの保全緑地に行き、
たくさんの写真を撮りました。
上はその一枚。
緑の輝きになんだか涙が出るほどに感動して撮りました。
ここが保全しているのは「武蔵野」の森の一部なのです。
国木田独歩がこうして讃えた、武蔵野の―
自分は今の武蔵野に趣味を感じている。
たぶん同感の人もすくなからぬことと思う。
それで今、すこしく端緒をここに開いて、
秋から冬へかけての自分の見て感じたところを書いて
自分の望みの一少部分を果したい。
まず自分がかの問に下すべき答は武蔵野の美
今も昔に劣らずとの一語である。
昔の武蔵野は実地見てどんなに美であったことやら、
それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、
自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を
下さしむるほどに自分を動かしているのである。
自分は武蔵野の美といった、美といわんよりむしろ詩趣といいたい、
そのほうが適切と思われる。
―『武蔵野』冒頭部分より抜粋
写真を撮っていたら、保全地区にある孟宗竹を間引きし、
その伐採した材から一輪挿しなどを作っている人に呼び止められ、
「どうぞひとつお好きなものを持ち帰ってください」
と言われ、何度も感謝しつつ、いただきました。
「ラッキー」とほくそ笑みつつ、そこを後にしました。
*
Kは元気そうでした。
会って間もなく功君からメールが入り、
私のことを案じてくれる内容でした。
Kも功君も、彼らがまだ大人になる前にお父様を亡くしており、
私のように父と長い歴史を分かち合った者は
きっとその別離が自分たちのよりもずっと悲しいものかもしれぬと
慮ってくれたのです。
普通はそのとおりでしょう。
でも私は本当に父を失ったとはちっとも思っていません。
何度も書いてきたとおり、父は肉体を失ったけれども、
かえって「不在の現前」になったのです。
Believe or not、とまた言うしかないのですが、
私が18歳にまもなくなろうとする夏休みの間のことです。
私やK、そして他に十人足らずの同級生と、
担任で日本史がご専門の堀幸一郎先生とで
五泊六日の「勉強合宿」を敢行、
大山祇神社本社前の旅館に泊まり込みの勉強をしたのです。
http://www.ooyamazumi.net/sando.html
その本社へは、町の中心から4キロ離れた「遥拝殿」から
峻険な上り坂を含む羊腸の山道をさらに4キロも歩いて辿り着きます。
旅館は「お篭り旅館」と言われる、泊まりがけの参拝者専用の施設で、
自家発電で灯りをまかなっているようなところです。
翌日は合宿終了、下山という夜のことでした。
自家発電装置も切られ、漆黒の闇の中、堀先生と男子5人が床に就きました。
私は窓に最も近いところに横になっていて、
外へ視線をやっていると、パチン、パチンという音が聞こえ、
さらにその音がする方向にある木の枝枝が木の内部からの光で
パッパッと照らされるのに気づきました。
私はすぐにKを始めとする同級生と堀先生にそのことを告げました。
「高橋君(埼玉の名門浦和高校から独り勉強のため籠りに来ていて、
隣室で寝起きしていた)が悪戯しているんじゃないだろうな。」
「まさか。外から照らしている光じゃないじゃないか。
どう見たって、幹の方からの光だよ。」
「まさかあんな高いところまで高橋君が上っているはずもないし。」
「なんだろうね。」
闇の中そんな会話をしていたら、
どうしてなのでしょう、全く謎なのですが、
皆の視線が一斉に窓側から逆の、階段上がり口の方へと向いていたのです。
すると白い煙のようなものがその上がり口のところに現れ、
まもなくなんと人形(ひとがた)となって、十秒ほどでしょうか、
私たちを睥睨するかのように、
あるいは何かを訴えたいかのように屹立してして、
そしてフッと消えていきました。
私は呆気にとられていましたが、まもなく口を開きました。
「みんな、今の見た?」
「見た。」「見た。」「見た。」「見たよ。」
Kも、長島君も、別府君も、江川君も、皆見たと言いました。
「先生、見られました?」
「うん・・・ 見た。」
唯物論者で知られる堀先生もそう言われました。
「(隣の部屋で寝ている)女の子たちにこのことを話したら怖がるよな。」
「うん、やめといたほうがいいよ。」
「そうだよな。じゃあ、おやすみ。」
「おやすみ。」
信じ難いことですが、誰一人恐怖を口にするでもなく、
むろんパニックになることも全くなく、ぐっすり寝入ってしまったのです。
翌朝、なんということでしょう、昨夜のことを誰一人口にしませんでした。
私の記憶では、その朝、まったくそのことを忘れていたとしか
言いようがないのです。
Kもまったく同じだったそうです。
その出来事を私が思い出すには、確か一週間ほどの時間が必要でした―
Kと私は、その大山祇神社が在る山の麓にあたるところを、
BeatlesのDear Prudenceなんかをテレコでかけながら、
自転車に乗って散策していたのでした。
そして<ある地点>で私が急に「あの出来事」を思い出し、
急ブレーキをかけて、Kに言ったのです。
「おい、エーミ(Kのあだ名です)、俺たちさ、あの勉強合宿で幽霊見たよな!」
「あ!そうだ、そうだよな。」
「な、なんで俺たちそのことを忘れていたんだ?」
「うん、どうしてだろうな、あんなすごい出来事を体験しておいて―」
私は矢も楯もたまらず父の書斎へと直行しました。
なにかしらの、あの出来事解明へのヒントがあるのではないかと直感したからです。
父の蔵書の中、父が執筆にも関わった赤い表紙の町史本がすぐに目に付き、
大山祇神社にまつわるページをめくっていると、こんなことが書かれていました。
戊辰戦争時、薩長土肥などの「官軍」と戦った奥羽越列藩の一つである長岡藩は、
奮戦空しく陥落し、生き残った藩士二人が越後街道に入り、
その当時以前からも長岡の人々に崇敬されてきた私の田舎に在る大山祇神社の
「奥の院(=本社)」へと身を隠すために逃避行したのだそうです。
とにかく山深いところにありますし、まさか薩長などの兵がその存在を知る
はずもないと思ったのでしょう、私たちが百十余年後泊まることになる
社殿前のお篭り旅館に参拝客を装って泊まっていたのです。
しかしどういうわけだか、追っ手の「官軍」はそのことを察知します。
わざわざそこまで探索の兵を送り、長岡藩士たちは「知らぬ存ぜぬ」を通そうと
しましたが、家捜しの結果長岡藩の紋章入りの編み笠がみつかってしまい、
捕縛され、「大久保街道」と言われる道を連行され、山の麓まで来ます。
その麓の田畑を耕すお百姓がいて、その人が証言します。
<エホンとかと咳払いをしたので私が視線を向けると、
薩長の兵が後ろ手に縛った男を二人連れているのです。
すると、薩長の兵はその男たちの背中をポンと蹴って、大刀一閃、水平に払って、
首を刎ねてしまったのです。
「官軍」に逆らうとこうなるんだとの見せしめということでしょう。
なにしろどの首がどの身体のものか分からず、そこには首塚をつくり、
胴体の方は常楽寺に埋葬したのです。>
私は、「これだ!」と断定し(!)、わなわなと震える想いがしました。
なんと私がKと自転車に乗っていて、「あの出来事」を突然思い出したのが、
この首塚が在るところだったのです!
チビの頃から私はこの付近でよく遊び、田畑が広がるところで唐突に
出くわすことになる「お墓」の存在を不思議に思ったものでした。
「そういえば、オシッコをかけたこともあったな!」
さらにこんなことも思い出しました。
「胴体」が埋葬された常楽寺は根本家の菩提寺で、
やはりチビだった頃、お墓参りに行くと、
その途中で母や父が「無縁仏」の小さな墓にも必ず手を合わせるように、
そして長岡藩士の墓にも、と私に言っていたのです!
私は「勉強合宿」参加者の中、唯一、こうした縁を持つ者でした。
この「発見」を父に話すと、「ふ〜ん」と言いつつ、
「どうだろうな」と半信半疑の様子だったのを覚えています。
今年八月、帰郷する折、私は東北道を使わず、関越道を使い、
途中で長岡を訪れたのです。
會津藩と同盟を組んでくれた長岡藩、その土地の人々へ敬意を表したいと
思ってのことでした。
そして田舎に帰って、常楽寺へ墓参りに行きますと、
「長岡藩士の墓」という掲示があるのに気づきました。
なにゆえ長岡藩士の墓がここに在るのかを解説する立て札でした。
最後にその解説者の名が―
根本一
*
父が亡くなった先月26日夜、
「パチン、パチン」という、後部座席で鳴ったあの音。
父が鳴らしてくれたのは<私には>明らかなことです。
父は私の「長岡藩士の幽霊話」を今もちろん信じてくれているはずです。
(笑い)
(我が故郷の菩提寺、常楽寺の墓地。長岡藩士墓付近。今年8月撮影)
2011-12-12 13:05
師走雑記
昨日は夕方から下総へ、extraな仕事があったのです。
帰ってきたら、皆既月食が終わりかけていました。
オリオンの左肩上方にかわいらしい赤い月が輝き、
実にレアな夜空の意匠で、写真撮らなきゃと思いつつ、
しかしベランダからはどうしても位置的に撮れず、
多摩川に出てみたらもう上の写真のように皆既は終わっていました。
そしてもちろん、オリオンとの「ツーショット」を撮るなら、
絶対に三脚がなければ無理なのであって、
それは持っていないのでした。(とほほ)
それでもソフトボール場の長椅子を縦にして、
上の端っこにカメラを据えて、揺れを極力抑えて撮ったのです。
しかし、なんと腕だけで固定して撮ったものが一番ブレがなかった。
他はみな「スカ」でした。
*
狛江というのは本当にいい街だなって思うときがしょっちゅうありますが、
やはり視界が開ける多摩川を擁することが一番、
そして、他の多摩川べりの街と違う点として、
駅のすぐ近く、歩いて1分もかからないところから、
こんな景が見られることです。
*
去年まで勤めていた多摩川の仕事場の子ども達から
2通手紙をもらったのですが、
なんと内容が「誕生日おめでとう」だったりしてびっくり。
橋渡しをしてくださった方がずっと忘れていたのかな。
「また戻ってきてください」
という言葉があって、春先の他の子ども達からのもそうだったし、
本当に胸がつぶれるような想いがします。
大袈裟ではないのです。
*
昨日書いた地下鉄のアナウンスのことー
それはどうも日比谷線だけで聞けるようです。
千代田線でも一回聞いた覚えがあるのですが、
どうもこの頃は日比谷線だけなんです。
みなさま、日比谷線に乗られたらどうか耳を傾けてみて下さい。
(もちろん他のメトロ線でも聞ける可能性はありますが。)
*
夕方、Kに会います。
慰めてくれるんでしょう。
田舎言葉で、この間のこと、語り合いたいと思います。
東京はいい天気です。
2011-12-11 10:46
地下鉄で安らいで
ちょっと前から下総の職場に行くのに
中央線を使うのをやめ、
代々木上原から千代田線、日比谷から日比谷線、
そして八丁堀で京葉線に乗るルートにしています。
とても楽です。
東京駅で中央線を降りて京葉線に乗り換えるのが
いかに大変なことだったかを痛感します。
まあ、歩くのはいいことだと思ったこと、
地上だからこその窓外の景色を見られるメリットも捨て難く、
また新宿経由の定期券を持っているのがいろいろ便利だろうと
考えてのことだったのですが、
もっと早くから地下鉄メインのルートにしておくべきだった。
なにしろ落ち着くんです、地下鉄に乗っていると。
夜の自分の時間のような雰囲気があるんです。
ここのところ地下鉄による行き帰りで、
父が著した『会津さおあえなはんしょ』を再読中ですが、
なんだか親父を近くに感じながら読めるんです。
たとえば、こんな一節―
<私たちのヘータイゴッコの大将はソーちゃと呼んだ六年生で、
三年生の私は“大佐”ということになっていた。
「なっていた」というのもおかしいが、六年生が大将なら、
五年生は中将、四年生は少将、三年生は大佐・・・となるのが
自然の成り行きだとして、みんな勝手に任官していたのだった。
さて、そのソーちゃ大将だが、
彼はいざ軍務となるとどんな日でもマントを着し、
太い針金で作ったサーベルをぶら下げて威厳を整えながら部下将兵に君臨した。
だから、部下将兵が命令を聞かないでトンボ捕りなどをやっていると、
忽ち「クライ下ゲンゾー!」と立腹、
さらにクワゴ(桑の実)などを摘んで食っていると爆発して、
「みんなンマ(馬)のゲス(尻)アライだあッ」と
中将や少将の”閣下”級まで「馬の尻洗い」という階級に降等してしまった。
「ソーちゃは、すーぐゴセ焼く(怒る)んだもんなあ」
私たち部下将兵は、居もしない馬の「ゲスアライ」にされたって、
桑苺とも称されたクワゴにありつくことの方がよかった。
どうせ明日になれば、元のクライになるんだから―。>
―根本一著『会津さおあえなはんしょ』(民報印刷刊)より
*
地下鉄の録音された車内アナウンス、とても好きだ。
女性の声なのだが、その声に性格の良さが滲んでくるようなのだ。
特に、「乗り換えのご案内です。○○線はお乗り換えください」の、
「ください」の言い方にいつもときめいてしまう。
「さい」の声調の上がり方、そしてフィニッシュが絶妙なのだ。
用がなくても、乗りたくなってしまう。(笑い)
2011-12-10 12:03
Ringo, after all
熱があって、昨日も往生しましたが、
中1のみんながあまりにすばらしい子ばかりなので、
体調の悪さなど忘れるほどでした。
こんな子たちに英語を教えられることの幸せをしみじみ感じました。
みんな、ありがとう。
昨日はJohn Lennonの命日ではありましたが、
時差がある日本では彼が31年前に撃たれて亡くなったのは
今日の午前11時50分ということになります。
よって、日本では12月9日が彼の命日です。
ちなみに夏目漱石の死亡時刻は、
95年前の今日の「午後7時ちょっと前(鏡子夫人)」でした。
今までも何回か書いてきましたが、
私にとっての「巨人」二人が偶然同じ日に亡くなっているのです。
そのこと自体についてはまたの機会に書くとして、
Johnの曲の中、いや、Beatlesの全曲の中で、
あえて最も好きな曲と言えるDear Prudenceの「純正カラオケ」を
見つけたので、ご紹介します。
http://www.youtube.com/watch?v=Gekoxbg6W9g&feature=related
どうもBeatlesの録音したtracksが今やオープン・ソースになっているようで、
まったく信じ難いことが起こる世の中です。
この曲のドラムスはPaulが担当しているとされてきました。
しかし、エンディングのドラム・フィルはいくら天才Paul McCartneyでも、
太鼓「素人」では叩きようがないものであって、
そのことを、今やYouTubeで最高のBeatlesカヴァー・ドラマーと
言われている日本人「batmankozyy」氏が指摘して、
ずっとコメント欄で意見が述べられ続けてきました。
http://www.youtube.com/watch?v=SBvj-qzp2kA&feature=related
私の結論は、「エンディングはRingo、その他はPaulで疑いなし」です。
カラオケをよく聴けば、「一耳瞭然」です。
だからどうした―
John Lennon,
and Beatles,
Forever!
ということです。
2011-12-09 07:18
父の遺したもの -1-
体調を崩しています。
安静にしていたいので、極力横になっていますが、
父の葬儀で下総の職場に迷惑をかけてしまいましたから、
さらに体調不良で休むわけにはいかない。
昨日の「大根飯」のこと―
1日に帰って、すぐに作ってみたわけですが、
米は小田急OXで売っている我が町「西会津のコシヒカリ」、
酒は葬儀のときに配られた地元酒蔵醸造の「栄川(さかえがわ)」
だったわけですから、出汁以外は「オールふるさと産品」だったのです。
母の胎内にいた頃からこの地元の水でできたもの、
あるいは水そのものを我が身に摂り入れてきたのですから、
おいしいのは当たり前だったのでしょう。
しかし、今その郷土が放射能に汚染されている。
先ほど見たニュースでは、線量基準を超えたと認められた米の産地は、
福島市、伊達市、二本松市の3つ、
伊達市は父方の祖母の故郷、二本松市は同じく祖父の故郷なのです。
會津は首都圏と変わらぬ程度の線量しか検出されませんが、
同じ福島県である以上、印象は悪い。
私は今回父の葬儀に出て、
父の遺したものに改めて触れてみて、
父の郷土愛に再び、そして以前よりずっと、強く感銘を受けました。
私の故郷である「會津地方」、父方の祖父母の故郷である「中通り」、
そして原発がある「浜通り」と、福島県はこの3つの地域で成っています。
人為によって汚されてしまった我が故郷を痛ましく思います。
ある意味で、東京を始めとする首都圏のために捨て石にされたところに
生まれ育ち、そしてその首都圏に故郷にいた時間よりもはるかに長くいる者として、
何ができるのか、そしてそれをどう実行していくか。
冒頭の写真は、我が故郷の盆地を取り巻く山の頂近くで撮った「冬の太陽」です。
冬の會津ではこうした太陽が拝めたら、まだましな天候と言えます。
今田舎ではいよいよ雪が盆地にも積もり始めていることでしょう。
それが積雪の具合を言うのに使う単位センチメートルばかりか、
放射線線量を言うベクレルで測られてしまう今を、
こんなに悔しく思えるこの想いも、
父の「遺言」が私にもたらしたもののひとつです。
2011-12-08 05:43
大根飯
もう30年以上前に亡くなった祖母は、
時計・眼鏡を商う根本本家の裏庭に家庭菜園を持っていました。
春には苺を収穫するのですが、孫たちには大変なイヴェントでした。
その苺畑のずっと先には大根畑もあったとは、
従姉妹で今本家を守る明美ちゃんから聞いたのです。
誠二叔父貴の家で日本酒を飲みつつ思い出話などをし、
辞去して彼女を家へ送っていくと、
その裏庭の畑に導かれました。
すると明美ちゃんは徐に大根を一本引き抜いて、
「もう最後の大根だよ、他のは虫にやられちゃっているから」
と私に手渡しながら言うのでした。
「おばんちゃ(會津方言です)の遺してくれた土を私が耕したの。
数十年ぶりにその土で育った大根、食べてみて。」
その大根の葉っぱの茎の部分を刻んで、
出汁と酒と塩を入れて、「大根飯」を作ってみました。
「おばんちゃ」と亡き父を念じて、
「いただきます」と言ってから食してみると、意外に美味。
初めて、なんらのレシピも見ずに炊いてみたのですが、
いや本当においしかった。
大根飯亡き祖母父に捧げつつ
2011-12-07 10:08
父は今遍く在りて山眠る
(昭和24年頃の父母。
父、一(はじめ)、母、フミ。)
27日夕方、父の亡骸と対面しました。
生前の父と折り合いが悪かった長男の兄が、
帰ってきた在京の妹と弟3人に、
「なんだかお前たちの顔を見たら、気が緩んでしまった」
と言って、今まで目にしたことのない頼りない顔になり、
その目から涙をハラハラと流したのです。
長兄が泣くところを私は初めて目にしました。
呼吸が止まった父を病院に搬送するときに付き添ったのがその兄、
死亡宣告も兄が受けたのです。
それまでの父子の確執が一気に無くなった、
あるいは無くならざるを得ない、
有ったところでしかたがなくなった瞬間でした。
そして兄は喪主としての信じ難いほど煩雑な手続きをこなしていく
ことになって、私たちが到着したときも、その真っ最中、
気丈にさまざまな手配をしていたのでしょうが、
正に同胞(はらから)が全員顔を揃えた瞬間、
一挙に抑えていたものが噴き出したのです。
それは、私たちが「いい弔いになる」と確信した瞬間でもあったのです。
私たちも皆泣いていました。
父の顔を覆う白い布を取ると、
その表情は実に安らかな寝顔のようで、
私は、続けざまに到着までの不安が取り去られたと感じ、
安らぎすら覚え、うれしくてまた新たな温かい涙が出ました。
兄弟はみな同じ想いとなって、
その夜は、父の亡骸が隣の部屋で横たわっているという中、
長兄が兄弟の「共通文化」として広めた、
そして父も後年は「いい歌が多い」と認めた、
Beatlesを晩くまで合唱し、レクイエムとしたのです。
(隣家は葬儀委員長をお引き受けくださった上野さん宅であって、
兄弟五人の合唱はきっと耳に達したことでしょう。
「一体根本の家は何をやっているんだ」と随分戸惑われ、
もしかするとお怒りすら買ったかもしれません。)
翌日、父を棺に納め、通夜となりました。
郷土のしきたりはなかなかにユニークであって、
同じ町内の方々や、父の知己たちが棺の前で念仏を唱えてくださるのですが、
西国三十三御詠歌という念仏の歌が延々と続きます。
そしてそれが終わると會津の念仏歌がまた長く続きます。
それは阿弥陀仏と虚空蔵菩薩を讃える歌で、
虚空蔵菩薩は隣町柳津町の円蔵寺にある「日本三大虚空蔵菩薩像」の一つを指します。
円蔵寺は1200年の歴史を持つという會津きっての古刹で、
臨済宗のお寺ですが、「念仏」歌に入っても矛盾はないのでしょう。
また、根本家の菩提寺も曹洞宗寺院であって、浄土宗でないので、
「なにゆえ?」と訝っていましたが、
私の故郷の場合、そうした宗派を超えてこの「念仏」歌を唱和するようです。
このとき鳴らす鉦ですが、そのリズムが変幻自在で、
二人の鳴らし手は全くずれることなく叩きます。
余りに不思議で、そのお一人に伺ったところ、口で伝えられるものではない、
身体で覚えてしまったリズムだ、というのでした。
この「念仏」は本葬終わりの日まで3夜連続唱えられました。
わが故郷は不思議なことに、本葬の前に亡骸を荼毘に付します。
父と最後のお別れをしましたが、
むしろ、安らかな父の表情が腐敗により崩れてゆく前に<焼いてあげたい>と
思える私でしたので、次男の兄(私は三男です)が、
「さあ、一番辛いときが来たぞ」と言ったとき、
そんなことはないと呟いていました。
父は死ぬ前には相当に痩せ細ってしまっていて、
正に「骨皮筋衛門」でしたが、遺されたお骨は驚くほど量が多く、
皆が感心したことでした。
そして翌日本葬―
詳細は書きませんが、この3日間で私が一番の印象をもったことは、
父の弟、誠二叔父貴が父と正に瓜二つであるということ、
遺伝というのは、これほどまでに強い法則なのだ、ということでした。
(父と誠二叔父です。5年ほど前に兄弟3人カラオケで興じた由。)
(誠二叔父が撮った彼の兄貴、我が父です。)
(おそらく父が撮った弟、誠二叔父。)
(左は根本三兄弟の三男、誠叔父貴。3年前に他界。)
上の四枚は、誠二叔父が私に「兄弟三人を撮った写真がある。見るか?」と
言ってくださって、私が叔父宅へ行き、写真の写真を撮ったものです。
息子、甥にしてみれば宝物のようなスリーショットです。
この頃まだ父は少しふっくらしているところがありましたが、
段々と痩せ細っていき、最晩年は元々痩せ形の弟二人に似ていきました。
なにより彼らの母、ケサヨの骨格そのものなのです。
誠二叔父は、「いよいよ俺一人になったなあ」と呟くように言われたのです。
私は、「叔父さん、叔父さんは一(はじめ)の息子娘にとっても、
父の面影を残す唯一の存在、どうかどうかずっとお元気で」と
心の底からお願いしました。
すると隣にいた誠叔父の次女明美(通称「あけちゃん」)が、
「そうだよ、伯父ちゃん。ずっとずっと長生きしてね」と応じました。
***
書き足らぬことは多いのですが、
葬送の3日間についてはひとまずこの辺で終わりにします。
涙脆い私は、自分でも信じられぬほどに泣くことが少なかった自分に
少し驚いていますが、しかし、「父は遍在する魂となった」という想いが
非常に強く、<本当に>さよならしたとは全く思っていない自分にとっては
当然のことだったなあと思います。
父がこの世を去った直後、巷で「ラップ現象」と呼ばれることが私に起こった
ことが何よりも私の悲しみを一挙に取り去ってくれたのです。
このことを帰郷の道すがら兄と姉に話したら、鼻で笑われてしまった。
そのとき私は、「父と私の絆は、やっぱりあなたがたのそれより強いんだ」と
心の中で満足の笑みをたたえていました。
父から受け継いだものを、私が最もよく継承する!
そう強く決意した三日間でした。
(本葬後一夜明けての故郷の山。)
追記
母は本当に気丈でした。
「百まで生きる」と宣言してくれました。
しかしそれでも、母の寂しさを少しでも慰められるよう
精一杯努力しましょう。
なにより、父は「遍在するこころ」になったのだよ、
と母にしっかり納得してもらうことでしょう。
2011-12-02 23:08
父往く
父が先ほど午後6:58に亡くなりました。
享年87歳、9月に数えで米寿を祝ったばかりでした。
田舎の嫂が気づいたときはすでに心肺停止だったといいます。
隣町会津坂下の病院に救急搬送されましたが、
実質的に死亡認定を受けに行ったようなものだったのでしょう。
詳しくはまだよく分かりませんが、
父は母と並んで病床に在り、
多少ボケが入ってしまっている母ではありますが、
その母に気づかれることなく息を引き取っていたわけで、
苦しむことなく、眠るように昇天したのではないかと思います。
そうだとしたら、どんなに私にとっても救いであることか!
今年二月だったか、寝たきりになってしまった私の母、
つまり父にとっての妻を抱き起こそうとして一緒に転倒、
腰をしたたかに打ってから父も寝たきりになり、
それから約五ヶ月後、奇しくも私の誕生日に肺ガンと診断され、
高齢であることから手術等はせず、自宅での対症療法のみにすると
兄弟で決めて以来3ヶ月、父は歳を越せぬまま、他界してしまいました。
姉から、私の誕生日に「父肺ガン」の報せを受けたとき、
私は本当に動揺してしまい、
「博は一番お父ちゃんを尊敬していたから、殊更つらいね」
と言われて、男泣きに泣きました。
父が専門の社会教育に最も脂が乗って勤しめ、
また俳句、郷土の方言や歴史について多くの著作をしている頃に
私はいい年頃で「父の背中」を見ることができたのです。
決して子煩悩な父ではなく、一緒に旅行したことすらありません。
遊んでもらったという記憶もほとんどないのです。
父は自分のペースを守る人で、モットーは「無理をしない」でした。
朝それほど早くなく起床し、徒歩10秒の職場に通い、
席に着くや仕事の延長で何紙もの新聞を丁寧にゆっくり読み、
好きな社会教育のプログラムを練り、
自らも郷土史の専門家としての仕事も役職の内に入れ、
午後5時帰宅するや、横になりつつ本を読み、まどろみ、
午後7時くらいに茶の間に来てNHKニュースを見つつ
日本酒を銚子で1、2本飲み、愚劣な政治を独り言のように論難し、
夕食を少し食べて、それから風呂に入って、
好きなテレビ(「NHK特集」とか、「刑事コロンボ」とか)を見て、寝る。
小学校の校長、また教育長にもなった私の母の兄を始め、
俳句や、町の諸問題、国の政治、自分らが育った昭和初期、
戦争のこと、戦後の復興期のことなどなどを友人たちと語らうことが何より好きで、
月に1、2遍自宅であったそうした会合の様子を少し覗いては、
父が輝いているなあ、と思ったものでした。
そうした父の畏友たちはほぼ皆鬼籍に入ってしまっていました。
父の唯一の張り合いと言えば、またもやの郷土史本の執筆だったのですが、
それを的確に批評し、褒めてくれる人々がもういない寂しさは、
確実に父を「もういいかもなあ」という気持ちにさせていったことでしょう。
そしてそれこそが、死を過度に恐れなくさせる摂理なのでしょう。
寝たきりの母は、今、亡骸として帰ってきた父をどう見ているのでしょう。
結婚が1948年だったはずですから、連れ添ってもう63年、
父なしの生活など全く考えようもないはずで、
前回夏に帰郷した折、「もう何にも興味はないなあ」と言っていた母には
本当にこたえることでしょう。
後をすぐに追いたくなっていることは想像に難くありません。
鴛鴦の契とか、偕老同穴とか、夫婦愛の強さを謂う成語がありますが、
我が父母は正にそういう感じの連れ合い同士でした。
いろいろとこれから覚悟しなければなりません。
明日朝、在京の兄と弟とで帰郷します。
父の訃報届く夕べの燗の酒
***
みなさん、信じる信じないはもちろんご自由です。
父の訃報を受ける直前、私は調布のラーメン屋に行くところでした。
そのときは「呼吸が止まって、救急搬送された」ということでした。
そして調布に着く手前、午後7:09に死亡確認の電話を受けます。
「これほど味も素っ気もないラーメンは食べたことがない」
と思いながら、気もそぞろ、帰りのクルマに乗って、
染地という狛江に隣接する調布の一地区を走行中、
突然後部座席でパチン、パチンという音がしました。
そこにはそんな音がするものはひとつとしてありません。
「父が来てくれた」―
そう思って、私はさめざめ泣きました。
2011-11-26 23:19
だんしがしんだ
謹んでご冥福をお祈りする―
立川談志さんが亡くなった。
昨日休日出勤の帰り、京葉線電車内のモニターで知った。
そのとき口を突いて出てきた言葉―
「談志が死んだ。」
これは私のオリジナルではない。
昔どこかで聞いたことがあったのだ。
噺家仲間の誰かが、諧謔か皮肉かでつくりだした回文だろう。
故人になった人だから、辛辣なことは言いたくないが、
しかし彼こそ辛辣な言い回しで多くの人をこき下ろすのを
トレードマークにした人だから、許してくれるだろう(?)。
生前長く彼を名人という人が多かったのは知っているが、
私はちっともそうは思わなかった。
話が上手だとも思わなかったし、
江戸っ子(小石川出身)らしく威勢は良かったけれど、
なにしろ粋さに乏しく、なにより色気がなかった。
その二つを兼ね備えたのが故・古今亭志ん朝さんで、
随分と劣等感を覚えたはずだと思う。
だから、威勢の良さで江戸っ子を表現するよりなかったのだ。
弟弟子の柳家小三治さんは、談志さんと志ん朝さんのいいところを
すべて<薄めたかたち>で持っている人であって、
当代随一の噺家になって久しいと私は思っている。
(もちろん尊敬する堀井憲一郎氏のように高座に通っているわけでなく、
精通して断言しているわけではないけれど。)
談志さんが小三治さんのことに言及することは、
私の知る限りまったくと言っていいほどなかった。
どうしてだろう。
互いに小さん師匠の弟子であり、余りに近過ぎるし、
また「小さん」の名跡を継ぎたい意欲満々だった人だから、
「小さん」を襲名する者はまず「小三治」にならねばならないという
不文律を痛いほど知っているがゆえ、
師匠小さんが現・小三治さんに早々にその名を与えたことで
深く傷ついたであろうことは疑いようもなく、
そうした複雑な事情から、「俺はお前のことがおもしろくない」という
感情が早いうちから芽生え、また保持されてしまい、
小三治さんを敢えて無視するかのような行動に出たのではなかったか。
「江戸落語四天王」などと言われた噺家の中に、
談志さん、志ん朝さんが入っているのはいいとして、
先に亡くなった円楽さんと橘家円蔵(前の月の家円鏡)さんが
残りの「二天王」などというのは認められるものではない。
そんなことは、つまり、自分が円楽や円鏡と一緒にされることなどは
まったくあってはならないことだった(そういうことを冗談めかし
でも彼は言っていた)のだが、それでも「四天王」と括られることで、
その他の落語家たちは相対的にマイナーになることになり、
<できすぎる弟弟子>小三治さんへの腹いせにもなったのではないか。
・・・人生の最後の最後で、命より大事な声を失ったそうだ。
悔しかったであろう。
「落語に興味を失った」などとも言われていたそうだけれど、
そんなことはなかっただろう。
師匠の小さんのように、老境にいてこその藝も目論めたはずだ。
それは彼には粋なことではなかったかもしれないけれど、
「落語は人間の業の肯定だ」という名言を吐いた噺家として、
声が出る限りの新たな「業」を肯定して語ったはずだ。
合掌
2011-11-24 02:46
お手軽蔓延
もう30年も前に亡くなった父方の祖母は、
70歳代から外出もまったくしなくなって、
テレビで特に時代劇を観ることだけが唯一の楽しみだった。
そして81歳で他界。
その頃の時代劇が今CATVなどで繰り返し放送されており、
私もたまに観ないではない。
それでも、池波正太郎の原作である『剣客商売』と
『鬼平犯科帳』ぐらいしか「いいもの」だと思えない。
(栗塚旭の『風』もいい。彼がかっこいいからだ。
また田村正和は別格。彼ほどに美しい役者はいない。)
『水戸黄門』が打ち切られるそうで、地上波での時代劇はなくなるらしい。
永遠のマンネリズムとも思えたこのシリーズ、
祖母も大好きだったが、水戸光圀が世直し道中をしたことなど史実にないわけで、
いつも私は腐していた。
そしてなにより殺陣が酷過ぎる。
上記『剣客』や『鬼平』は、殺陣が見事なのだ。
しかしそれでも、『椿三十郎』のようなリアリズムには徹していない。
血腥くしてしまったら、お茶の間の不興を買うという配慮だろうし、
もうひとつ、これはそれら以外の、つまりB級以下の時代劇に言えるのだが、
「そこまで手間をかけたくない」という「お手軽感覚」ゆえだ。
真剣をまるで竹光のように(実際そうなのだが)振り回す侍たちの、
まるで斬ってくださいと言わんばかりの隙づくり、
出てきた人数が斬られても斬られても一向に減らない不可思議さ、
岡っ引きが十手で大刀の侍に立ち向かう荒唐無稽さ、
時には素手で刀の相手をすることもある驚倒すべき莫迦ばかしさ、
コスプレしているとしか思えない弱そうな女(くの一とか)が、
胴を丸開きにして決して振り下ろさない侍たちの腹に、
弱々しく短めの刀を通過させていくだけの情けない殺陣―
dilettantismは祖母が生きていた頃からもう日本に巣食っていた。
お手軽な芝居、お手軽な音楽、お手軽な政治、などなど、
<今は>ブータン国王のための宮中晩餐会を欠席したことで
非難されている一川防衛大臣など、防衛問題に素人であることを誇りさえする。
「おにゃんこクラブ」など、こうして書いているだけでも恥ずかしい名の
素人女性芸能人集団をつくって、その後それを恥じたはずの秋元某は、
今や同じことをAKB48でやっていて恬として恥じない。
「楽しむ人がいるんだから、それでいいだろう!」
いいよ、そうしてりゃいいじゃないか。
たくさんの人の慰みになることをしているという「誇り」を持てばいい。
でもな、『剣客商売』はいいよ。
群を抜いているよ。
なにごとであれ、才能のある者たちが集い、丹念に作品を、
政策を、創り上げ、世に問うという営みの大切さを
少なくとも忘れないでいてほしい、それだけだよ。
2011-11-23 07:05
寒気上空に入りて
20日の夕方、寒気が上空に入って来て、
非常にダイナミックな雲の発生、成長、移動が見られました。
近くで大空をぐるり眺められるのはなにしろ多摩川ですが、
寒気が入ってくることを知らぬままに多摩川に出た時は
あまりおもしろい空ではなく、
なんとも暖かな気持ちのいい天気でした。
多摩川から喜多見、つまり野川沿いへと向かうと、
すべての方角でおもしろい雲が発生してきたのです。
上のように、北の空には積乱雲が発生、
そして雲は三層になって重なり合います。
西の空にはこうした珍しい光景が!
日没後、東の空は真っ黒になっていました。
家でTVをつけると千葉の成田や夷隅安房などに大雨警報が出た、と。
今日は行けたら九十九里にと思っていたのですが
・・・行きたかった!
浜で本当に360度全部が見渡せるのですから、
喜多見ふれあい広場のとは比しようのない迫力の空を
眺められたものを!
2011-11-21 00:05
すごいぞ、1組!
皇帝ダリアです。
テッセンのような茎をしています。
とにかく固いし、しかしよく曲がる。
*
下総の中1の1組はすばらしい!
まだまだ小学生気分が抜けない子ばっかりだったのに、
いよいよ知的好奇心に駆られる頃合いとなってきたようです。
今中学や高校は期末テスト期間に入っているのですが、
彼ら彼女らに学校教科書のポイント解説をしてあげていたら、
「もうそれはいいので、ナルシッソスの話、いきましょう!」と。
「ナルシッソスの話」とは、例のギリシア神話を簡単な英文にし、
入試問題にしたものがあって、それをちょっと早過ぎるのですが、
私が半ば強引に副教材として授業で採り上げたもののことで、
彼ら彼女らはそこで習う中3や中2レベルの文法や語彙を
心から知りたがってくれるのです。
翌週は私の「Review Test」の問題になるというのに。
とてもむずかしいテスト、前回はなんと60点以上が8人も出た!
最高点はMiuちゃんの96点だ!
すごいなあ、このクラス。
担当できる幸せをしみじみ感じた昨日でした。
*
そうそう、その1組のFさん、
まだまだ幼い感じの女の子なのだけれど、
「ギター買うんだ!」と宣言。
「エレキかい?」
「ううん、まずアコギでしっかりコード押さえられるようになってから
エレキ買うの。」
いいね、いいね。
こんなバンドになってくれ、いいよ、特にドラマー。
http://www.youtube.com/watch?v=K6_-2Wsfars&feature=related
She Came In Through The Bathroom Windowに入るところ、
すごいよ!(2'05"辺りから見てね!)
Girls just wanna have fun.
To do that, first you've got to buy a guitar!
2011-11-18 01:52
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